かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

大分(2)キリシタン殉教公園→鶴崎 彫刻放浪:別府・大分(3)

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  • 若草公園から大分駅まで歩く。中央通りなど、いくつか野外彫刻を見かけたが、大分駅周辺は明日改めて回るとして、今日のところは、ちょっと立ち止まって観覧するにとどめる。大分駅前のBTの3乗り場から、15:01発の宮河内ハイランド行きの大分バスに乗車。10分くらい遅れてきた。20分強、乗車して、猪野バス停で下車。310円SUICA。すぐ近くの猪野交差点に設置された女性像を観覧し、大分県キリシタン殉教公園まで5分ほど歩く。

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猪野交差点南東側の、宮原正行《立っている女》(1988.4設置)

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大分県キリシタン殉教公園・名標 殉教記念碑の他に、歌碑などもあった。


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大分県キリシタン殉教記念碑」(1970.6設置)。レリーフの制作は北村西望(1969)。大分県キリシタン史蹟顕彰会による。今回の大きなお目当ての一つ。以前、有馬キリシタン遺産記念館で「複製」を観ている(→ここ)。

  • 鶴崎 殉教公園前バス停から16:00発の鶴崎行き・大分バスに乗車。15分近く遅れてきた。15分強ほど乗って、終点の鶴崎バス停で下車。歩いてすぐの鶴崎支所前の彫刻を観覧し、JR鶴崎駅までふらふらと歩き、駅前の鶴崎踊りの像を観覧。駅前の自販で水分を補給し、日豊本線鶴崎から大分まで戻る。

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大分市役所鶴崎支所前の、村谷素子《想い》(1984設置)


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JR鶴崎駅前の、《鶴崎踊り》(1977.10建立)。制作は工藤忠義。大分都市計画本町土地区画整理事業大分市施工)竣工記念。


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「正調鶴崎おどり保存会 無形民俗文化財指定記念碑」(1980.8建立)



つづく
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大分(1)西大分駅→若草公園 彫刻放浪:別府・大分(2)

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  • JR西大分→若草公園 別府駅から日豊本線西大分駅まで移動。別府・大分周辺はSUICAが使える。ちなみに、今回は大分バスも何度か乗ったが、こちらもSUICA可だった。西大分駅前から大分駅周辺に向けて散在する野外彫刻を観て回る。早速、暑くて、へばり気味。途中、昼メシ時でお腹も空いたので、街道沿いに見つけた定食チェーン店で昼食を食らうなど。
  • ところで、大分市内の野外彫刻については、大分市のHP内の下記ページを参照した。ただ、あくまでも「大分市」所轄の野外彫刻一覧なので、例えば「大分県」所轄のものは当然掲載されていない。

>参考:大分市 屋外彫刻一覧表
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JR西大分駅前の、波多野穏子《想》(1981)


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東生石交差点・西大分交番横の、《竣工記念像》(1981/1981.11建立)。制作は岩村俊典。大分市施工大分都市計画事業西大分土地区画整理事業竣工記念。女性が持っているのは、名物の餅とのこと。


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南蛮貿易場址・神宮寺浦公園(春日浦交差点南東側)の、《大友宗麟》(1958.4設置)。この像は2代目。初代像は日名子実三制作で、1937年3月21日に建立されたが、例により、第2次世界大戦中の金属供出で溶けてなくなった。台座のみ、残っていたところ、戦後、1958年に長谷秀雄制作により、再建された。


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春日神社西交差点の、川口恵美《秋陽》(1984


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福田平八郎画伯顕彰広場の、《福田平八郎画伯顕彰碑》(1992年設置)。碑の制作は佐藤忠良

  • 若草公園

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岩男順《花冠》(1980)

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朝倉響子《平和のわらべ》(1952)。噴水。タイトル板なし。


つづく
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別府:的ヶ浜公園、他 彫刻放浪:別府・大分(1)

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  • 別府と大分に行ってきた。当初は、大分の山方面に行くつもりだったのだが、1週間前の天気予報の降水率が高かったので、山方面はまたの機会として、海方面というか、町方面の大分市街の野外彫刻を改めて網羅的に探ることにした(ちなみに、別府・大分の彫刻放浪は今回が2回目で前回の記事はここに掲載している)。まあ、行ってみたら、確かに雨は降るには降ったが、ほぼ晴れていた、という感じで、とても暑くて、かなりハードな野外彫刻探索になったのであった。ハードではあったが、予定していた彫刻の類はおおかた観ることができたし、観光地ではないにしても、知らない町を歩き回るのは楽しいのであった。ということで、めでたし、めでたし。
  • では、出発。最寄り始発で成田空港T3へ移動。ダイヤどおりに6:14頃に到着。T3のロで朝食を仕入れ、早々に保安検査場を通過して、出発ゲートの171付近に移動し、搭乗まで一寝入り。本日搭乗するのは、Jetstar Gk601便、成田8:25→10:10大分の予定。フライトは、まあまあ順調で、ほぼダイヤどおりだった。だいたい10:10頃、到着ロビーに出ることができた。バスチケットを購入して(別府・大分方面の往復券2600円)、早速、今回の旅行のお目当ての一つに突撃。いや、バスの時間まであまり間がなかったので…
  • 大分空港

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澄川喜一《WINGS OF PHOENIX》(1993)。大分空港は、これまでに何度も来ているのだが、キーチマン覚醒以後に飛来したのは今回が初めて笑 そんなわけで、これをちゃんと観るのも初めてのこと。実は、岐阜方面にも、同じような状況のキーチマン作品があるんだよなあ笑

  • 的ヶ浜公園 大分市内に直行するつもりだったが、旅行の直前に別府の的ヶ浜公園に未見の野外彫刻があることを知り、ちょこっと立ち寄ることにした。空港連絡バスを1時間弱乗り、別府北浜で下車。的ヶ浜公園は歩いてすぐ。的ヶ浜公園を回った後は、うろうろと彷徨いつつ、別府駅まで移動。

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的ヶ浜公園・名標


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堀口泰造《かるめん》(1983.10.13設置)。タイトルはひらがな表記。別府ライオンズクラブ、別府ライオネスクラブが結成5周年を記念して寄贈。確か、堀口泰造のカルメン像はこれで3ヶ所目だと思うが、どこも正面の写真は真っ黒にしか撮れないのであった…


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《すこやか》。作者など、不詳。足下にサインがあったが…、読めない。ただ今、解読中(1970年代の作?)


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中川為延《女神像》。1954年4月、市制30周年記念として、小野田セメント(株)より寄贈され、別府駅前のシンボルとして設置。1967年11月、別府駅高架化に伴い、同駅南広場に移設。1988年11月、別府駅前整備事業により、的ヶ浜公園の移設。以上、台座裏の「女神像の経緯」による。


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長谷秀雄《裸婦座像》(1980.2設置)。在京別府市人会有志の寄贈。

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別府市民憲章」碑(1972.2.20設置)。別府中央ライオンズクラブの寄贈。


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岩尾秀樹《家族》(1992.2設置)。別府中央ライオンズクラブ、他の寄贈。


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つづく
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川口 彫刻放浪:さいたま市と川口市(3)

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  • 北浦和公園 与野駅から一駅、北浦和駅に移動。北浦和公園は埼玉県立近代美術館があることもあり、何度も訪ねている。野外彫刻も、このブログ/日誌で、ぼちぼちと掲載・紹介している。旧制浦和高校の跡に造られた公園であることも知っていたが、美術館の裏手に、記念碑があることはごく最近まで知らなかった。しかも、像は柳原義達制作であるという。ということで、ちょっと立ち寄ることにした。

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「旧制浦和高等学校記念碑」(1970)。台座正面に、「彫刻 道標」柳原義達」と彫られていた。台座周囲には、さまざまな碑文なども。バンカラ旧制高校の学生像だが、なんかポーズが変(失礼!)。

  • 川口駅東口 再び京浜東北線で、川口駅まで移動。川口周辺は何回か来ているが、今回は最近知った東口の商店街(樹モール・川口銀座商店街)周辺を探る。ここ、中世ヨーロッパ風にデザインされたオブジェの類がいろいろとあった。

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川口駅東口ペデストリアンデッキ上の人魚の母子像。作者、タイトルなどは不詳。追記(2021.2.2):岩田健《人魚の母子像》。


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岩田健《朝の母子像》(1976/1985.1設置)。個人(2名)の寄贈。


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商店街を歩いていると、騎士像(ドン・キホーテ?)が立っていた。


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岩田健《切れた鞄》(1986.2設置)。個人の寄贈。


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コミュニティプラザの噴水塔


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こちらは、時計塔(「友愛の時計塔」)

  • 川口西公園 まだ少し明るいので、久しぶりに川口西公園の野外彫刻を再訪することにした。

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「川口西公園 彫刻ガイド」。これは前回来た時にはなかったはず。そういえば、彫刻たちもメンテされたのか、だいぶきれいになっている。うれしい。ということで、下記に、いくつかを再掲することにした。(→前回の来訪時の記事はここ

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建畠覚造《WAVING FIGURE》(1992)


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佐藤忠良《裸のリン》(1977)。前回来た時は、作品表面に何でひっかいたような傷がずいぶんついていたが、きれいになっていた。


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舟越保武《渚》(1986)。前回来た時は、糞害でひどいことになっていた。すでにいくつか爆撃痕があったが、それでもだいぶきれい。


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市村緑郎《風の交差点》(1992)。市村緑郎は、茨城県出身の彫刻家だが、埼玉大学の教員だったこともあってか、今日もいくつかその作品に出会った。


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朝倉響子《ミッシェル》(1993)


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長谷川善一《くろがね号のゆくえII》(1996)


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川口西公園から東口KIKビルの屋上の巨大ライオン像を望む。


おわり/最初に戻る

与野本町→与野 彫刻放浪:さいたま市と川口市(2)

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新宮晋《太陽の神話》(1994)…、もちろん、上方には可動部分があったのだけど…壊れて撤去されたようだ。(検索すると、ありし日の姿の画像が見られます。)


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渡辺豊重作品。タイトル板が見当たらず、詳細は不明だが、ひょっとして《ピクニック》? 追記(2019.12.15):渡辺豊重《音がある 声がする そこに愛がある》(1994)


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山本衛士《内なる空》(1994)


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建畠覚造《発展》(1995)。企画:株式会社ローザ環境造形事業部。「与野市職員互助会 之建」とあり。


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市村緑郎《展生》(1996)

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高橋剛《翔》。台座に「与野市民憲章」あり。その日付が1978年なので、その頃、設置か? なお、タイトルが違うが、北広島市北広島東記念館前の《飛躍》と同じ作品みたい。(→ここ


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公園の入口近くの路上に、誕生釈迦仏像?が設置されていた。 

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市村緑郎《やわらぎ》(1985/1985.11設置)。鋳造:(株)池田美術鋳造。さいたま与野ロータリークラブが創立20周年を記念して寄贈。

  • 与野駅西口 続いて、与野駅まで歩く。15分ほど。だいぶへばってきた。

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佐藤忠良《ブラウス》(1998)


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建畠覚造《時の柱》(2000)。企画:株式会社ローザ環境造形事業部。


つづく
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南浦和→武蔵浦和 彫刻放浪:さいたま市と川口市(1)

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  • 北原公園 駅の西側にある北原公園に立ち寄る。gmで予習しているときに知った、月とうさぎのモニュメントが印象的だったので。

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北原公園の名標


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「つきのみやとうさぎ」のモニュメント(1992.3設置)。浦和南ロータリークラブが15周年記念事業として寄贈。


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遊具も月と星

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南浦和駅から歩いて10分弱。着いてみると、文化センターは外壁修復工事のため、仮壁で囲まれていた。やな予感…笑


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やっぱり少女像は仮壁の中だった。残念。まあ、だいたい、いつもこんな感じなのだが…


  • 武蔵浦和ラムザ周辺 南浦和駅まで戻り、武蔵野線で一駅、武蔵浦和駅まで移動。今回は西口方面を探ってみる。ラムザタワーとその周囲の地上の植え込み、歩道、ペデ周辺におとぎ話、童話を題材にしたオブジェが設置されていた。作者などは不明。一回りして、ぱっと見た程度なので、漏らしたものもあるに違いない笑

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高田洋一《風の奏でる音楽》(1998)。武蔵浦和駅西口ペデストリアンデッキ上に設置。


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高田洋一作品のすぐ近くに、ブレーメンの音楽隊がいた。タイトル板でもないかと、周囲を探すと、


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歩道面のタイルに、これが… 右がブレーメンの音楽隊で、左はオズの魔法使いかな。


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おっ、オーバー・ザ・レインボウだな。で、下に降りてみると、

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カカシに
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ティン・マンに、
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臆病なライオンがいた。でも、ドロシーは居なかった。


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もう一度ペデ上に戻ると、これは、「ジャックと豆の木」かな。


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赤頭巾かな
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と、壁面から、おばあさんに化けたオオカミが現れた。


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アラジンと魔法のランプかな、と、頭上を見上げると、
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魔法の絨毯に乗ったアラジンがいた。


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これは、ピーターパンかな。
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アラジンの乗った絨毯の後方に、ピーターパンらしきものが…


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三匹の子豚かな?


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これは何?

つづく

長岡 彫刻放浪:長野・上越・長岡(6)

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  • 直江津10:58発の信越線・長岡行きに乗車。当初は柏崎で乗り換えて、出雲崎に行くつもりだったのだが、雨が激しく降り出したこともあり、外を歩き回ることを考えると、ちょっと気持ちが萎えてきた。柏崎に着いたときの様子で判断しようかと。5分ほど遅れて、11:45頃、柏崎に到着すると、やはりざあざあ降り。最後の目的地の出雲崎はまたの機会ということにし、そのまま、終点の長岡まで行くことにする。
  • 長岡には12:28に到着。長岡も雨が降っているが、柏崎あたりに比べて、小降りだ(結局、夕方まで降ったり、止んだりが続き、日が沈む頃、晴れてきた)。新幹線のチケットをキャンセルして、早い列車で帰ることも考えたが、せっかくだから、野外彫刻の類を見て回ることにした。長岡駅周辺は、一度探ったことのあるのだが(→以前探ったときの日記はここ)、見残しているものもいくつかあった。まず駅の観光案内所で駅周辺の観光マップをもらい、どこに行くか、検討する。マップを見ると、西口・大手通りの子ども像や《まいまいひめ》像、東口のシンボルロードの像のことなどが書いてあったので、とりあえずこれらを観に行くことにした。

>参考:な!ナガオカ なぜここに? 謎の彫刻「まいまいひめ」から始まる、“彫刻の街”長岡を巡る旅 >参考:「松本保忠」彫刻ウェブサイト 展覧会・活動歴/野外彫刻作品

  • 大手通の子ども像 長岡駅西口の大手通(駅前通というやつだな)2丁目(大手通交差点と表町交差点の間)の左右の歩道に3基ずつの子ども像が設置されている。6基とも制作は元井達夫が担当している。

>参考:大手通商店街 大手通の歴史・ブロンズ像
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掲載順に、《お買い物》、《なかよし》、《風》、《あっ!花火》、《ないしょ!》、《さえずり》。


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廣井吉之助《まいまいひめ》(1958.7竣工)。白セメント製。表町交差点の北西側に設置(当初は道路の中央緑地帯に設置されていたとのこと)。廣井吉之助(1906−1986)は、長岡市出身の彫刻家。主に東京で活動したが、戦中に長岡に疎開し、戦後もしばらく在住した。戦後の復興にあたり、市内にいくつかのモニュメントを残している。検索:広井吉之助

  • シンボルロード 平成3年度(1991)~5年度(1993)にかけて、長岡市が整備した。1991年に長岡市美術協会彫刻部会員によって共同制作された「米百俵の群像」に引き続き、このシンボルロードの彫刻も、長岡市美術協会が委託を受け、彫刻部会員が制作を担当した。長岡市出身の童画画家・川上四郎(1989−1983)の作品を題材に7基の彫刻が制作・設置されている。

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元井達夫《川上四郎童画より 笛吹く少女》(1993年)

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堀田正《川上四郎童画より 春がきた》(1993年)

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川辺正作《川上四郎童画より 木の葉の旅-II》(1991年)


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内山良男《川上四郎童画より 木の葉の旅-III》(1993年)


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堀田正《川上四郎童画より 木の葉の旅-I》(1991年)


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松本保忠《川上四郎童画より あひるさんと散歩》(1993年)


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鷲尾正《川上四郎童画より かえるの船頭さん》(1993年)


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シンボルロードの国道352号線側の出入り口付近の、モニュメント。特に説明もなかったので、現地ではよくわからなかったのだが、このシンボルロードが越後交通栃尾線の跡地を利用したものとのことなので、それに関連したモニュメントなのだろう、と納得。

  • 市民文化公園のモニュメント シンボルロードを抜けたところから、東の方に公園らしきものが見える。なにかありそうなので、ちょっと立ち寄ってみることにした。公園は市民文化公園で、敷地内に長岡市立中央公園と長岡市民体育館があった。公園の北西角に石の大きなモニュメントがあった。

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縄文時代−馬高のビーナス−》(1993)。制作チームは、原型制作:元井達夫、石彫:釜沢石彫グループ、上組石材工業共同組合。説明板によると、長岡市大峰山から切り出された釜沢石を用い、表側(写真上)は長岡市の馬高遺跡から出土した土偶を、裏側(写真下)は縄文晩期の遮光器土偶をモチーフとして制作したものだとか。

  • いったん、長岡駅まで戻り、コーヒー休憩。帰りの新幹線まで、だいぶ時間がある。新潟県立近代美術館あたりに行きたいところだが、現在、建物のリニューアル工事中で、それもかなわない。とりあえず、先ほど観光案内所でもらったマップを参照し、駅周辺を適当に観光して、時間を潰した。夕方、駅周辺で、適当な夕食を適当に食らい、新幹線の待合室で本など読んで、時間を潰す。帰りの新幹線は、とき346号、長岡19:59発→東京 21:52着の予定。時間通りの運行で、23:00前には無事帰宅した。

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