かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

 宝鏡寺の障壁画   [2006.3/28記]

続いて,特別公開をしてる宝鏡寺に立ち寄りました.宝鏡寺と言えば,お人形なわけですが,私と言えば,雛人形の方はまあそこそこにしておいて,もっぱら障壁画でした.それにしても宝鏡寺に拝観に来る人は圧倒的に女性(老若とも)が多かったですね.男はカップルの片割れが若干いて,でもって,おっさんはオレ一人.う〜む,ちょっと場違いな感じも...(苦笑)
それはそれとして,宝鏡寺で見ることのできた障壁画は以下のとおりです.
本堂 文政10年(1827)年上棟の本堂は前後3室ずつの合計6室で構成されていますが,このうちの4室の障壁画を見ることができました.また,A・D・F室は室内に入ることができ(これらの室では雛人形などの展示あり),間近で見ることができました.

    北
  A│B│C
西─────東
  D│E│F
    南
A 河股幸和《春》紙本着色・襖4面(南側)・2004 ※八重桜と子犬.
B [御内陣] 本尊「聖観音菩薩」 ※障壁画なし 
C [上段の間] ※未見
D 河股幸和《夏》紙本着色・襖8面(北側4面・西側4面)・2004 ※葡萄と鹿
E 西側 河股幸和《日》紙本着色・襖4面・2004 ※伊勢撫子と鶺鴒
 東側 河股幸和《月》紙本着色・襖4面・2004 ※伊勢撫子と鶺鴒
 北側 狩野探幽《秋草図》紙本金地・襖4面
F 西側 河股幸和《冬》紙本着色・襖4面(2004) ※ゆりかもめ(都鳥)
 北側 狩野探幽《秋草図》紙本金地・襖4面 ※E-北と連続するか?

勅作堂(阿弥陀堂 勅作堂は弘化4年(1847),光格天皇勅作の阿弥陀如来像とともに賜った御所の古材により建てられたものです.南北に2室あり(北室には阿弥陀如来像他を安置),南室の北側に障壁画を見ることができました(裏側に障壁画があるかは不明).襖4面・壁貼付1面で,紙本着色金泥引き.画題は「稚松に鶴」でした.解説の方によると筆者不明ながら,円山派の作ということでした.

書院 書院は天明の大火(天明8年[1788])で焼失した後,寛政10年(1798)に再建されました.建物は東端北寄りに主室である御座の間,その南側に次の間を配し,さらにこの西側に7室と鞘(狭屋)の間が3列に並んでいます(以上,主に京都市の解説パネルによる).また,天保4年(1833)には,円山応震(1791〜1840.円山家第三代)と吉村孝敬(1769〜1836.応挙十哲に一人)による襖絵が新たにはめられています.今回,見ることのできた障壁画は以下のとおりです.

  • 東端・北室[御座の間] 円山応震《四季耕作図》 紙本淡彩 ※春・夏の景.内訳は北側の床貼付,西側:襖4面,南側:襖4面.また北側西寄りの違い棚の上部天袋に「蝶」を描いた小襖4面,下部地袋に「花」を描いた小襖2面あり.
  • 東端・南室[次の間] 円山応震《四季耕作図》 紙本淡彩 ※秋・冬の景.内訳は北側:襖4面,西側:襖4面.北側の4面(秋)は『京都画壇の一九世紀 2 文化・文政期』(思文閣出版,1994.10)に掲載.
  • 東から2列目・南室 吉村孝敬《波に鶴図》 紙本淡彩

[東から2列目・南室]の北に2室あり,それぞれに吉村孝敬による障壁画(《檜に猿図》《松に鶏図》)がありますが,今回は見ることができませんでした(前記『京都画壇の一九世紀 2 文化・文政期』に《檜に猿図》の図版[襖4面]が掲載).この他に書院南側の広縁([東端]と[東から2列目]の境)には円山応挙による杉戸絵がありました.《雉図/子犬図》表裏各2面になります.また,近くに長澤蘆鳳《鳩図衝立》紙本墨画・1面がそれとなく置いてありました.これ,けっこうよかったかも.
ということで,宝鏡寺の障壁画ですが,全体的にわりと地味な感じだったかな.
【メモ】宝鏡寺 春の特別公開「雛と寺宝展」 期間:2006.1/14〜4/3 料金:大人600円 ※宝鏡寺は通常非公開.毎年春秋の人形展の際に拝観することができます.今春は「第40回 京の冬の旅」の特別公開と重なり,公開期間がやや長かったようです.