かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

広島

  • 7:00に起きるつもりだったが、8:00前まで起きられず、ちょっと寝坊。身支度をして、チェックアウト。電車通りまで歩き、簡単な朝飯を食らい、銀山町電停で江波行きの路面電車に乗車する。通勤時間帯だが、車内はそれほど混んでいない。原爆ドーム電停を過ぎると、がらがら。終点の江波電停で下車。ここで、降りたのはもちろん初めてのこと。ホーム近くに周辺地図があり、また、散策マップも配布されていたので(3種あった)、これをありがたくいただく。地図で一応予習をし、また、pdfも準備もしてきたものの、結局、この散策マップを見ながら、歩いた。


ホテルの裏手、猿猴川を上流方向にむかって。

電停のホームにあった。

市電6号線江波行きの電車に乗る。終点の江波まで30分強。

  • 天気には恵まれた。晴天。ただ、とても寒い。まずは、太田川まで歩き、以下、散策マップに書かれたポイントを目安に歩くことにする。丸子山不動院→海神宮→江波港→聖山稲生神社→江波漕ぎ伝馬保存館→江波港改修記念の碑→幟立て→伊能忠敬賛嘆の地→衣羽神社→江波山気象館風速計の形をしたトイレ→母子愛の碑→魚介藻類慰霊碑と見て回る。聖地巡礼広島編はこのあたりまでとして、江波山を下りて、ふたたび江波電停まで歩く。ちょっと歩き疲れる。



太田川。上流方向を望む。このあたりから、昭和9年のすずさんは船にのせてもらったようだ。


丸子山不動院。急な階段を上がり、参詣する。

不動院前から太田川上流方向を眺める。




海神宮(かいじんぐう)。すずさんの実家はこのあたり。


江波漁港

同上。中央奧の鳥居は海神宮。高架の高速道路は広島高速3号線。港を水産加工場(牡蠣打ちの作業場)が取り巻いていた。



聖山稲生神社



江波漕ぎ伝馬保存館。江波港の南側。特に見学ができるわけではないが...


江波港改修記念の碑。保存館のすぐ横。牡蠣の貝殻が積まれている。


幟立て。江波保育園の前。現在では、衣羽神社の祭礼に使われているそうだ。


伊能忠敬賛嘆の地の説明板。散策マップのポイントごとに、このような説明板がたっていた。説明板の左下のきつねは、各所に伝説が残るおさんぎつね。このあたりにも出没?したようで、江波電停のちかくにおさんぎつねの銅像がある。



衣羽(えば)神社。






広島市江波山気象館。中央の2階建ての建物は、1934年(昭和9)に広島県立広島測候所として建築され、1939年(昭和14)に国に移管、1987年(昭和62)に移転するまで、広島地方気象台として使用された。現在は、左側の新館ともども、気象にかかわる博物館・学習施設として利用されている。鉄筋コンクリートのモダンな意匠の建物で、1945年(昭和20)に原爆を被災(2F「気象台のおもいで」室に、爆風で壁に刺さったガラス片などが残る)、また、同年9月の枕崎台風襲来を描いた柳田邦男『空白の天気図』の舞台となった。訪問時は建物の改修が行われており、3F、屋上は行くことができなかった。ちょっと残念。




風速計の形をしたトイレ。江波山公園内にある。タイル張りの内部がかわいらしい。入口に海辺の景が藍で描かれた絵皿がはめ込まれているのが目を引く。



母子愛の碑。江波山公園内にある。



広島工業港魚介藻類慰霊碑。1940年(昭和15)、江波沖が工場港建設のために埋め立てられることになり、その起工式の際に建てられた。もとはヒノキの角柱だったが、1971年(昭和46)に再建され、現在の石碑となった。すずさんの実家は、「冬の記憶」(昭和9年1月)や「波のうさぎ」(昭和13年2月)では、海苔の採集・製造をなりわいとしていたが、その後、工場勤めに転職している。これは、埋め立てが原因で、このあたりで、海苔の採集・製造ができなくなったためとわかる。


江波山気象館が見えた。

江波電停には、電車の車庫があった。

  • 市電で、江波→紙屋町西と移動。エディオン広島本店の地下にあるプレイガイドで、現代美術館の前売りを購入して、頼山陽史跡資料館まで歩く。10分ほど。
  • 頼山陽史跡資料館。資料館は頼山陽関連の年譜を視覚的に見せる室と、関連の資料・作品を見せる展示室などがある。訪問時には、頼山陽関連の他に、新発見の江戸後期の縮景園を描いた《浅野候別邸泉邸図》[ふくやま草戸千軒ミュージアム広島県立歴史博物館)寄託]と、関連作品・資料の展示が開かれていた。


門を入って、正面に頼山陽が座っている笑

こちらは史跡の方。頼山陽は、寛政12年(1800)に無断で脱藩し、京都へ逃げるが、すぐに広島に連れ戻されて、この離れに幽閉される。この離れが再建され、現在、頼山陽居室として公開されている。ちなみに、当時の居室は原爆で焼失し,現在の建物は1958年(昭和33)に復元されたもの。ここで、『日本外史』の草稿がまとめられた。山陽は若い頃、やんちゃな不良青年だったが、このあたりで、改心し笑、たいへんな母孝行となった(って、ヤンキーかっ!)。以前、山陽の漢詩を読むに、やたら、母への敬慕・孝心ばかりをとくとくと詩にしていたので、こいつマザコンか!?と思ったものだが...(失礼!)

  • 市電を、袋町→的場町→比治山下と乗り継ぎ、比治山下からは比治山を上り、広島市現代美術館まで歩く。広島市現代美術館では、特別展「世界が妙だ! 立石大河亞横山裕一の漫画と絵画」とコレクション展「2016-Ⅲ コレクション・ハイライト+特集「みみをすます」」を観覧。いわゆる漫画も多く出ており、細かいコマ割りの作品を観るのに時間が思った以上にかかる。いささかへとへと。横山裕一のおもしろさが少しわかった気がする笑 あと、絵画がよかった。


比治山下のY字路。横尾忠則が、ここをY字路シリーズの1作に描いている(《芸術と平和》[2006])。さらに、その絵を観て(と思われる)、松本雄吉がその情景を維新派の演劇の中で描いていた。

会期終了間際だが、平日の午後はあまり人がいなかった。観客も中高年ばかりで、若者はいなかった。

  • 昼食を食べていないこともあり、いささか腹ぺこ。この空腹を抱え、再び比治山を下り、市電で比治山下→広島駅と移動。


  • 新幹線口に出て、懸案のお好み焼きを食らう。豚玉そばWを注文。900円。昼を抜いてしまったので、そばをWにしてしまった。炭水化物過多だとはわかっているが...味の方は、いまいちだったが、お腹はふくれた。


  • JR広島駅新幹線口16:40発の広島空港行きに乗車。時間通り45分で空港に到着。朝の好天に比べ、だいぶ曇ってきたが、霧の方は大丈夫。90分前にチェックイン開始。すぐにチェックインし、保安検査場を通過。ベルトでブザーが鳴ってしまった。待合ロビーで本を読むなど。到着が少し遅れ(昨日よりはましだったが)、19:25頃から搭乗開始。帰りは中央やや前よりの通路側の席。19:57離陸。21:00過ぎに着陸。帰りは魔女のばあさんはいなかったので笑、まあ、静かに過ごすことができた。バスで到着ロビーまで移動。ぎりぎりで21:25発のバスに乗ることができた。22:40頃、無事に帰宅。