かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

鶴居村 彫刻放浪:釧路・鶴居村(2)

  • 早朝散歩に行くつもりで、4:00に目覚ましをセットしておいたのだが、起きられなかった。ダメだ。カーテンを開けると、空には青空が広がっている。よしよし、今日は予定どおりにいけそうだな。それに安心したのか、二度寝してしまい、結局、起きたのは6:30頃。身仕度をして、1Fの朝食コーナーへ。おかず類が少なめで今ひとつだったが、まあまあの朝食を食らう。部屋に戻り、パッキングなどをして(昨日ずぶ濡れになったリュックは生乾きだった)、8:00前にチェックアウト。バスまでまだ時間があるので、幸町公園あたりを一回りしてから、釧路駅のBTに向かう。

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幸町公園のベンチ。

  • 15番乗り場から、阿寒バス・鶴居グリーンパーク行き、8:55発に乗車する。1時間強で、(鶴居村)役場前に到着。ここで下車。1250円。車中、録音したアナウンスの他、運転手が観光客向けにやけにていねいなアナウンスをしていた。帰りのバスでもそうだったが、そのくせ、帰りのバスでは、幾つかのあまり乗降客のいないバス停ではアナウンスを飛ばすなどちょっと気味が悪かった。どうも観光客のいくぶん理不尽なクレームに、個々の運転手が対応してのことらしいが… 

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釧路駅前の、今日のキーチマン。

  • 鶴居村では、まず村役場前の野外彫刻や碑の類を観覧し、鶴居村プロムナードを歩き、プロムナード沿いの鶴居村ふるさと情報館など見学、シーズンオフだが、タンチョウヅルの観察施設の伊藤サンクチュアリなどを観て回る。ふるさと情報館は、図書館などの入った複合施設で、鶴居村の歴史や産業(もちろん酪農!)をテーマにした展示室もあり、意外といっては失礼なのだが、見応えがあり、おもしろかった。

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鶴居村役場前の、斎藤一明《刻》(1994)


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鶴居村役場前の、國松明日香《DANCING CRANE(鶴の舞)》(1987)


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鶴居村役場前の、開村50周年記念のモニュメント《翔(はばたき)》(1987.10.2建立)。作者は不詳。1987年3月31日当時の全住民の氏名が彫られている。


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鶴居村プロムナード。県道53号線付近から鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリまで続くプロムナード。


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鶴居村プロムナードのベンチ。


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鶴居村プロムナードの、シンボルモニュメント《天水卵−天空に捧げる水の卵》(2003)。制作は嶋崎誠。嶋崎誠はガラスの彫刻家で、近時まで鶴居村で制作を行っていたとのこと。


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行き当たりには木が植えられていた。


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鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリの看板。左奧に見えるのがネイチャーセンター。タンチョウのシーズンは10〜3月なので、今は休館中。


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鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリの観察場。


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乳製品工房 酪楽館の芝生広場にあった牛のオブジェ。作者などは不詳。


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鶴居村ふるさと情報館前(西側)の、タンチョウのオブジェ。作者などは不詳。



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鶴居村ふるさと情報館前(東側)に設置してあった鶴居村軌道で使われたディーゼル機関車。泰輪車輌・1960年製。


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こちらは、自走客車。泰輪車輌・1964年製。鶴居村の軌道は、1929年(昭和4)に殖民軌道として馬鉄が開通したのに始まる。1954年(昭和29)には国から村に移管され、村営軌道となったが、その後、道路の整備が進み、輸送の主役がトラックやバスに変わったため、1968年(昭和43)に廃止となった。昨日行った釧路市博物館にも軌道に関する常設展があったが、ふるさと情報館の展示室でも鶴居村軌道についての展示を見ることができた。


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ふるさと情報館前(西側)の、宇津孝志《野風童II》(1993/2000.11設置)。ちなみに、この《野風童II》は男子と女子の2人像だが、男子2名による《野風童》もあり、ともに各地にいくつか設置されているようだ。



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ふるさと情報館・エントランスロビーの、嶋崎誠《生命(いのち)−躍動する生命の誕生−》(2001)


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ふるさと情報館・エントランスロビーの、嶋崎誠《永遠(とわ)−永遠につづく繁栄−》(2000)

  • 役場前のセイコマで食料などを買いだし、役場前バス停12:02発の釧路方面行きの阿寒バスに乗車。15分ほどで、次の目的地温根内ビジターセンターバス停に到着。550円。

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雨の釧路 彫刻放浪:釧路・鶴居(1)

  • 釧路へ行ってきた。釧路に行くのは今回で3回目。お目当ての第一は、(釧路市ではないが、)鶴居村の野外彫刻を訪ねること。そして、もう一つは、釧路湿原である。前回、釧路湿原を訪ねた折の日録で、「次回は、温根内の木道を歩いて、鶴居村営軌道跡を南に下って、北斗遺跡の展示館などを見学するってルートを半日かけてゆっくり歩きたいな。」と書いたのだが(→ここ)、これを実現させること。これが第二のお目当て。他にも、いろいろとプランだけは立てたのだが(例えば、根室/納沙布岬に行ってみるとか…)、2日の旅程のうち、初日が雨で、あまり身動きがとれないこともあり、釧路市街の彫刻放浪再びと鶴居村釧路湿原のプランとなった。とはいえ、初日の夕方から晴れ上がり、2日目もいい天気で、まあ、それなりに楽しい旅となったのであった。
  • さて、出発。最寄り4:58発のリムジンバスで、羽田空港に向かう。1時間弱で、羽田空港T2に到着。予定どおり。今日搭乗する飛行機は、AIR DO AD71便、羽田7:45→9:25釧路の予定。離陸前に、機体の重量確認云々でしばらく出発待ちとなり、釧路空港への到着は15分遅れ、9:40分頃となった。空港からのバスは、釧路の場合、飛行機の到着に合わせて出発するので、問題はなし。9:50過ぎに出発した。1時間弱で、釧路フィッシャーマンズワーフMOOのBTに到着、ここで下車した。
  • 第1日は、雨降りでなかったら、釧路の野外彫刻のうち、いくつか見残しているものを、レンタサイクルで観に行くつもりだったが、これは雨でかなわず、徒歩とバスで、市街の野外彫刻を再訪することにした。MOO→釧路芸術館→幣舞橋→幣舞公園→まなぼっと幣舞→春採湖→釧路市立博物館と回った。博物館最寄りの市立病院(市立釧路総合病院)バス停から釧路駅方面行きのくしろバスに乗り、十字街7丁目バス停で下車、おそい昼食を食べてから、いったんホテルにチェックインした。これが、本日前半の梗概。
  • では、もう少し詳しく。MOOで一息ついて、近くの道立釧路芸術館へ向かう。釧路芸術館では、新収蔵展示「米坂ヒデノリのオーケストラ」を観覧した。米坂ヒデノリ(1934-2016)が蝋型鋳造で制作した81体のブロンズ像による《頌韻(三管編成オーケストラ)》(1997)の展示だ。1体1体は小ぶりな音楽家/演奏家の像で、1体の像の演奏はシンプルな楽器の音色なのだが(もちろん、それだけでも十分魅力あるものだったが)、これが81体ともなると、大オーケストラの華麗なオーケストレーションが豪奢な音響で空間を満たす、という感じ。これまでオレの観てきた米坂ヒデノリ作品とはちょっと違った印象だが、なかなか興味深いことになっていたのであった。なお、市街地の野外彫刻は、以前の釧路旅行の際のエントリーにだいたい掲載しているので、今回は観覧したものの中から一部を掲載。

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釧路芸術館前の、アルナルド・ポモドーロ《球》(1989-90)

  • 続いて、幣舞橋を渡り、幣舞公園まで歩く(幣舞橋の道東の四季像はまた後ほど…)。幣舞公園で彫刻や碑を観覧。原田康子の文学碑を改めて観ていると、裏面に中江紀洋のサインがあった。そうか、中江紀洋の作だったのか。前回は見落としていた。次に、生涯学習センター「まなぼっと幣舞」を訪ねる。館の周囲や中の彫刻をさらった後に、10Fの展望室にも行ってみたが、視界が悪く、ほとんど何も見えなかった。2Fのベンチで休憩して、次にどこへ行くか、どうやって行くか検討する。まなぼっと幣舞最寄りバス停(釧路三慈会病院)から釧路博物館最寄りの市立病院に行くバスがあるようなので、これに乗って、釧路市立美術館に向かうことにするが、バス停で待っているうちに、待ちが苦手のオレは、雨も小降りなので、ついふらふらと歩き出してしまった。おおよそバスの走るルートを歩いていたようだが、春採湖はあちらという看板を見つけ、ついふらふらとバスのルートを外れてしまう笑 歩き出して15分ほどで、春採湖の湖畔に無事に?到着。

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幣舞公園の、ツルのオブジェ。制作者などは不詳。


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幣舞公園の、原田康子文学碑(1998.9.26建立)。表面には『挽歌』の一節が彫られている。碑の制作は中江紀洋。原田康子『挽歌』の碑建立期成会による。


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まなぼっと幣舞・2Fの、中江紀洋《風の色を見た》(1992.9)

  • 行き着いたのは、春採湖の西側の野鳥観察デッキのあるあたり。雨じゃなかったら、春採湖の周囲を歩くつもりだったので、一応地理など頭に入れて、準備しておいたのだが… 今日はざあざあ降りまではいかないまでもそこそこの本降り。だけど、まあいいや、歩いてみようか。ということで、ここから時計の逆回りで、釧路市立博物館まで歩くことにした(正確には、1周ではなく、3/4周ぐらいか)。湖には周遊路が整備されており、道に迷わず、ぐるっと回ることができた。だいたい1時間ぐらい。中でも東側の釧路臨港線の線路と並行して歩くあたりは偽鉄のオレでも楽しい、楽しい。釧路臨港線は、正確には太平洋石炭販売輸送臨港線といい、釧路コールマインの採掘した石炭を春採駅から知人駅まで運送する貨物専用線。残念ながら、釧路コールマインの採炭量の減少に伴い、2019年3月末に運休、6月30日付で正式に全線廃線になるとのことだ。湖の東側にあるショッピングセンターの裏手に、貨車が止まっていた。その後、ハルトルチャランケチャシ跡などを経て、ネイチャーセンター近くの東屋で休憩してから、湖畔のルートではなく、やや陸寄りの上り道を上がり、釧路市立博物館へ向かった。

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春採湖の西側、野鳥観察デッキのあたりから東の方を望む。中央の高台に見えるのが、毛綱毅曠建築の釧路市立博物館(1984)、その左側に半円を重ねた上部を見せているのが同じ毛綱毅曠建築の釧路市立幣舞中学校(1986。当時は釧路市立東中学校)。


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春採湖の東岸沿いを走る釧路臨港線の線路と並行する周遊路を歩く。


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春採湖の東端にあるショッピングセンターの裏手に、釧路臨港線の石炭積み出し駅があり、貨車が並んでいた。一度、走っているところを見たかったなと。


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ハルトルチャランケチャシ跡のある高台から南の方を望む。


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ハルトルチャランケチャシ跡のあたり。六地蔵が祀られていた。


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春採湖ネイチャーセンター近くの桟橋。壊れていて、立入禁止だった。

  • 釧路市立博物館 博物館は再訪。一般470円。今回は、1Fの湿原、2Fの簡易軌道、3Fのアイヌの文化などを中心に観覧。簡易軌道は、博物館が以前開催した企画展をまとめ直して、常設展としたもので、鶴居村簡易軌道など(明日その跡の一部を歩くつもり)、興味深く観覧。明日のいい予習になった。あと、最近は樺太に行ってしまったので追っかけができないでいるが、杉本佐一とアシリパさんもいたゾ笑

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博物館の正面アプローチ


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博物館の正面には、本郷新《朔北の母子像》が立っている。オリジナルは1961年に制作されたセメント像で、春採湖の高台に設置された。年月が経つうちに、傷みが激しくなったので、釧路市によってブロンズ像に作り替えられ、1983年11月、釧路市立博物館の開館に合わせ、現在地に再設置された。


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幣舞中学校の裏手の丘に包丁塚があった。包丁塚は真っ黒にしか撮れなかったので、その丘からの眺めを。春採湖の向こうに海が見える。

  • さすがに歩き疲れたので、帰りはバスに乗ることにする。博物館最寄りの市立病院からくしろバスに乗って、十字街7丁目バス停で下車。220円。釧路市中央図書館に併設されている釧路文学館に行くつもりだったが、道を歩いていたら、旭橋跨線橋が見えたので、ついふらふらとそちらの方に歩いて行ってしまう。跨線橋の近くのスーパーに隣接してインデアンカレーがあるのだ。お腹も空いていたし… ということで、今回の旅行の隠しお目当て笑のインデアンカレー旭橋店に突入。カツカレーを中辛で食らう。その後、隣のスーパーで飲み物などを買って、ホテルに向かおうとしたら、外はざあざあ降りになっていた。これは…ちょっと外に出る気になれない降り方なので、やむなく隣接のヤマダ電機の1Fのベンチで雨が小降りになるのを待つ。15分ほどで、小降りになってきたので、ホテルに向かうことにした。

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本拠地は帯広だが、釧路でもいいのだ。

  • 今日は、スーパーホテル釧路天然温泉に宿泊。4Fの禁煙・シングル。1泊4700円。部屋もきれいで、設備など、特に難はなし。枕元の電源など、かゆいところに手が届く感じ。宿泊料からすると、素晴らしいコストパフォーマンス。と、絶賛しておく。
  • で、ホテルで1時間ぐらい休憩した後、雨も上がったようなので、夕方の彫刻放浪へ向かう。釧路文学館を観覧の後、JR釧路駅周辺→シビックコア/幸町公園・釧路市子ども遊学館周辺→釧路プリンスホテル/釧路市役所→幣舞橋→港文館の石川啄木像と野外彫刻を再訪して回った。幣舞橋の四季の像の写真を撮っている人がやけに多かったな。その後、ホテルに戻る。これで今日の予定は終わり。疲れたので、風呂に入って、寝る。

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JR釧路駅前の、澄川喜一《光る風》(1988)。オレのキーチマン巡礼はここから始まった。ところで、風で動くのね。前回来た時は気づかなかったけれど、今日はくるくる回っていた笑

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幸町公園通りから日銀釧路支店のあるあたりまで遊歩道が連なっている。鉄道の引き込み線跡で、幸町公園には転車台があったそうだ(SL「C58」や北海道鉄道記念塔が設置されている)。釧路地方合同庁舎や釧路市こども遊学館のあるあたりは、芝生広場もあり、シビックコアと呼ばれている。1995、6年に整備されたらしい。遊歩道やシビックコアには、ポルトガルのアーティスト、ジョゼ・デ・ギマランイスによるパブリックアートがそこかしこに設置されている(せっかくのジョゼ・デ・ギマランイス作品なのだが、現地には作者の説明板も見当たらず(あるのかな?)、釧路市関連のサイトでも言及されていないのは、どうして?)。前回は網羅できなかったので、晴れて青空が出ていることもあるので、今回はコンプリートするゾ笑


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ベンチその1。

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《ナイスキャッチ》。オブジェにはキャプションみたいなものがついていて、作者や制作年・設置年は記載されていなかったが、「愛称」ナイスキャッチ」などと書かれている。以下、「愛称」は略して記載。オブジェにはネオン管が仕込んであって、暗くなると、これが光る仕組みだが、メンテが行き届いていないのか、点いていないものも多かった。ちょっと残念。


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ベンチその2。ベンチは他にもあった。コンプリート版をうたったものを、その3の写真を撮り忘れた。ダメだ。


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《ニャンコの手》。愛称は誰がつけたのだろう? あまりギマランイスっぽくないように思うのだが…


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《ひらめきベンチ》


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街灯


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《バンザイマン》。池の中に設置されている。後ろにめいるが子ども遊学館


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《雲のウィンク》


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《イエローダンス》


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これは何だろう? もう1組あった。


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円形の広場ばあり、青い柱が取り囲んでいる。この広場の中央を自動車道が走っているので、あまり、広場としては機能していない…


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《グーッ!》


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《キラランハート》

  • 幣舞橋と港文館の啄木像・夕暮れ編 幣舞橋の道東の四季像などを。まず、幣舞橋の上流側の歩道を渡り、釧路川の左岸に降りて、港文館まで歩き、再び幣舞橋まで戻り、橋の下流側を渡って戻った。短い間にどんどんと日が暮れていった。

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本郷新《冬》(1977.5.3除幕)。像の足下に、上部だけ見えている建物は、毛綱毅曠建築の釧路キャッスルホテル(1987)。


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柳原義達《秋》(1977.5.3除幕)


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毛綱毅曠建築の釧路フィッシャーマンズワーフMOO(1989)を対岸から。


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港文館前の、本郷新《啄木》(1972.10.14建立/1991.5移設)。石川啄木像建立期成会による。それにしても、かっこよすぎだろう笑


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佐藤忠良《夏》(1977.5.3除幕)


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最後に、舟越保武《春》(1977.5.3除幕)

「メアリー・エインズワース浮世絵コレクション」、「ピーター・ドラッカー・コレクション水墨画名品展」(千葉市美術館)

企画展「オーバリン大学 アレン・メモリアル美術館所蔵 メアリー・エインズワース浮世絵コレクション -初期浮世絵から北斎・広重まで」
所蔵作品展

なんでも、ピーター・ドラッカーの「山荘コレクション」197点が、すべて日本の某企業が買い上げ、散逸せずに無事に日本に里帰りとなった、とのこと。で、その全点が千葉市美術館に寄託された。今回開催の「ピーター・ドラッカー・コレクション水墨画名品展」が、そのとりあえずのお披露目展。

  • 通り町公園 帰りに通町公園を抜ける。その際に、杭谷一東のモニュメントを観覧。

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杭谷一東《SORGENTE 大地の鼓動》(1993)

  • 千葉市中央公園 続いて、千葉市中央公園の大型彫刻も観覧。いつも人がいて、写真どころではないが、今日はうまく撮れた。

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カルロ・ラムース《天体へ》(1993)

  • で、例によって、うにおんで久しぶりにエサ箱を漁り(3枚)、帰宅したのであった。

坂出 彫刻放浪:児島・岡山・坂出(6)

戻る

  • 高松空港行きのバスまで時間に余裕があるので、JR坂出駅周辺の野外彫刻を探ることにした。駅の南口と北口をチェックしてから、少し海方向に歩いて、県道186号線の中央分離帯に設置されている石彫を観に行く。石フェスの作品が2基、坂出市にあり、そのうちの1基がこれ(もう1基は瀬戸大橋記念公園にある)。続いて、坂出市民美術館まで歩き、少女像などを観覧する。このあたり、美術館だけではなく、図書館や郷土資料館などが集められた文教地区だった。線路沿いを歩いて駅まで戻り、駅近くのファミレスで遅い昼食を食べる。

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坂出駅南口の、濵野年宏《Unity》(2005/2005.7)。坂出駅周辺の開かずの踏切の解消するための高架化、駅周辺の整備事業が完成した記念碑として設置。それにしても、大きい! 検索:浜野年宏


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坂出駅北口にキリンがいた。坂出在住の造形作家、岡山富男の作品とのこと。先日まで坂出市民美術館で展覧会が開催されていたようで、その居残り作品らしい。それにしても、体操でもしているのかな?(実は写真を撮ったのは、昨日の5月22日のこと)


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89菊池満雄《SEGMENT INTO A SPIRAL》(1997)。第4回石のさとフェスティバル (正式には、第12回国民文化祭・かがわ'97 「石のフェスティバル」石の彫刻コンクール[香川県牟礼町 石匠の里公園・1997.10〜11])、石のフェスティバル賞。制作協力:(株)石の店 山田。県道186号線 さぬき浜街道・坂手市市立体育館東交差点付近の中央分離帯に設置。


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坂手市民美術館・中庭の、岡山富男作品のキリン。


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坂手市民美術館前の、矢野秀徳《わかくさ》。

  • 坂出駅から16:01発の高松空港行きのリムジンバスに乗る。50分ほどで空港に到着。1000円。車中では寝入ってしまった。さすがに歩き疲れたか。帰りの飛行機は、Jetstar GK418便、高松18:15→19:45の予定。だいたい予定どおりの運行。成田-高松の便は優秀で、だいたい予定どおりに運行することが多い。成田空港T3、20:05発のリムジンバスに乗ることができた。21:00過ぎには無事に帰宅。まあまあ楽しい旅であった。


おわり/はじめに戻る

中庄 彫刻放浪:児島・岡山・坂出(5)

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  • JRで、岡山から中庄まで移動。10分強、240円SUICA。南口に出て、駅前の野外彫刻を探ってから、マスカット通りと呼ばれている岡山県倉敷スポーツ公園まで道を歩く。マスカット通りの道筋に倉敷まちかどの彫刻展の野外彫刻が3基設置されている。天気がいいのはありがたいが、それにしてもあ、暑い。15分ほどで倉敷スポーツ公園の入口に到着。入口正面は倉敷マスカットスタジアム。スタジアムを半周して、正面側に出ると、そこに三木俊治によるモニュメントがあった。

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14高橋正訓《LIFE-Sequence NO.1》(1994/コールテン鋼)。第3回展、優秀賞。JR中庄駅南口に設置。


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13水谷忠敬《Crystal of Space》(1994/ステンレススティール)。第3回展。マスカット通りに設置。


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19林泰史《道しるべ》(1997/鋳造アルミニウム)。第4回展。マスカット通りに設置。


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12楠央《WIND TWIRLER》(1994/ジュラルミン、ステンレススティール)。第3回展。マスカット通り休憩所に設置。


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倉敷マスカットスタジアム・メインモニュメント(1995)。制作は三木俊治。球場の南側に設置。


つづく

岡山 彫刻放浪:児島・岡山・坂出(4)

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  • 6:00頃、起床。身仕度をして、6:30から始まる朝食を食べに2Fの会場へ行く。まあまあ、美味しかった。一度部屋に戻り、今日の予定を復習い、7:00過ぎに出発。今日はまず西川緑道公園と緑道沿いの公園を、南から北へ歩き、野外彫刻を探ることとする。と、いいながら、西川緑道公園のさらに南にある枝川緑道公園の野外彫刻から観ていくことにしよう。

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枝川緑道公園の北側の出入り口


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枝川緑道公園の南端の噴水(といっても、まだ水が出ていなかったが…)の石組み。


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坂本博司《親と子》(1985.11.10設置)。岡山京山ライオンズクラブが認証10周年を記念して寄贈。

  • 西川緑道公園 南側から緑道沿いに設置してある野外彫刻などを掲載。(うまく写真を撮れなかったものについては、昨日、5月22日の夕方に撮影したものを掲載。)

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北村西望《平和之女神》。鋳造は黒谷美術株式会社。岡山東ロータリークラブ、岡山北ロータリークラブ、岡山西峯ロータリークラブが創立10周年を記念して寄贈。新下西川橋の南側。《平和之女神》は割と高純度アルミの像を観ることがおおいが、ここのはブロンズ像。西川緑道公園には、北村西望作品が3基設置されていた。この《平和之女神》と《夢》、《若き日の母》の3基。

  • 西側緑道公園 田町橋と下西川橋の間、ベンチ間の柱を台座に小ぶりなブロンズ像が数基設置されていた。

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こんな感じで、設置。


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作者・タイトル不詳の裸婦像。(2019.5.22撮影)


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作者・タイトル不詳。1980年12月1日付で個人が寄贈。以下の個人の寄贈者は同一人物。母娘像。(2019.5.22撮影)


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作者・タイトル不詳。1980年12月1日付で個人が寄贈。鳥を抱える男児像。(2019.5.22撮影)


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作者・タイトル不詳。1980年12月1日付で個人が寄贈。着物姿の少女像。(2019.5.22撮影)


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川岸要吉《仲よし》(1988.10.30設置)。岡山さくらライオンズクラブが認証記念に寄贈。


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金谷哲郎《爽》(1985.5設置)。岡山あげはライオンズクラブがCN(チャーターナイト=認証)5周年記念に寄贈。この作品だけ抽象彫刻。(2019.5.22撮影)


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森下勲《弦》(1985.5設置)。岡山あげはライオンズクラブがCN(チャーターナイト=認証)5周年記念に寄贈。


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田口坦民《あひるを抱くこども》(1985.5設置)。岡山あげはライオンズクラブがCN(チャーターナイト=認証)5周年記念に寄贈。(2019.5.22撮影)


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金盛秀禎《朝》(1986.3設置)。岡山あげはライオンズクラブの寄贈。


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大桐國光《瀬戸の日》(1988.5.23設置)。岡山ゾンタクラブが10周年記念に寄贈。

  • 下石井公園 東南側の花壇に2基、北東の植え込みの中に1基、西側に1基の石彫が設置されていた。なお、肖像彫刻(胸像)も1基あったが、これはパス。

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三木勝《愛と平和》(2008.12.14設置)。花壇の中の1基。岡山操山ライオンズクラブが認証40周年記念に、第26回全国都市緑化おかやまフェアに協賛して寄贈。(2019.5.22撮影)


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三木勝《大志》(2008.12.14設置)。これも花壇の中の1基。岡山操山ライオンズクラブが認証40周年記念に、第26回全国都市緑化おかやまフェアに協賛して寄贈。(2019.5.22撮影)


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植え込みの母子像。タイトル、作者とも不詳。植え込みの中の台座になにか情報があるかも、だが、木が鬱蒼と繁茂して、よく見えない。


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伊丹脩《シゼン と ヒト》(2009.2)。西側の芝地に設置されていた。

  • 市民憩いの石「凉」 西川緑道公園を歩いていると、ところどころに寺田武弘作品(のパーツ)っぽい石やら石組みやらが設置されているのだが、タイトル板があるわけではないので、よくわからない。それでもあきらめずに石を探っていると、下石井公園近くの緑道の石に「市民憩いの石 凉」制作 寺田武弘」贈 岡山ライオンズクラブ」1975」とあるのを見つけた。やっぱり、寺田作品だった。ひとわたり緑道を歩いてみての印象だが、すべてとはいわないまでも、部分部分に寺田武弘制作の「石」が置かれているようだった。

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この石組の一つに「市民憩いの石 凉」制作 寺田武弘」云々と彫られていた。


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これなんか、昨日、児島公園で観たやつとよく似ている。これも寺田作品なんだろうなあ。桃太郎大通りの少し北側の緑道に設置。


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《白鳥放鳥記念碑》


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朝倉響子《新聞少年の像(ぼくは少年新聞や)》(1958/1958.11.23設置)。新聞を配る少年像建設の会による。幸橋と平和橋の間に設置。台座のタイトル板なども含め、有栖川宮記念公園にあるものと同じものだった。


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《平和像》(1954.6.29設置)。彫塑は岡本錦朋、設計は丸川大祐。野殿橋の北側に設置。


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北村西望《夢》。桶屋橋と野殿橋の間に設置。(2019.5.22撮影)

  • 桃太郎大通りにかかる西川橋の親柱には、桃太郎にかかわる像が立っていた。なんでも、桃太郎通りには、蛭田二郎による「桃太郎」像が20数基立っているとのこと。西川橋の親柱の4像も含め、いずれも小さめのいとけないポーズをした像だった。

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西川橋・西詰北側の《ももたろう》


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同・東詰北側の《いぬ》


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同・西詰南側の《さる》


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同・東詰南側の《きじ》


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北村西望《若き日の母》。西川橋の北側。この先にもヴィーナス像などがあったが、ここでひとまず西川緑道公園の野外彫刻はおわりとしておく。

  • ところで、西川緑道公園内ではないが、その南側の入口と北側の入口に近い路上に赤ん坊の像が2基設置されていた。立っている位置が微妙なので、西側公園の南北の起点の目印みたいなものとも思えないし、桃太郎大通りの「ももたろうシリーズ」(が何かの都合で大通りを外れて設置されているの)でもないと思うが、銘板や説明板の類もなく、よくわからない。ということで、よくわからない、謎の野外彫刻として、掲載しておく笑

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瓦橋交差点の南側、(枝川緑道ではなく)枝川筋沿いの歩道に設置されている。


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こちらは、万橋跨線橋東交差点の南側、こちらも緑道内ではなく、歩道に設置されている。

  • 南方公園

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《平和のつばさ》(2000.7建立)。制作は森下勲。岡山県原爆被爆者会による原爆被爆55周年の碑。


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花壇の中の母子像。作者は不詳。花壇の下に、岡山市長の岡﨑平夫(在任期間は1963年5月1日-1983年4月30日の5期)による「緑と花 光と水」と書かれた銘板があったので、あるいはこれがタイトルか?


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もう一つ、片隅にあった石の彫刻。子どもが相撲を取っている、といった風情。


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これは、南方公園の北側、岡山市立後楽園中学校・高等学校の北西角に設置されていた岡山市立南方小学校跡地の碑(1981.7設置)。ちょっとかっこいいので、載せておく。作者は不詳。

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土光敏夫先生顕彰碑」(1991.11設置)

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上部の彫刻は、淀井敏夫《希望. 風と鳥と少年たち》


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台座正面の肖像レリーフ。これも淀井敏夫作かな?


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記念苑の西側、弓之町公園の、《發之音》(浦上玉堂像)。作者などは不明。すぐ横に浦上玉堂の説明する板はあったが、この像/碑自体の説明はなかった。なんか釈然とせんぞ笑

  • 石山公園

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平和都市宣言記念《平和の像》(1987.3)。制作は大桐國光。


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《蒼耀(そうよう)》(1977/1980.11.16設置)。作者は不詳(「隆」のサインあり)。岡山後楽ライオンズクラブが創立20周年記念に建立。

  • しろちか→桃太郎お踊り〜岡山駅東口

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しろちかの、蛭田二郎《To a Flying start. -好調なスタートをめざして-》(1993/1993.6.5設置)。岡山県による。


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桃太郎大通りの、蛭田二郎《添う》(1991.12.15設置)


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岡山駅東口広場の、《桃太郎》(1971.5設置)。制作は岡本錦朋。岡山西ロータリークラブが10周年記念に寄贈。まあ、最後はこれですかね。


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…と言いつつ、この《桃太郎像》の周辺も、別のPAだったりして。「吉備沃野」(2001.11.1設置)。制作は西雅秋。岡山県と新千年紀記念事業実行委員会が「新千年紀記念事業」として設置。この写真だけだと、どんな作品かよくわかんないですねぇ。


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いや、やっぱりこれも載せておこう。《青春感謝》(2000.3設置)。制作は谷口淳一。第六高等学校のモニュメント。



つづく

茶屋町 彫刻放浪:児島・岡山・坂出(3)

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  • 茶屋町の野外彫刻 JR児島からマリンライナーで1駅、茶屋町まで移動。15分、240円SUICA(坂出から岡山までは1110円、坂出から児島までが520円、児島から茶屋町までが240円、で、茶屋町から岡山までが240円の合計1000円。ということは、途中下車した方が安いのね笑)。まず駅前の野外彫刻から。

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6岡田尚《サマータイム》(1990/大理石、御影石、ブロンズ)。第2回展。西口の交通広場に設置。


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茶屋町の鬼》。作者などは不詳。200年ほど前に始まった茶屋町の民俗文化をテーマにしたものとのこと。現在でも神社の秋祭りに併せて、茶屋町の鬼が現れるらしい。西口広場(鬼の広場、というらしい)に設置。この広場には他にも彫刻、碑の類がいくつかあった。

  • 続いて、線路沿いを北へ10分ほど歩き、茶屋町小学校の南西角に設置されている彫刻を観覧。大学以外の学校構内はだいたいあきらめるのだが、ここは学校の外に設置されているのがsvで確認できたので、観に行った。生徒の下校時間に重なり、絡まれるのではないかと気が気でなかった…笑

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27村上雅弘《久遠》(2000/花崗岩)。

  • 岡山の野外彫刻を少し 茶屋町小学校から駅まで戻り、再びマリンライナーで岡山まで。15分ほど、240円SUICA。お腹が空いたので、駅周辺で何かを食べようと、少しふらふらとする。と、ビルの前に圓鍔勝三の少女像があった。ついでに、両備バスの本社?の木内克の女性像も観てきた。夕飯はカレーなどを食らい、ホテルに向かう。岡山駅から少し距離があるが、明日歩く予定の西川緑道公園などを歩き、予習しておく。

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両備ビル前の、圓鍔勝三《少女》。


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両備バス前の、木内克《坐像》(1962)。タイトル板はなかったが、茨城県立近代美術館前の同作よりタイトルは補った。

  • 今回は、ホテルレポーゼ岡山というビジネスホテルに泊まった。大雲寺交差点の近くで、駅からやや遠く、歩くと20分くらいかかるが、翌朝の彫刻放浪には都合がいいので、ここにした。朝食、Wi-Fiありで、4500円。特に難はなかったが、オレの室の両隣の方のいびきがすごくて、まいった。部屋の壁が薄いわけではないのだが… 枕元に電源はなかったが、延長コードと充電用のケーブルが準備してあったのは◎だったな。

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ホテルの近く、表町三丁目交差点の東側、三丁目劇場前の歩道にあった野外彫刻!? 国島征二《Moved》(2000)。協賛:ベネッセコーポレーション(株)。ちょっと困った…笑




つづく