彫刻放浪:日暮里周辺(1) 荒川区編(2)
- 月曜日につづき、荒川区の彫刻を探りに出かけた。今日は日暮里周辺を歩く。最寄り京成駅から京成津田沼駅乗り替えで、京成日暮里まで移動。50分弱。駅の構内というか、どの出口から出ていいのかがよくわからず少しうろうろしてしまったが、まずは駅前の彫刻から。なお、タイトル板や設置年については、下記の荒川区のサイトを参照した。
>参考:荒川区(公式)区内の彫刻作品について
- 日暮里駅
太田道灌騎馬像《回天一枝》(1989設置)。制作は橋本活道。荒川ライオンズクラブが結成25周年を記念して寄贈。
《山吹の花一枝》(2018.5寄贈)。制作は平野千里。荒川ライオンズクラブが寄贈。
《昇龍》(2008)。ひぐらしの里 第一種市街地再開発事業、西地区・中央地区・北地区共同制作記念モニュメント。「Hiroshi.T」のサインあり。
- 日暮里中央通り 日暮里駅前から250mほどの間に(2つ目の信号まで)、5基の彫刻が設置されている。以下、日暮里駅から順に掲載。
岡村謹史《闘うデボラ》(1987)。昭和62年(1987)度設置。
吉田隆《黒い天使》(1985)。昭和62年(1987)度設置。
小堤良一《響 Echo》(1987)。昭和62年(1987)度設置。
深田充夫《豊穣の門》(1990)。昭和62年(1987)度設置。
宮澤光造《雲の上》(1987)。昭和62年(1987)度設置。 検索:宮沢光造。
- 日暮里南公園
橋本活道《躍動の像》。昭和60年(1985)度設置。当初は噴水塔だったようだ。タイトル板なし
吉村榮雄《喪失した森から》(1990)。昭和62年(1987)度設置。 検索:吉村栄雄
重岡建治《躍動》。昭和62年(1987)度設置。タイトル板は見当たらなかった。
彫刻放浪:千住大橋→町屋(2) 荒川区編(1)
- 荒川八丁目南公園
御正進《大空へのはばたき》(1995)。平成6年(1994)度設置。
- 荒川公園 revisited 時間に余裕があるので、荒川公園を再訪することにした。荒川公園は以前一度訪ねているが(最初の訪問記はここ)、そのときは荒川区長賞の作品は載せていなかったので、今回掲載(あれ、1作撮り忘れている…)。
青野セクウォイア《Black Gaze I》。平成19年(2007)度設置。東京藝術大学大学院修了制作作品・第2回荒川区長賞受賞。
原田桃葉《ふ》。平成27年(2015)度設置。平成27年度東京藝術大学卒業・修了制作作品・第10回荒川区長賞受賞。
今井亮介《青年の肖像》。平成28年(2016)度設置。平成28年度東京藝術大学修了制作作品・第11回荒川区長賞受賞。
中澤安奈《信じていること》。平成23年(2011)度設置。平成23年度東京藝術大学卒業制作作品・第6回荒川区長賞受賞。
菊地言美《パレス》。令和元年(2019)度設置。令和元年度東京藝術大学修了制作作品・第14回荒川区長賞受賞。
芝辻健吾《五劫思惟群像》。平成23年(2011)度設置。平成23年度東京藝術大学卒業制作作品・第6回荒川区長賞受賞。
石川洋樹《石花(SEKIKA)》。平成22年(2010)度設置。平成22年度東京藝術大学卒業制作作品・第5回荒川区長賞受賞。
天野浩子《ふたり》。平成20年(2008)度設置。平成20年度東京藝術大学大学院修了制作作品・第3回荒川区長賞受賞。
「トルハルバン」(2009.1寄贈)。平成20年(2008)度設置。2006年2月、荒川区と友好都市提携を結んだ済州市から贈られたもの。説明板によると、トルハルバンは「石で作ったおじさん」の意で、村の入口や施設の正門前などに置かれる済州の代表的な石像物で、災いを防ぎ、平和をもたらすと言われているとのこと。再掲。
で、最後に、北村西望《夢》(1982.11設置)。昭和57年(1982)度設置。再掲。東京荒川ライオンズクラブと荒川区制施行五十周年記念祭実行委員会による寄贈。
- 荒川自然公園
都電・荒川二丁目電停裏の名標。これは再掲。
鷹尾俊一《波》(1982)。昭和63年度(1988)設置。荒川自然公園南口。
日高頼子《重奏》(1976〜77)。昭和63年度(1988)設置。白鳥の池の南側。
峯田義郎《風考−空へ−》(1974)。昭和63年度(1988)設置。児童遊園の南側。
荒川自然公園・児童遊園のジャングルジム
- 一本松グリーンスポット
一色邦彦《愛》。平成5年(1993)度設置。
なお、この像の大きなヴァージョンがひたちなか市文化会館前にある。
ひたちなか市文化会館前の一色邦彦《愛》。[2019.1.4撮影]
「寛文八年九月銘庚申塔」。もともとこの場所には「町屋の一本松」と呼ばれる松があり(元禄6年[1693]に植樹された。戦災で枯死)、この庚申塔はその根元にあったという。寛文8年(1668)9月の銘があるので、松はこの庚申塔の傍らに植えられたのだろう。このグリーンスポット(1994設置)は町屋の一本松に由来するという(以上、説明板による)。
彫刻放浪:千住大橋→町屋(1) 荒川区編(1)
- 今日は荒川区の彫刻を探る第一弾。ということで、最寄り京成駅から京成津田沼、高砂で乗り換えて(実は高砂で押上方面の電車に乗ってしまい、慌てて青砥で乗り換えた…)、千住大橋で下車。約50分。ここから千住大橋を渡り、荒川総合スポーツセンター周辺などを探る予定。なお、荒川区の野外彫刻については、下記の荒川区のサイトなどを参照した。
>参考:荒川区(公式)区内の彫刻作品について
- 千住大橋とその周辺
大橋公園の「奧の細道 矢立初めの地」碑。千住大橋の北詰(足立区側)。
足立区側の護岸に「奥の細道」テキストと蕪村画の該当部分が写してあった。
五蘊洞というギャラリーの前に小さな女性像があった。
浦山一雄《夢現》(1989)。平成10年(1998)度設置。荒川区立荒川ふるさと文化館・荒川区立南千住図書館前に設置。
金子兜太「荒川千住芭蕉主従に花の春」句碑(2017.3建立)。荒川区立荒川ふるさと文化館・荒川区立南千住図書館前に設置。
旧千住製絨所煉瓦塀。ライフ南千住店の東側。1879年(明治12)に操業を開始した官営工場、千住製絨所の東側の塀。
- 荒川総合スポーツセンターとその周辺
御正進《春のうたが聞こえる》(1984)。昭和60年(1985)度設置。スポーツセンターの南側の歩道に設置。
橋本次郎《光影》(1974)。昭和60年(1985)度設置。スポーツセンターの南側の歩道に設置。
《井上省三像》。千住製絨所の初代所長。スポーツセンターの西側に設置。
浦山一雄《影》(1982)。昭和60年(1985)度設置。スポーツセンター(グラウンド)の北側に設置。この作品以下の5作は、先年のスポーツセンター改修に伴い、グラウンドの北側に移設。
黒川晃彦《馬上のあの人》(1981)。昭和60年(1985)度設置。スポーツセンター(グラウンド)の北側に設置。荒川区の区長、区議会の補欠選挙のポスター掲示板が彫刻の前に設置されていて、写真を撮るのに一苦労。かなり怪しい人だったかも笑
峯田義郎《Afternoon》(1985)。昭和60年(1985)度設置。スポーツセンター(グラウンド)の北側に設置。この像もポスター掲示板のうしろになっていた。
工藤健《愛の変容》(1981)。昭和60年(1985)度設置。スポーツセンター(グラウンド)の北側に設置。タイトル板には「1982」とあったが、像の足下にサインとともに「81」とあったので、こちらを採った。
重岡建治《昇華》(1985)。昭和60年(1985)度設置。スポーツセンター(グラウンド)の北側に設置。
藤巻秀正《露の季節》。平成5年(1993)度設置。千住間道グリーンスポット(スポーツセンターの少し西)に設置。
彫刻放浪:葛西親水四季の道と西葛西駅周辺、他(2)
- 西葛西駅北口
高橋剛《躍》(1989/1998.3設置)。東京江戸川ロータリークラブ創立25周年記念。
- 西葛西駅南口の長谷川昂3作品 長谷川昂『風と道 木が好きで90年』(三五館、2000.5)巻末の年譜、1979年の項にある「「小さな悪魔」「砂遊び」「水辺」ブロンズ三点、地下鉄東西線西葛西駅前クスノキ広場に設置」とあるのが、以下掲載の3基だろう。タイトル板などは見当たらなかった。
「砂遊び」か?
「小さな悪魔」か? 千葉市の千葉公園に同じ像(ただし、セメント像?)がある(→ここ)。
「水辺」か?
- 新長島川親水公園
親水公園ではなく、新田の森公園にあったライオン像。ちょっと哀愁が漂っていた笑
鈴木厚《日の光》。花壇の中の向かい合う女性像。タイトル板やサインなど見当たらなかったが、鈴木厚のHPを参照した。>彫刻家・画家 鈴木厚 鈴木厚(1959〜)は千葉県出身の陶芸家・彫刻家・画家。取手にアトリエがあるようだ。鈴木実の息子。
楽器を演奏する二人の子ども像。両像とも足下に「'92」masumi」のサインあり(とさかますみ?)。gmに「朝陽と夕音」と出ているが、それがタイトルか? 新左近橋の北詰に設置。
葛西臨海公園の大観覧車。こ、こわいので、絶対に乗らない笑
谷口吉生建築のクリスタルビュー。久しぶりに行ったら、なにやらBBQハウスやら、何やらが出来ていた。臨海公園に遠足に来る児童がけっこういて、海側の広場で昼食を食べたあとの子ども達が駆け回っていた。
彫刻放浪:葛西親水四季の道と西葛西駅周辺、他(1)
- 葛西親水四季の道 江戸川区には18の親水緑道があり、そのいくつかには彫刻を配置しているそうだが、今回は先日訪ねた左近川親水緑道に続いて、葛西親水四季の道を歩いてみることにした。全体で、9基の野外彫刻が設置してあり、それぞれ見応えのある作品であった。
脇谷徹《笛吹く少年》
川島猛《双会》
長島1号公園の、長谷川昂《道》(1978設置か?)。再訪。公園の北側が四季の道に接している。前回よりはちょっとましな写真が撮れるかなと再訪した(あまり変わらないか?)。長谷川昂『風と道 木が好きで90年』(三五館、2000.5)巻末の年譜、1978年の項にある「「道」ブロンズ並びに詩碑を葛西公園に建設」とあるのが、本作と思われる。以下、詩碑にある詩を写しておく(一部用字を変えた)。
道
昔々の道でした
江戸川河畔長島郷
テレビもラジオも電灯も
何にもなかった農村に
学校だけがありました
毛布を上手に身に巻いて
小さなダルマの兄妹が
嵐の原っぱかけ抜ける
吹雪の朝もありました
みぞれの午後もありました
走りつゞけるその前に
大きな未来がありました
誰も知らない素晴らしい
不思議な國がありました
昂
柳原義達《道標−鳩》。再訪。長島1号公園の北側、四季の道と重なる路上に設置。
山崎隆《箱と花崗岩》
鈴木久雄《足のある風景》
山崎公裕《大いなる人》
保田春彦《古址のある邑》
土谷武《握手する人》
岩岡道雄《閘門へのオマージュ》
山崎嘉久《記憶の柱》
遊歩道のところどころに、動物を象った小さな像があった。写真4枚目はカンガルーだが、両耳とも破損し、耳は足下に置かれていた。追記(2021.3.15):浜田彰三(公式)の略歴によると、葛西四季の道に4基の石像を制作しているとのことなので(1990年)、掲載の4基の動物像の作者は浜田彰三かもしれない(未確認)。
彫刻放浪:金町駅周辺と水元公園
- 今日は天気もいいことだしと、一度行ってみたかった水元公園に出かけることとした。最寄り京成駅から高砂経由で京成金町まで。10:40頃、到着。1時間弱。
- 金町駅周辺(1) まず金町地区センター前に設置されている晝間弘の女性像を訪ねる。
葛飾区金町地区センター前の、晝間弘《思》。鋳造:三浦七郎、石工:新川昇。
- 水元公園 続いて、お目当ての水元公園を目指す。公園での最初の目的地が水のいきもの館裏の久保田俶通作品なので、バスではなく、歩くことにした。20分強。無事に到着。この辺りは、以前、水産試験場のあったところらしい。水辺に沿って、北上。平日の午前中のせいか、お年寄りが多い。散策・ウォーキングや釣りをしている。水元大橋を渡り、その北側にある北村西望作品に立ち寄る。さらに北に向かい、以前、水元青年の家があったという(建物は残っていない)芝地で、晝間弘の男性像を観覧。しばらく水辺を散策し、バーベキュー広場あたりで、公園を出て、上新記念公園へ向かう。
久保田俶通《水の恵み》(1984.3)。水のいきもの館裏、ハス池前に設置。以前は水のいきもの館(というか、水産試験場の建物)の前にあったものが、現在地に移設されたようだ。
北村西望《花吹雪》(1961)。台座は西望好み。水元大橋の北側に設置。
晝間弘《大気》(1964)。第7回日展文部大臣賞受賞作。水元公園サービスセンターの北側(以前、水元青年の家があったところ)に設置。
水元公園のベンチ。
上新記念公園の、母子像。上新土地区画整理完成記念碑。1980年11月設置。台座裏の「母子像建立誌」の関係者一覧の最後に「設計測量 (株)大坪測量事務所」母子像 (株)前田商事」とあったが、前田商事は母子像を調達、あるいはプロデュースしたのだろう。未確認だが、花田一男の制作らしい。
- 金町駅周辺(2) さすがに歩き疲れたので、最寄りの水元そよかぜ園バス停から金町駅までバスに乗った(10分に1本あり)。バス停に着くと、すぐにバスがやってきた。いつもは到着直前に目の前をバスが通り過ぎていくことが多いので、ちょっとうれしい。10分強で到着。再び駅周辺の野外彫刻の類を探り、京成の柴又駅まで歩いて、高砂経由で、最寄りまで戻ってきた。平日でもそこそこ人がいたので、柴又駅前の寅さんとさくらの写真はない。
ヴィナシス金町の、綿引道郎《母と子−慈愛・敬慕》(2009)。ちょっと怖い風貌の母子像。ヴィナシス金町は、JR金町駅南口の中央図書館の入っている複合ビルで、この像は敷地の南東に設置。他にもオブジェっぽいものがいくつかあった。また、3Fの中央図書館・入口に綿引道郎の別の作品もあったが、館内撮影不可だったので、写真はない。
松丸ビル前の、重岡建治《家族》(1996)
葛飾区福祉事務所東庁舎の、花田一男《母子像》(1962.5.29設置)。東京都葛飾福祉事務所庁舎(葛飾区総合庁舎)落成記念に寄贈・設置。作者と民生委員の1人が寄贈。1984年3月、福祉事務所東庁舎竣工に伴い、当初設置の葛飾区総合庁舎から移設(台座に記載あり)。