かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

 東京国立近代美術館

へ行ってきました.開催中の企画展『アジアのキュビスム 境界なき対話』の他,ギャラリー4の『沈黙の声』『近代日本の美術』(常設展)をたっぷりと見てきました.
『アジアのキュビスムはアジア各国でキュビズムがどのように受容されたかというテーマを「テーブルの上の実験」「キュビスムと近代性」「身体」「キュビスムと国土」という4つの章と,さらに各章を構成する多数のセクションによって描き出した展示です.キュビスムの影響を意識的/無意識的に受けた1910年代から1980年代に至るアジア各国の絵画を,単に時代別・国/地域別ではなく(もちろん時代や国/地域は意識されています),受容のされ方,具体的な表象そのものによる紹介は,詳細な解説ともども,なかなか見応えがありました.まあ,研究発表系の展示といったところでしょうか.冒頭にピカソブラック−−キュビスム創始者−−による小品が2点出ていたのも効果的だったと思います.また,展示室の中央の部屋の床に展示のキーワードがマッピングされていて,このキーワードに導かれて全4章に分かれた各論に入っていけるようになっているのもおもしろかった(と言っても,私は第1章から順に見ていって,最後にこのガイド・ルームを見たのですが...).カタログは,図版が小さめで,ちょっと物足りなかったのですが,論文やグロッサリーがとても充実しており,読み応えはばっちり.なお,この『アジアのキュビスム展は東京の後,韓国とシンガポールに巡回するそうです.
『沈黙の声』は3点の作品を集めた展示でした.その3点とは,

の3点です.
ビル・ヴィオラ《沈黙の五重奏》は,男女5人(男2人・女3人)の,おそらくは何か悲しむべき光景を見たときの反応を,35ミリ・フィルムで高速度撮影した約1分間の映像を15分ほどに引き延ばした映像作品です.映し出される男女の反応は,それほど大きなアクションを伴うものでありませんが,時間が引き延ばされ,動きがゆっくりとなった分,日常的なものから,まるでギリシア悲劇の主人公たちの振る舞いのような,彫りの深い,明晰で美しい映像になっていました.ただ,その分,感情の生々しさみたいなものが減じているような気もしたのですが,どうでしょう?
キムスージャ《針の女》は,都市の路上に後ろ向きに立った作者自身と,彼女のまわりを通り過ぎていく,あるいは立ち止まり,好奇心なりを示す人々を撮影した映像作品.作者が「針」となり,人の流れという「布」を縫っていくというもののようです.今回は,メキシコシティ,カイロ,ラゴス,ロンドンという4つの都市で撮られた映像が同時に流れていました.当たり前ですが,それぞれの都市で布のテクスチャー−人の反応が異なり,その違いがおもしろかったですね.東京ヴァージョンもあるようなので,機会があったら,ぜひ見たいと思います.なお,キムスージャ横浜トリエンナーレ2005に新作のビデオ作品で参加するそうです(ここにインタビューあり).

『近代日本の美術』の中では,小特集として中村不折(4F特集コーナー),谷中安規の世界』(3F版画コーナー),石内都「連夜の街」』(3F写真コーナー)などをやっていました.石内都は,「連夜の街」の他,「SCAR」シリーズのうち,《SCAR-1961,illness》《SCAR-1984,transplantation》が出ていました.
それと,個人的なクライマックスは藤田嗣治アッツ島玉砕》(1943).来年,東京国立近代美術館藤田嗣治の回顧展(かな)をやるようですが,藤田による戦争記録画は全部出るのでしょうか? 出るといいですね.