ときわ台→上板橋・板橋区編 彫刻放浪:光が丘周辺、ときわ台→上板橋→平和台(4)
- ときわ台北口・噴水広場
噴水池と人物像。像の台座に、駅前広場再生の経緯を記した「昭和三十四年八月」付の石板がついていた。それによると、戦後荒れ果てていた駅前広場を、常盤台小学校の児童らが美化に努めたことをきっかけに、有志が東京都や板橋区、その他、関係各所にはたらきかけ、美化再生を推し進めたとのこと。
噴水広場にあったペリカン像。口に穴があったので、かついては噴水などに使われていたものかな。作者は不詳だが、サインがあった(解読中)。
瀬戸剛《空へ》(1988)。中央図書館の南側に設置。
高橋剛の母子像(1986.12設置)。台座に「昭和六十一年十二月二十六日開園」とあったので、公園開園に合わせて設置されたのだろう。
少女が男児に花かんむりをつけている像。タイトル・作者などは不詳。中央図書館裏手(北側)、公園の東出入口付近に設置。これと同じ像(《花のかんむり》)が柏の葉にもあった(→ここ)。
この石組みは噴水塔かな?
とんぼとりの像。タイトル・作者などは不詳。公園の南西側出入口付近に設置。
- 板橋区立教育科学館
「メービウスの帯」。科学館の北東側に設置。
南極観測船ふじのスクリュー。1965年のふじの竣工時に作られた予備の1枚だとか。科学館の北東側に設置。
光が丘周辺(2)・練馬区編 彫刻放浪:光が丘周辺、ときわ台→上板橋→平和台(3)
- 東京都立光が丘公園 光丘高校口から光が丘公園に入り、けやき広場をめざしてふらふらと歩く。しかし、広いな。
平和祈念碑「平和への祈り」(1995.8.15設置)。像のタイトルは《健やかに》。制作は田中昭。練馬区による。体育館と図書館の間あたり設置。
公園の入り口付近にある「光のアーチ」。
クジラのオブジェ。練馬光が丘病院の少し南に設置。ペデ上。
ペデの入り口付近にあるウェルカムアーチ(でいいのかな?)と園名石。手前の園名石の制作は、制作:志津雅美、三上浩、他、意匠・制作監理:志津雅美で、1988年の制作設置。>参考:志津雅美の昔は昔の(公式)
- 練馬区立光が丘区民センター
三坂耿一郎《邂逅》(1982?/1990.11設置)。練馬区による(28)。
関谷光生《sonata》(1992.3設置)。練馬区による(33)。
篠崎明雄《花咲く乙女達より》(1984.10設置)。練馬区による(6)。
- 板橋区立赤塚新町公園、他 団地の中を抜け、さらに北に進む。このあたりから板橋区になる。まず、ゆりのき通り北団地の中にあるオブジェを観て、さらに北に進み、団地を抜け、赤塚新町公園に至る。ここで少女像を観てから、東に歩き、地下鉄赤塚駅まで。このパートの最後に、1番出入口付近に設置されている鎌倉古道碑を観覧。もうおやつの時間だが、駅の周辺でおそい昼食を食らい、東武線で、ときわ台駅まで移動する。
タイトル不詳のオブジェ。下方に「TOSAKA」のサインあり。ゆりのき通り北団地の4号棟の南側に設置。光が丘公園の西側にあたるこの辺も光が丘パークタウンの一部のようだが、このゆりのき通り北は、練馬区ではなく、板橋区になる。
《おおい!こっちだよ》(1982)。制作チームは、原型制作:志津雅美、肥田いわね、森啓子、ブロンズ鋳造:広瀬敬二、意匠・制作監理:志津雅美。住宅・都市整備公団による。ゆりのき通り北団地の北側にある板橋区立赤塚新町公園に設置。>参考:志津雅美の昔は昔の(公式) itacco「赤塚新町公園の少女像を追う」(2018.5.14)
「鎌倉古道」碑。地下鉄赤塚駅1番出口付近。
光が丘周辺(1)・練馬区編 彫刻放浪:光が丘周辺、ときわ台→上板橋→平和台(2)
- J.CITY TOWER
鈴木尚和《宇宙からの贈物 '94(目覚めよ、夢美愛)》。J.CITY TOWERの西側の緑地に設置。
鈴木尚和《宇宙からの贈物 '94(蘇れ、夢美熱)》。J.CITY TOWERの東側の緑地(池の中)に設置。
船山滋生《トウ・シューウズ》(1984)。管理棟の前に設置。写真だと大きく見えるが、小さめの像だった。
小口一也《FACE》(1984.7)。
- 8の字公園 大通り南団地の春風公園を挟んで反対側にある光が丘パークタウン・大通り南7番街にある小公園(というか、小広場?)。8の字公園の名称はgm記載によったのだが、特に名標の類は見当たらなかった。ひょっとして、下記掲載の大貝滝雄作品による通称かな。(実は見落としてしまい、《光が丘灯台》を観た後に戻ってきて、観覧した。)
大貝滝雄《Let it be》(1985)
- 春風公園 春風公園を北に歩く。お目当ての三坂制作品は、公園の北、歩道橋入り口の少し南にあった。
三坂制《あそぶ》
- 四季の香公園 歩道橋を渡ると、さらに北に公園が続く。こんどは四季の香公園というそうだ。公園の南側の遊具のあるあたりに、もう1基、三坂制作品が設置されていた。これを観覧した後、公園を北に進み、「であいの石」あたりから、東に進み、光が丘西大通りを渡り、公園を南に歩く。このあたり、ハーブガーデンとかがあるのだが、まだ工事中だった(中に鹿の像があった)。公園の外、南側に《光が丘灯台》があった。
三坂制《午后》。
「であいの石」
- 練馬区立旭町南地区区民館 続いて、光が丘西大通りを北に歩き、旭町南地区区民館→こひつじ公園→八丁堀児童公園と回る。
山本民二《秋暑の日》(1993.3設置)。練馬区による(34)。なのだが、今年の6月末まで続く大規模改修工事のため、仮設壁に囲われていて、観覧はかなわなかった。隙間からちょっとだけ見えたので、写真を撮る。まあ、撤去はされないようなので、次回を期す。それにしても、工事だというのに、像の養生とかしないのね。
- 練馬区立こひつじ公園
分部順治《かたらい》(1985)。東京都文化のデザイン事業による。
- 練馬区立八丁堀児童公園
分部順治《牧場の朝》(1986)。東京都文化のデザイン事業による。
高野台周辺(練馬区編) 彫刻放浪:光が丘周辺、ときわ台→上板橋→平和台(1)
- 今日は、練馬区にある野外彫刻を、主に光が丘を中心に観て回ってきた。
- 最寄りから京葉線・武蔵野線・東西線・有楽町線・西武線を乗り継ぎ、練馬高野台駅で下車。11:20過ぎに到着。2時間弱かかった。ここからは徒歩で、最初の目的地の練馬区立生涯学習センター分館を目指す。途中、西友があったので、立ち寄って、最近マイブームの西友のアップルパイ(けっこう大きなリンゴが入っている。105円)などを購入。どこかの公園で食べようかなと。
関谷光生《脱ぐ》(1982/1987.12設置)。練馬区による(19)。
伊藤五百亀《うたかたの譜》(1974/1984.10設置)。練馬区による(3)。
- 関根伸夫作品 体育館の後、笹目通りに出て、北に向かって、ぶらぶら歩き、光が丘方面を目指したのだが、笹目通りに出ると、すぐのところ、道の反対側に関根伸夫っぽい彫刻を発見。横断歩道を渡って、確認しに行ったら、はたして関根伸夫作品だった。
関根伸夫《虹のある風景》(1983)。谷原二丁目交差点の南西側(谷原2-1-26)。
彫刻放浪:茂原(2)
- 茂原市役所周辺
神野義衛《とこしえ》(1996.5設置)。茂原市の新庁舎落成を記念して、茂原ロータリークラブ、茂原中央ロータリークラブ、茂原東ロータリークラブが寄贈。
《松本紋四郎氏之像》(1969.11建立)。立体写真像。松本前市長胸像建設委員会による。松本紋四郎は初代の茂原市長。
タイトル、作者不明のオブジェ。タイトル板らしきものがあったが、文字が完全に消えていた…
土橋慶光《つゝじの乙女》(1996.10設置)。双葉電子工業株式会社の寄贈。
名嘉地千鶴子《火星の番人》(1996.5設置)。作家本人の寄贈。
健康保健都市記念像《健やか》(1989.11設置)。制作は佐藤信夫。茂原市による。
名嘉地千鶴子《赫》(1989.6設置)。
- 茂原市中央公民館
佐藤髙元《愛と希望》(1949.3/1974.4設置)。茂原ラオインズクラブがチャーターナイト10周年を記念して寄贈。検索:佐藤高元
- 長生合同庁舎
三澤憲司《飛翔》(1991)。検索:三沢憲司
- 一の宮川にかかる橋など 市内を流れる一の宮川にかかるいくつかの橋に彫刻が設置されていると知り、そのうちのいくつかを最後に訪ねることにした。国道128号線を南に歩き、409号線と合流する交差点で東に折れ、八千代中央通りを少し歩き、一の宮川に行きあった後は、川沿いにのんびり歩く。川沿いに桜が植えられてあるが、残念ながら、花はすでに散った後で、かすかな名残が観られるのみ。彫刻のある橋は、明治橋、日進橋と観覧したが、時間切れで、日新橋の彫刻を観た後、茂原駅に戻る。この他にももう少し先にある旭橋にも彫刻があるようだが(他にもあるかもしれない)、こらは次回に期すことにした。日進橋のすぐ近く、大多喜ガスのサービスセンター前にも彫刻があったが、写真は撮っていない。
アマビヱ様。国道128号線と409号線の合流地点の少し北の東側に設置。市内の方が新型コロナウィルスの終息を願い、チェーンソーで彫ったとのこと。2020年5月の設置。
佐藤髙元《そよかぜ》。明治橋の川上(西)側の親柱に設置されていた。あまり大きな像ではない。北詰と南詰に同じ像が設置。写真は北詰のもの。明治橋は1989年3月竣工なので、その頃の設置だろう。
名嘉地千鶴子《花嫁 Kei》(1993)。日進橋は1998年3月竣工なので、設置はその頃。日進橋の川上(西)側、橋の中央に設置。(株)日立製作所の寄贈。
土橋慶光《春雷》(1997)。日進橋は1998年3月竣工なので、設置はその頃。日進橋の川下(東)側、橋の中央に設置。(株)日立製作所の寄贈。
日進橋の親柱。
大多喜ガスサービスセンター前の彫刻
旭橋の親柱の彫刻
彫刻放浪:茂原(1)
- 茂原駅周辺
茂原駅南口のモニュメント。作者などは不詳。茂原は七夕祭りが有名なので、その飾りをモチーフにしたものなのかな?
平和都市宣言記念像《春の詩》(1992/1992.3設置)。制作は佐藤髙元。茂原市による。なお、茂原市の「平和都市宣言」は1990年12月25日付で出されている。茂原駅東口に設置。検索:佐藤高元
- 茂原市市民体育館 線路沿いの遊歩道を20分ほど歩いて、茂原市市民体育館へ。実は茂原の彫刻はもっと以前に観にくるつもりだったのだが、市民体育館が長期の改修工事に入ったため、体育館周辺の野外彫刻が観られないかなと延期していた。2021年4月1日に市民体育館がリニューアルオープンしたと知り、今日、訪問することにした次第。
澤田政廣《飛躍》(1983.7建立)。茂原市施行30周年記念事業として、市民体育館落成を記念して建立。
佐藤髙元《海原に立つ》(1982.9/1982.11設置)。茂原市建設業組合の寄贈。まあ、体育館なので。
《千葉天夢先生像》(初代像は1935.12建立/1985.12再建立)。制作は澤田政廣。この像は2代目で、初代像は1935年(昭和10)12月、道徳顕彰事業として、長生中学校(現・長生高等学校)に建立されたが、例によって戦時中に供出・溶解。1984年、この像の石膏原型が茂原高等学校に保存されていることがわかり、澤田政廣自身による修理を経た原型により、1985年12月、現在地に再建立された(台座の説明板による。ただし、一部補足)。茂原公園駐車場前・JA長生隣に設置。
《麻生誠一先生像》。茂原公園内に設置
- 茂原市立美術館・郷土資料館 茂原公園のいちばん奥(いちばん西側)に、茂原市立美術館・郷土資料館があり、その前の広場に3基の野外彫刻が設置されていた。写真は撮っていないが、美術館のエントランスロビーにも、主に茂原市にゆかりのある(茂原市出身、あるいは在住の、ということね)作家、名嘉地千鶴子や佐藤髙元らの作品が展示してあった(中でも名嘉地作品が、以前展覧会をしたこともあってか、数が多かった)。
名嘉地千鶴子《蒼》(1994.4設置)。茂原ライオンズクラブがチャーターナイト30周年記念事業として美術館開設に合わせ寄贈。名嘉地千鶴子(1925-)は、佐賀県出身の彫刻家で、1980年から茂原市在住。澤田政廣に師事。主に日展で活動。>参考:茂原市(公式) 名嘉地千鶴子(彫刻)
澤田政廣《恒和呼笛》(1995.8.15設置)。茂原市が戦後50年を記念して平和の像として設置。
武荒信顕《あなたと・・・》(1994)。>参考:茂原市(公式) 武荒信顕(モニュメント)
- 常在山 藻原寺
藻原寺山門
藻原寺本堂
日蓮大聖人大銅像。藻原山山頂に高さ20mの日蓮大聖人の大銅像を建立するべく、その台座のための資金を募っているとのことで、とりあえず顔の部分を鋳造・設置したのだとか。
こちらの日蓮大聖人像は、10分の1サイズとのこと。
白鬚周辺と八広 彫刻放浪:千住大橋→水神大橋→八広(2)
- 墨田区立梅若公園
《勲一等正二位 子爵 榎本武揚像》(1913.5建立)。原型制作:田中親光+藤田文蔵、鋳造:平塚駒次郎。
- 墨田区立白鬚公園
白鬚公園のオブジェ。もと噴水だったのだろうか? 作者などは不詳。
墨田区立長寿庭園の北側出入口に設置されていたオブジェ。作者などは不詳。
工藤健《肩車》
すみだ生涯学習センター「ユートリヤ」のオブジェ。作者などは不詳。
- 八広 ユートリヤに立ち寄った後、曳舟文化センターの野外彫刻を観に行ったのだが、改修工事中で仮設壁に囲まれていて、観覧はかなわなかった(彫刻は一時?撤去の模様)。続いて、本日最後の作品に向かう。
池田宗弘《旅人 仲間と》(1995.3.3/1995.3設置)。墨田区の「まちかどアート事業」による。
- 帰りは、八広駅から京成線で、3回乗り換えて、最寄りの京成駅まで。何事もなく、50分ほどで到着。