かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

Redd Temple、TIALA、I.S.O(小岩Bush Bash)

01.Redd Temple
02.TIALA
03.I.S.O

当日券もソールドアウトになったとのこと、満員の盛況だった。また、観客も、老若男女さまざま。ハードコアの若者もいれば、おしゃれなカップル、おっさん、おばさんまで。
Redd Templeも、TIALAも、とうとう聴けた(最後列にいたので、ほぼ完全に見えず。RTのギターの子の坊主頭がちらりと見えただけ)。どちらも、ハードコアで、潔く、緩み・弛みのない素晴らしい演奏。
そして、牛嶋神社以来、久しぶりに聴くI.S.O。素晴らしかった(国内では、牛嶋神社の後、もう1回、公演をしていたはず)。
Bush Bashは、同じフロアにライブスペースとエントランス&バーラウンジがあって、防音壁によって仕切られている。RTとTはライブスペースでの演奏だったが、I.S.Oはバーラウンジでの演奏。なんでも、当初はライブスペースでの演奏の予定だったのが、I.S.Oの特殊演奏に同期・共鳴するもろもろの機材(ドラムなど)がたくさんあり、そのため、急遽、バーラウンジでの演奏になったとのこと。
  Sachiko M    一樂儀光    大友良英[g]

                                                                                          • -

  [観客]

前回、観覧の牛嶋神社の境内で行われたライブは、夕方から日が沈んでいく時間の中で三者が少し離れた位置に座っての演奏で、環境音の入り交じった3者の演奏する音がかすかに入り交じり、空間にゆっくりと消えていくその過程を、その消失点がどこにあるのかを聴きとるように耳を傾けていた。通りかかりの自転車のおっちゃんが立ち止まってしばらく、一樂儀光の演奏を演奏を眺めていたことが記憶に残っている。オープンエア独特の雰囲気が愉しくもあった演奏だった。
今回はの演奏は、その演奏に比べると、より密室性の高い、凝縮度が高い演奏だった。つまり、三人の出す音が、空間の中で、出会い、交わり、一点に凝縮する過程に耳を傾けるとでも言うか。楽器はほぼ継続的に演奏されており、だから、音はいくつもの連続した線、音楽として聞こえてくるのだけど。
それから、この日の、聴き手の集中力もなにかものものしいくらいの凝縮したものだった。例えば、人が耳そのものになってしまう、というような感じすらあったように思う。
I.S.Oの演奏は、おそらく同じ楽器を使い、同じように奏でたとしても、別の場所、別の時間では、同じようには聞こえてこない。演奏者/場所/時間/聴き手、という4つの変数のうち、どれかがたとえほんのわずかでも異なれば、それは違う聞き方ができ、違う聞こえ方になる。

メモ:
・座った位置による音量 Sinewaves<Symbals<Electoric Guitar