かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

 大雄院   [2006.3/28記]

大雄院は妙心寺塔頭で,通常は非公開です.ネットで大雄院を拝観したという記事を見つけ,今回立ち寄ることにしました.私の見た記事には公開期間などの情報がなく,拝観できるか,いささかあやふやだったのですが,無事に見ることができました.めでたし,めでたし.
大雄院は広大な妙心寺の境内の北東,桂春院の南側にあります.慶長8年(1603)に尾張藩士,石河(いしこ)光忠が,父の石河光元(竜野城主)の菩提所として創建,光忠の叔父にあたる慧南玄譲が開祖となりました.享保11年(1726)に再建された客殿(方丈)と書院の他,庫裡,表門があり,いずれも京都府指定登録文化財となっています.
さて,お目当ての障壁画ですが,客殿と書院で見ることができました.いずれも室内に入ることができたので,間近で見ることができました.うれしい.
客殿 客殿の障壁画は柴田是真(1807〜91)によるものです.柴田是真は江戸蒔絵を継承する蒔絵師で,また円山四条派の流れを汲む絵師でもあります.はじめ古満寛哉に蒔絵を学び,ついで四条派の鈴木南嶺に絵を学びました.天保1年(1830)京都に出て,南嶺の紹介で岡本豊彦の門に入り,2年ほど京都で絵の修行をします.大雄院の障壁画はこの時に描かれたもので,したがっていまだ若い頃の是真の手になるものになります.是真による障壁画は客殿の5室に描かれていました.いずれも紙本墨画淡彩で,一部には破損や墨による落書きがあったのがちょっと残念.障壁画自体は全体に余白を活かしたもので,絵のタッチはいかにも円山四条派という印象のものでした.

客殿の障壁画
    北
  A│B│C
西─────東
  D│E│F
    南
A.《滝猿図》 ※軽妙なタッチで,東側南寄りのおんぶ猿などが印象に残る.猿の目の部分などが墨で塗り潰されていた.
B.なし
C.《稚松図》 ※東側北寄りの壁貼付に「柴令哉写」の落款.また東側南寄りの襖2面は後補されたもの.
D.《楼閣山水図》
E.《唐人物図(郭子儀図)》 ※南側の岩に座り,横笛を吹く少年が印象的.
F.《四季草花図》 ※東側に描かれた向日葵が珍しい.


書院 一方,書院は東西2室からなり,各室の北側襖4面(計8面)に障壁画がありました.書院の障壁画は円山応挙の門人,土岐済美(生没年未詳.寛政後期から文政頃活動)によるもので,東室が《山水図》,西室が《猿曳図》になります.このうち,《猿曳図》はなかなかおもしろかったですね. ※東室の《山水図》の図版が『京都画壇の一九世紀 2 文化・文政期』(思文閣出版,1994.10)に掲載されています.
また,書院では蚕繭紙(さんけいし)の解説や名家が揮毫した蚕繭紙の色紙などが展示してありました.どうして繭蚕紙が展示してあったかというと,大雄院の現在のご住職,石河正久氏が農学博士でもあり,この繭蚕紙研究の第一人者だからだそうです.30年以上の歳月をかけて,平面状に糸を吐く蚕を作り出したのだとか.なかなか珍しいものでした.

【メモ】大雄院の特別公開 2006.2/1〜3/19 9:30〜16:00 拝観料500円 >ここに《唐人物図(郭子儀図)》の画像あり.