かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

 大通寺

続いて,JRで岐阜から長浜に出て,一般に長浜御坊とも呼ばれる大通寺を訪ねました.この大通寺は,真宗大谷派東本願寺)の別院で,正式には無礙智山大通寺といいます.大通寺には,さまざまな障壁画があって,美術全集などの図版で多少は知っていたのですが,実際にどのような障壁画がどれくらいあって,それははたして実地に見ることができるのか,さっぱりわからず,ここは一つ実地見聞してみよう,ということで,今回,大通寺を訪ねた次第です.結論から言うと,多くの,しかもいろいろな絵師による障壁画があって,しかも,そのほとんどを見ることができました.このうちの数点,たとえば岸駒〈老梅図襖〉狩野山雪〈耕作図襖〉などは鼻もくっつかんばかりのごく間近で見ることができ,ちょっとうれしかったです.以下,見ることのできた障壁画を書き出してみます(いささかアバウトですが...).

■大広間 重文.もと伏見城の遺構と言われています.東本願寺へ移されたものが,さらに別院の大通寺に移されたとのことです.書院造りの構成要素である,床・帳台構・違棚・付書院などを上段の間の正面に一列になって並べられているところが珍しいです.障壁画は狩野派による金碧画で,筆者は不明.傷みが激しく,絵の具がかなり落剥しているのがちょっと残念.以下,正面右から順に(タイトルは私につけています).
 01.〈桐鳳凰図襖〉 紙本金地・2面
 02.西王母・東方朔図帳台貼付〉 紙本金地・4面
 03.〈滝に唐獅子・牡丹図床貼付〉 紙本金地・1面
 04.〈孔雀菊図襖〉 紙本金地・2面
 05.違棚壁貼付・戸袋4面 ※よく見えず.草花図か?
 06.付書院の腰障子4面・〈群燕図壁貼付〉? ※よく見えず.
05と06は,とくに傷みが激しく,間近に近寄ることもできなかったので,あまりよく見えませんでしたが,06の上部に横長の壁貼付(?)があって,ここに〈群燕図〉が描いてありました.たしか,常盤山文庫に縦長の狩野探幽〈波濤群燕図〉があったと思いますが,あれを横長に描いたような感じでした.遠目に見ただけですが,ちょっとよかったですね.あと,これは余談ですが,大広間の障壁画をじろじろ見ていたときに,ものすごい雷が鳴っていました.傘を持っていなかったので,ちょっと慌てたのですが,さいわいなことに,雷鳴だけで,雨は1滴も降りませんでした.う〜む,ラッキー!


■玄関 重文.玄関は1760年(宝暦10)に大通寺の住職,横超院の内室の数姫(彦根藩主,井伊直惟の息女)が祖師聖人五百年忌に際して建てたものです.東西北に作者不詳の障壁画があります.いずれも金碧画です.
 01.東・西 〈群鶴図壁貼付〉 紙本金地着色・3面(東側2面・西側1面)
 02.北 〈松図襖〉 紙本金地着色・4面
この玄関には数姫輿入れのときに使われた駕籠が置かれていました.内部の装飾に〈鶴図〉があるようですが,室内に入れなかったので,詳細はわかりませんでした.また,狩野山休筆による屏風が飾られていました.狩野山休は狩野山楽の弟子だそうですが,作例はこの屏風以外には知られていないようです.6曲1双で,両隻とも,表面は各扇の上部に山水図が貼付されています.両端はその下に花鳥図がやはり貼付されていますが,内側の4扇には簾がはめてあります.裏面には全体が市松模様になっており,そこに松と蔦が描かれています.かなりおもしろい形態になりますが,離れたところから見るしかなかったのが残念でした.



新御座(書院)
 01.上段の間 狩野永岳〈琴棋書画図障壁画〉 紙本金地着色
構成は,床貼付1面・違棚壁貼付1面・帳台貼付2面(4面のうち).この他に違棚上部の〈果実図戸袋〉4面があって,それぞれにぐみ,枇杷,柿,仏手柑が描かれていました.
 02.下段の間 岸駒〈老梅図襖〉12面 紙本金地墨画


■含山軒(客殿) 重文.新御座の北側にある建物で,北側の一の間,南側の二の間にそれぞれ水墨による障壁画があります.また,この含山軒に東面して含山軒庭園があります.枯山水で,東方にそびえる伊吹山を借景とするところから,含山軒と呼ばれるようになりました.名勝.
 01.一の間 狩野山楽〈山水図障壁画〉 紙本墨画
 02.一の間 狩野山雪〈枯木ニ鳩図襖〉 紙本墨画・2面
この2面の襖は,一の間の西側にある茶室への出入り口になります.
 03.二の間 狩野山雪〈山水図障壁画〉 紙本墨画
03のうち,南側の襖4面が〈耕作図襖〉でかなり間近で見ることができました.北側4面が〈雪景山水図〉になります.


■蘭亭(客殿) 重文.含山軒の西側にある建物.3室あるうちの東側2室に連続して〈蘭亭曲水図〉を描いた障壁画があります.蘭亭の名前は,この障壁画に由来しています.また,南側に池泉庭園の蘭亭庭園(名勝)があります.
 01.円山応挙〈蘭亭曲水図障壁画〉 紙本墨画
また,いちばん西側の1室には6曲1双の屏風が2組置いてありました.折り重なるように置かれていたので,内容はわかりませんでした.


■鞘の間 新御座の西側にある5室のことです.それぞれに障壁画があり,室の名前はそれぞれ描かれている障壁画に因んだものです.いずれも筆者は不明で,墨画,あるいは墨画淡彩によるものです.以下,北側から順に.
 01.蘇鉄の間 〈蘇鉄図障壁画〉
 02.山水の間 〈山水図障壁画〉
 03.雀の間 〈群雀障壁画〉
 04.枯木の間 〈枯木図障壁画〉
 05.鶴の間 〈群鶴図障壁画〉
この中では,蘇鉄の間に描かれた〈蘇鉄図襖〉がおもしろかったですね.蘇鉄ばかりで,壁一面が埋め尽くされていました.

以上,ざっと書き連ねてみましたが,この他にも,襖絵や杉戸絵などが何点かあったことを付け足しておきます.

冒頭の写真は,大通寺の本堂(重文)です.これも伏見城の遺構とのことです.大きな,なかなか堂々としたものでした.
また,このサイトで,大広間03・04や岸駒〈老梅図襖〉の映像を見ることができます.


ところで,この大通寺の障壁画については,滋賀県立近代美術館で2002年に『長浜・大通寺の精華 近世寺院と障屏画』という展覧会が開かれています.きちんとした調査報告と紹介がなされていると思うのですが,そのうち,カタログを手に入れて,確認したいと思います.