かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

 国立新美術館開館記念展「20世紀美術探検 アーティストたちの三つの冒険」 (国立新美術館)

展示は3部構成で,最初の1,2部は全国の国立,公立,私立の美術館(若干,海外の美術館や個人蔵あり)の所蔵作品により「物と表現」「物と人間の生活」をキーワードに20世紀の美術の流れを追っている.
絵画,オブジェ,写真ばかりではなく,工芸やデザイン,グラフィック・アートといった分野の作品も相当量出ており,20世紀美術のほとんどのすべての運動が網羅されている.その意味では,漫然と「物」との出会いに期待して会場を彷徨するよりも,多少勉強してから展覧会に行った方がいいかもしれない.最初に重量級のカタログを読んでから展示を見ると,きっと展覧会の「おもしろさ」が倍増するに違いない.というのは,ちょっと皮肉っぽいか.
展示方法にもう少し工夫,演出があるかと期待していたのだが,これはそれほどでもない.照明の当て方や作品の配置など,ちょっとおざなりではないか,という気すらした.確かに,三國荘の内部復元(らしきもの)などは演出なのかもしれないが,これぐらいのことはどこでもやっているし...この辺,かなり辛口な評価だが,国立新美術館にはそれだけ期待していたということで(東博の企画展クラスの見せ方はやってくれるのでは,というのは期待のし過ぎ?).
それはともかく,個人的な見どころもけっこう多かった.たとえば,クルト・シュヴィッタースの1920〜1940年代のコラージュ作品が相当数出ていたこと(デュシャンレディメイドもずいぶん出ていたが...多過ぎ!「便器」だけでいいや!!).もの派やアルテ・ポーヴェラの諸作に再会できたこと.ロシア・アヴァンギャルドの作品が意外に多く出ていたこと(ウラジミール・タトリンの第三インターナショナル記念塔計画案を映像化したものは,たしか「建築の20世紀展」で観たものではなかったか? アレクサンドル・ロドチェンコの「労働者クラブ」の読書テーブルと椅子を観るのはたしか西武美術館の「ロシア・アヴァンギャルド展」以来だな.とすると...).その他,もろもろ.
20世紀美術の総復習の観のある1,2部に対し,3部は6人の美術家−アンドレア・ジッテル,シムリン・ギル,コーネリア・バーカー,郄柳恵理,田中功起,マイケル・クレイグ=マーティン−による近作・新作展.この中では,コーネリア・バーカーと田中功起の作品が印象に残る.
バーカーの作品は骨董市で手に入れた銀器や楽器を工業用250tプレス機で押し潰し,それを針金で天井から床面近くに釣り下げ,ロールシャッハのように配置した作品のシリーズ.潰される以前には「人」に対し濃密な意味を持っていたに違いない「もの」が,押し潰されることによってその持っていた意味を失い,単なる「もの」に還元されてしまうのだが,それがロールシャッハのように配置されることで,かえって「もの」の意味−「人」に使われていた時の「記憶」が強く迫ってくる.「人」と「もの」と「記憶」の3つの要素が分かちがたく結びついている.そんなことを考えさせる作品だった.この連作は広い四角形の空間全体を使って展示してあったのだが,観客はその四角形の2辺からしか見ることができず,遠くから眺めることしかできない作品があったのはちょっと残念だった.
田中功起インスタレーションは,14の行為を「作品」化し,その作品を構成するビデオ,写真,オブジェなどを細長い空間に配置するというもの.観覧者はその空間を歩き,ビデオや展示物を眺め,また,ビデオから流れる音/音楽に耳をそばだて,その総体を鑑賞する.1,2部の展示が「おかたい」展示だったこともあり,「考える」や「知る」ではなく,「感じる」ことが体験の前面に出てきて,とてもおもしろかった.
【メモ】国立新美術館 2007.1/21〜3/19 カタログあり(2000円)