西荻窪六童子めぐり(杉並区編) 彫刻放浪:三鷹→武蔵関→西荻窪(3)
善福寺池に吊られた鯉のぼり
《内田秀五郎翁像》(1953.6建立)。作者は不詳。内田秀五郎翁銅像建設協賛会による。
「西荻窪六童子めぐり」案内板。これは、西荻窪駅南口花壇の《花の童子》の傍らにあった。六童子像は、西荻窪商店街がまちの活性化のために2009年春に設置したものとのこと。>参考:西荻ナビ・西荻ニュース 2010.3.15
籔内佐斗司《上向き童子》。以下、台座にあった文面を掲載しておく。
おっと
うつむきゃ涙がこぼれる
いつでも楽観
上向き童子
- 地蔵坂
今は知らないあなたとあなた
ぼくが繋いであげようか
ご縁のいとの両端を結べばできるえにしのわ
- 杉並区立井荻公園
不老長寿の仙薬は
早寝、早起き、朝の露
日の出とともに飲み干せば
精気横溢、回春萬歳
公園出入口の柱の上にも彫刻があった。
- 西荻北公園
斎藤史門《飛び魚》(1992)
- 杉並区立西荻北中央公園
我何日踰龍門
(我いつの日か龍門を踏む)
大貝滝雄《いぶき》。正面からだと、植え込みがものすごい繁茂でよく見えなかったので、横(写真1枚め)と後ろ(2枚め)から撮った次第。
- 西荻窪駅南口
象の背中に揺られつつ、
あなたにお花を届けます
すこし沈んだこころにも
希望の花が咲きますように
- 西荻南児童公園
八卦よいよい、のこったのこった
おいこまれても押し返し
艱難辛苦もうっちゃりうっちゃり
勝っても負けてもうらみっこなしさ
練馬区編・関町周辺を中心に 彫刻放浪:三鷹→武蔵関→西荻窪(2)
矢野秀徳《花ごよみ》(1985.10設置)。練馬区による(11)。遊具のある広場の北側に設置。
松井如流 書碑「丹愚」(2000.3設置)。東京書道会の寄贈。「丹愚」はまごころの意だとか。遊具のある広場の南側に設置。
小池藤雄《蒼い空》(1993.8設置)。練馬区による(35)。前庭に設置されているが、中に入れず、近づけなかったので、台座周りは確認していない。
- 関区民センター 来た道を引き返し、再び踏切を渡って、そのまま南方向に歩く。10分ほどで、到着。
古賀晟《夢路 振り返ってみれば》(1995.12設置)。練馬区による(38)。
- 練馬区立関町図書館 続いて、南方向に歩く。再び青梅街道を渡り、もう少し南に下り、図書館に到着。10分ほど。
寒河江淳二《小さきものたち》(1987.12設置)。練馬区による(18)。
分部順治《妖》(1990.12設置)。練馬区による(29)。真っ黒で済まぬ。
武蔵野市編 彫刻放浪:三鷹→武蔵関→西荻窪(1)
- 今日は、練馬区編の続き。練馬区関町周辺を中心に、以前から気になっていた三鷹周辺、武蔵野市役所周辺の野外彫刻を探ってみることにした。ルートは、三鷹駅から北上して、練馬区に入り、関町周辺を歩くというプラン。また、先日、西荻窪駅周辺に籔内佐斗司の六童子像があることを知ったので、練馬区を探った後は、善福寺公園を抜けて、南東に歩き、西荻窪駅周辺の野外彫刻も併せて訪ねることにした。つまり、武蔵野市・練馬区・杉並区と歩こうかと(実はほんのちょっとだけ西東京市も歩いた)。まあ、天気もいいし、のんびりいこう!
- 最寄りから西船橋経由で東西線・中央線を乗り継いで、三鷹駅まで最安値ルートで移動。だいたい1時間30分ほど、10:10頃には到着。
- 三鷹駅北口周辺 まず三鷹駅北口周辺を探る。北口は三鷹市ではなくて、武蔵野市なのね。北口駅前ロータリーの、《世界連邦平和像》は再訪だが、暮かけていたり、クリスマス時のイルミネーションに囲まれていたりで、これまであまりいいタイミングでは訪ねていないので、今回はじっくりと観覧。また、北口交番の隣に国木田独歩の詩碑があることは、今回初めて知った。その後、少し早いが駅前で昼食を食らい、次の目的地に向かう。
北村西望《世界連邦平和像》(1967/1969.11建立)。大阪城公園にも西望の《世界連邦平和像》(1973.11設置)があるのだが、それはこの像とは別の像(→ここ)。台座には、西望筆の銘板の他、次のような文面がやはり西望筆で付されている。
全面的破滅を避けると
いう目標は 他のいかなる
目標にも優位
しなければならぬ
アインシュタインの平和
原則にのっとり 武蔵野
市議会は 一九六〇年
世界平和連邦宣言を
議決した
戦争も平和もともに
人間の心に発する
女神よ願わくは 地の
はてまでも 天翔けり
全人類ひとりひとりの胸に
聖火を点せられよ
一九六九年十一月建之
武蔵野市世界連邦
平和像建設委員会
西望筆
「獨歩詩碑」(1951.3建立)。武蔵野市による。制作チームは、碑文:武者小路実篤、肖像レリーフ:佐土哲二(独歩次男)、施工:米内石材店。碑文は「山林に」自由」存す」。
朝倉響子《女 Woman》(1970)
- 成蹊大学正門前けやき並木 五日市街道を南東方向に10分ほど歩いて、成蹊大学の正門前まで歩く。ここで山本正道作品を観覧。そのままけやき並木を歩く。途中に、成蹊学園の教員でもあった中村草田男の句碑があった。
山本正道《こもれび》(2000.3設置)
中村草田男句碑「空は太初の青さ妻より林檎受く」(2011.11建立)。句は1946年の作。成蹊学園創立100周年を記念して建立。
- 武蔵野市けやきコミュニティセンター 小畠廣志の女性像がけやきコミュニティセンターの中庭にあることを知り、立ち寄った。小畠廣志(1935-1996)は武蔵野市出身の彫刻家で、東京藝大で彫刻を学んだ後(菊池一雄研究室)、主に二科会で活動。その後、美学校から独立したKOBATAKE彫刻工房で、後進の指導をした、とのこと(wikiなどを参照)。
小畠廣志《花》(1999.5設置)。中庭に設置。検索:小畠広志
- 武蔵野総合体育館周辺
小畠廣志《勝利》(1958)
倉田光太郎《連奏》(1989.11)
小畠廣志《こども平和像》(1990)。武蔵野市世界連邦宣言30周年記念。
- 武蔵野市役所周辺
北島一夫《生きる》(1972/1986寄贈)。写真の通り、市役所を囲む池の中に設置されていた。
北村西望《花吹雪》(1980.5設置)。波ありバージョン。武蔵野市役所新庁舎落成を記念して制作。武蔵野市編の最後も北村西望作品を掲載。波なしバージョンも含めると、《花吹雪》は相当数観たと思うが、一度、上の方から眺めてみたい。
彫刻放浪:豊洲→新木場
五十嵐威暢《Sky dancing》(2005)。豊洲運河に面した建物に設置。
- 日本ユニシス本社前の石のオブジェ
前庭(江東区豊洲二丁目交差点)に、石のオブジェが多数置かれていた。
- 豊洲2、3丁目の産業遺構 豊洲2、3丁目には、かつてこの地の造船工場で用いられた遺構や遺物がオブジェのように設置されていた。数が多いので、全部を見て回れなかったが、行き当たったもののうち、いくつかを下記に掲載。>参考:豊洲2・3丁目地区まちづくり協議会 産業遺構
- 豊洲IHビル周辺
何やら現代アートっぽいな、と思ったら、豊洲IHビルの名標だった。かっけー。
飯塚八朗《PROGRESS》(2006)。IHIの代表的製品である航空エンジンのファンブレードをモチーフにした作品とのこと(タイトル板)
吉水浩《Nebula》(2006)。なお、館内アトリウムに、この作品に呼応した同じ作者の《Infinity》(2006)が設置されていた(写真はなし)。
- 豊洲キュービックガーデン、豊洲フォレシア、豊洲フロントの周辺 豊洲2、3丁目の中心になるところで、低層に飲食店や商業施設の入ったオフィスビルが3棟並んでおり、その周りに緑や水の流れが配置され、居心地のよい空間になっていた。また、いくつか産業遺構をモチーフにした現代アート作品も設置されていた。
金沢健一《響体》(2011)。手で叩くと、さまざまな音(響)がする。キュービックガーデンの西側角に設置。
これも、金沢健一《響体》(2011)。別の《響体》がすぐ近くにもう1基設置されていた。
岸本真之《Please gear down》(2011)。これは造船工場で使われていた歯車をモチーフにしたアート・ベンチ。キュービックガーデンの西側に設置。
中村哲也《トルクベンチ》(2014)。これもアートベンチ。車輪とレールは産業遺構をそのまま利用している。フォレシアの西側に設置。
des+art《トヨスノコシカケ》(2010)。産業遺構の歯車を利用したアートベンチ。フロントの西側に設置。
名和晃平《VIA-WALL》(2010)。フロントの南西角に設置。
plaplax《ルミナミオ》(2010)。暗くなると舟の中のLED照明が点くらしい。フロントの南東角に設置。
タムラサトル《ライトアンカー》(2014)。フォレシアの南西角に設置。
豊洲2丁目公園のバーゴラ。
豊洲センタービルの北側庭園の、片桐宏典《海の響き》
- 豊洲駅周辺
《豊洲今昔物語》(2013.3)。制作チームは、原画・監修:宮田亮平、制作:クレアーレ工房、協賛:メトロ文化財団。豊洲駅3番出入口付近(地下)。
《白虎》。江東区内の四神モニュメントの一つ。作者などは不詳。豊洲シビックセンター前に設置。
湯村光《立ち上がる波》(2006)。豊洲シエルタワーの西側、万福食堂豊洲駅前店前に設置。
- 錨のプラザ
髙須英輔《極(KIWAMI)》(2004)。ビルの前(駐輪場?)に設置。
髙須英輔《階(KIZAHASHI)》(2004)。運河沿いのデッキに設置。ちょうどお昼時で、お弁当を食べている人が多く、人が入らないように写真を撮るのがたいへんだったよ。
脇田愛二郎《HELIX 938 T2[風のモニュメント]》(1993)。東京辰巳国際水泳場の、脇田愛二郎の2基のモニュメント(内部にもレリーフがあるらしい)が、今回の大きなお目当てだったのだが、工事のために、近寄ることができなかった。今回はT2を遠くから撮ったこれだけ(シンボルモニュメントのT1も一応遠目で見えた)。まあ、事が落ち着いたら、再訪することにしよう。
- 新木場駅周辺
新木場駅北側、夢の島緑道公園の出入口付近にあったオブジェ。すぐ近くにもう1基、同じものがあった。
新木場駅南口広場(喫煙所横)にあったモニュメント。見るからにモニュメントなのだが、タイトル板・説明板の類は見当たらなかった。
- ということで、今日はここまで。新木場から京葉線で帰宅したのであった。
佃 彫刻放浪:八丁堀→新川→佃(2)
重岡建治《あした》(2007.6)。新大橋を渡ってすぐの左手の広場に設置。
菊竹清之《光の庭》(1989)。リバーシティ21・8号棟、マルエツ佃店の南側に設置。
《オーロラの門》。タイトルはグーグル「彫刻」による。《光の庭》のところの階段を上がった庭園/街路に設置。
何やら奇妙な形のオブジェが3個並んでいた。うち、一つは水飲み場(現在は使われていない)だった。《オーロラの門》のあるところから川辺に向かう出入口に設置。
《風のタマゴ》。タイトルはグーグル「彫刻」による。リバーシティ21・5号棟の北側、駐車場の出入口付近に設置。
《街の鼓動》。タイトルはグーグル「彫刻」による。リバーシティ21・5号棟の中央付近に設置。暗くなると、中央に釣ってある風車?に光を当てて、キラキラと光らせる、のかな?
《希望の像》。タイトルはグーグル「彫刻」による。中央区立佃島小学校前の歩道に設置。
鈴木太加志《転 -for the sky》(1993設置)。中央区立佃中学校前に設置。
- 月島もんじゃストリート周辺
海水館の碑。海水館は、明治38年(1905)に開業した割烹旅館兼下宿で、明治末から大正年間にかけて多くの文化人が集ったとのこと。例えば、島崎藤村は海水館に止宿して自伝的小説『春』を、小山内薫も『大川端』をここで執筆した。この碑は、島崎藤村の縁で、藤村の母校である明治学院大学の藤村研究部が昭和43年(1968)に建てたとのこと。以上、傍らの説明板による。
望月菊磨《輝きー月島》(2003)。月島もんじゃストリートの東側、月島駅7番出入口付近設置。
- 住吉神社周辺
佃公園(佃堀)から佃小橋方向を望む。奥に見える高層マンション群がリバーシティ21。
住吉神社境内の「鰹塚」。鰹節類卸商業協同組合が1953年5月に建立。
- 佃公園→パリ広場
石川島灯台
《みどりの風》。サインなしバージョンだった。佃公園内、石川島灯台から川辺に向かう植え込み内に設置。
パリ広場の先っちょのところ。都市公園コンクール・建設大臣賞受賞プレートがちょっと可愛かったので、掲載。
パリ広場記念像「友情から未来へ」(1999.10設置)。監修・構成:田名網敬一。中央区とフランスの児童250人の描いた絵をもとにした陶板画が用いられている。日本におけるフランス年文化記念展実行委員会、日仏児童によるモニュメントを応援する会による。
パリ広場近くにあったベンチ。肘掛けのところが、木のレリーフで飾られていた。
最後に相生橋を渡って、門前仲町駅まで歩いて、今日はおしまい。
相生橋から豊洲方向を望む。近いうちに豊洲方面も行こうかと思っている。
八丁堀→新川 彫刻放浪:八丁堀→新川→佃(1)
- 八丁堀駅周辺
吉田昇《MOON LIGHT STAGE 月舞台》(2005.4)。中央区立桜川公園の西側に設置。八丁堀駅A2出入口すぐ。
エステル・アルバルダネ《海の三美神》(1993)。中央区立女性センター・ブーケ21前(西側)に設置。
街角の女性像。タイトルなどは不詳。政光ビル(中央区入船2-7-4)前に設置。
- 新川
東京住友ツインビルディング
朝倉響子《NIKE》(1981)。住友ツインビルの東側に設置。再訪。
朝倉響子《SUMMER》(1984)。住友ツインビルの東側に設置。再訪。
速水史朗《積-3》(1990/1991.1設置)。東京ダイヤビル5号館の西側に設置。タイトル板は見当たらなかった。>参考:「速水史朗 おおらかな大地」展図録(高松市美術館他編・1997)所収の年譜を参照した。
グーグル「彫刻」※によると、タイトルは《未来への船出》。タイトル板はあるようだが、近づけず、確認できなかった。東京ダイヤビル5号館の北側に設置。暗くなると、一番髙いところが光るようだ。※グーグル「彫刻」は、グーグルで「彫刻」を検索したときに出るマップを仮にこう呼ぶことにした。未知の作品のタイトルなどが表示されることもあるのだが、ソースは不明(数日前から、なかなか表示されなくなった!? 仕様が変わったか?)。
オシップ・ザッキン《メッセンジャー》(1937)。隅田川とセーヌ川、東京都とパリ市の友好を記念して、1992年10月、パリ市が東京都にこの像を贈ったとのこと。
参考までに、前から見ると、こんな感じ。清春芸術村の《メッセンジャー》(1937)[2018.4.1撮影]。清春芸術村の記事はここ。