かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

 愉しき家  (愛知県美術館)

「家」をテーマとするグループ展.絵画,立体,映像,建築など,国内外の17人/組の作家・グループが参加.以下,ざっと通観.

  • 塩田千春(1972〜) 出品の《窓の家:第三の皮膚》は,たくさんの白い窓枠で「家」をかたどった作品.これらの窓枠はベルリン在住の塩田が旧東ベルリン市街で立て直しのために壊される建物から集めてきたものだそうです.ちなみに,本作の別ヴァージョンを京都(「When Mind Become Form」展[京都精華大学ギャラリーフロール])や福岡(「第3回福岡アジア美術トリエンナーレ2005」)で見ています.
  • 小林孝亘(1964〜) 絵画.光に照らされた家やテントを描いた絵と室内風景を描いた絵.静謐かつシュールな印象.
  • 森北伸(1969〜) 立体・絵画.
  • 中村一(1956〜) 立体・絵画.傾く家《破庵(いわき破庵)》(2002)とドローイングなど.居心地の悪い堅牢さが奇妙なおもしろさを醸し出していました.
  • 正木隆(1971〜2004) 絵画.
  • 中尾寛(1961〜) 立体(建築模型?)・ドローイング.
  • ミハ・ウルマン(1939〜.イスラエル) 彫刻.
  • やなぎみわ(1967〜) 写真・映像 《寓話》シリーズから.この《寓話》シリーズは最近よく出会いますね.
  • 東恩納裕一(1951〜) 立体.丸形の蛍光灯をゴージャスな(でも,ごちゃごちゃ!?)なシャンデリアに仕立てた作品(高橋コレクション)など.ゴージャス,でもよく見るとチープな空間を現出.
  • 小林のりお(1952〜) 写真など.奥サマが自宅のキッチンで働く様子をデジタルカメラで撮影した作品.とても日常的だけど,見る者の想像力によれば,そこにもドラマがあったりして. 
  • N55デンマーク) 立体(?)・写真など.私,《かたつむりの殻システム》(2001)が欲しいです!
  • ゴードン・マッタ・クラーク(1943〜1978.アメリカ) 映像.作品は《切り裂き》(1974)と《ビンゴ》(1974)の2作.《切り裂き》は民家を電動のこぎりで切断するアクションを記録したもの.もう一方の《ビンゴ》は民家の外壁を縦3×横3の計9つに切り分けて見せる(だから,ビンゴなわけですね)アクションを記録したもの(アクション終了後に重機が到着,直ちに民家が取り壊されるところも収録している).両作とも本展でもっとも印象的な作品の一つ.ゴードン・マッタ・クラークのことはこの展覧会で初めて知りました.70年代にパリとニューヨークで活躍し,若死にした伝説的な作家だそうです.
  • さわひらき(1977) 映像.横並びの3画面による映像インスタレーション.左右のスクリーンで細部を,中央で全体を表示.家の中を木馬?が行く.
  • 乃美希久子(1978〜) 布団・クッションで作った家のインスタレーション.中に入ってごろんところがり,吹き抜けになった天井を眺める.ちょっとだけ自由落下の感覚を感じる.福岡県立美術館(アートの現場・福岡 VOL.16 「乃美希久子展」 [2004.9〜10]) で別ヴァージョンを経験.
  • 牛島均(1963〜) 立体・インスタレーション.美術館ロビーに鉄パイプと段ボールで秘密基地をつくる.
  • ヴォルフガンク・ライプ(1950〜) 《ライス・ハウス》を3ヴァージョン.このうち,2ヴァージョン(豊田市美術館所蔵)では米粒が添えられている.余談ですが,東京国立近代美術館のコレクション展に,同じライプによる《米の食事》(1998)が出ていました(2006.9/1所見).これは真鍮でできた大小8個の円錐とその周囲に米粒が添えた作品.
  • 西野達(1960〜) インスタレーション.《普通以上の時もあるし、普通以下の時もある》(2006.《あきれるほど食ってる》改題).この作品だけ,所蔵品展の中に設えられていました.ここにちょっと仕掛けが...西野はパブリックな建築物に見られるモニュメントを作品の中に採り入れた大がかりなインスタレーションで有名な作家ですが,本作では美術館の展示(作品)を作品内部に取り込んでいました.一見すると,日本のごくありふれたキッチンを再現した作品ですが,その壁面にはなんとピカソの「青の時代」の作品,《青い肩掛けの女》(1902)が飾られています.ありふれた日本のキッチンと大芸術家ピカソの作品とのこの出会いに,日常に潜む非日常,あるいは生活と芸術といった対比を見て取ることもできますが,その奥には,食べられることが当たり前の今の日本のそれと気づかぬ裕福さと,食べるものにも事欠く貧しさ(「青の時代」の主題−貧しい人々)という対比もあるようです.ところで,西野達は既存の雑貨や家具によって日常的な空間を再現するのですが,それほど徹底的に作り込んでいません(かといって,最低限のことしかやらない,というわけでもないのですが).これは先に見た《天井のシェリー》の若い女性の部屋も同様だったんですけど,これは意図的なものなのでしょうか? 単に時間と予算の問題? ちょっと気になっていたりします.

もともと「家」というテーマが造形的にやりやすかったという面もあると思いますが,全体的に作家たちの「家」をめぐるイメージがうまく展覧会の形にまとめられていたと思います.お近くの方はぜひ.
なお,カタログは作家のプロフィールなどを中心とした「I」と展示作品・展示風景を収録した「II」の2分冊.私の行った時は「II」の方はまだ並んでいませんでした(9/5納品予定).
【メモ】愛知県美術館 2006.8/4〜10/1
所蔵作品展 「愉しき家」展の他に所蔵作品展も併せて観覧.主に20世紀の美術を中心とした展示.中では,エルンスト・バルラハの彫刻(2点)と若林奮の大作《大気中の緑色に属するものI》(1982)が印象に残りました.また,展示室7では特集展示として「国吉康雄アメリカを生きた画家−」をやっていました.