かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

 カミーユ・クローデル 世紀末パリに生きた天才女性彫刻家  (府中市美術館)

カミーユ・クローデル(1864〜1943)の10年ぶりの展覧会です.構成は最初の4章−「第1章 初期、あるいは肖像彫刻:青春期からロダンのアトリエへ」「第2章 愛のテーマ:ロダンの助手時代とロダンとの愛の時代」「第3章 親密な「室内彫刻」」「第4章 晩年の創作と狂気の予兆」−で,ほぼ時代を追ってカミーユの作品55点−彫刻を中心に数点のドローイングを含む−を展示.残る1章,「第5章 カミーユ・クローデルを求めて」では,カミーユの二人の師匠,アルフレッド・ブーシュとオーギュスト・ロダンによるカミーユのブロンズ像各1体や写真,手紙(ただし,複製したものを展示)といった資料を数点展示してありました.量的にはコンパクトですが,ひととおりカミーユ・クローデルの生涯と作品が辿れるようにはなっていたと思います.
展示されている彫刻作品は,基本的にはわりと小さなブロンズ像が中心でした(大きな彫刻作品は《シャクンタラー》1点のみ).また,この展覧会を見る限り,カミーユは同じモチーフを繰り返し作品化することが多かったようです.この展覧会で私にとってもっとも印象の残る1作は《分別盛り(第2ヴァージョン)》(1898)でしたが,これは男(=ロダン)を連れ去る老婆(=ローズ・ブーレ.ロダンの長年の伴侶)とそれをやるまいとする,しかし,結局は無力な若い女(=カミーユ・クローデル)を描いたもの.この若い女のモチーフをカミーユは《飛び去った神》(1894),《嘆願する女(ひざまずいた少女)》(1898頃.同題で2作あり)といった作品でも取り上げていました.そして,もう一つ,印象的に思えたのは,カミーユの作品にあまりエロスの感じられなかったこと,あるいは,男と女を描いてもそこにエロスを主題化していなかったことです.上記の今まで挙げた《分別盛り》《飛び去った神》《嘆願する女》といったタイトルからもわかるように,ヌード像なのに,それはエロスの側面がほとんどないように感じられました(会場に展示されていた作品の中では,エロティックなものを感じさせるのは《シャクンタラー》(1888)がほとんど唯一のものでした).この他にも二人の男女をテーマにした作品,4ヴァージョン出ていた《ワルツ》(3作が1895頃,1作が1905)だとか,《シャクンタラー》の変奏でもある《心からの信頼》(1905)といった作品もあったのですが,これらも同様でした.カミーユの師,ロダンの作品を見ると,意外にエロスを強く感じられるのに対し,このことはちょっと意外な感じもしたのですが,これはカミーユが男(=ロダン)に抱いていた幻想の本質を表しているのかも知れませんね.第3章で取り上げられた「室内彫刻」の作品では,《おしゃべりな女たち(第1バージョン 衝立つき)》や《波 あるいは水浴する女たち》がなかなか変な感じで,おもしろかったです.《波》は大きく盛り上がる波の裏で手を組んで踊るようにしている3人の若い女を描いたものですが,どうやら北斎の《富岳三十六景 神奈川沖波裏》に影響を受けているようです.
会期は8/20まで.この展覧会,会期が短めということもあってか,会期中無休で開催だそうです.


府中市美術館では,この他に常設展の親子鑑賞特別企画「はじめまして、美術館。」府中市美術館おなじみの公開制作35松浦寿夫 林と森−筆触の論理学」,市民ギャラリーで開催中だったイソザキイセヲ 展などを見てきました.また,府中市美術館ではアンケートを書いて受付に提出すると,絵葉書がもらえます.今回は恩地孝四郎の絵葉書をもらってきました.