かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

下蒲刈島・大崎下島


三之瀬から安芸灘大橋を望む。

御手洗・歴史の見える公園展望台から中の瀬戸大橋を望む。

同上、来島海峡大橋しまなみ海道)を望む(わかりづらい?)。

  • LCCの(超)格安航空券を利用して、とびしま海道の下蒲刈(しもかまがり)島と大崎下島を訪ねてきた(ともに行政区分は呉市になる)。加えて、2日目には、呉市内を再訪してきた。
  • 出発前は、天気予報で、寒気襲来のため、大雪が降ると報じられ、無事に行って、帰ってこれるか、いささか不安だったが、天気が大きく崩れる前に、無事に観光し、無事に帰ってくることができたのは幸いだった。悪運強しということか。
  • 最寄り始発バスで5:15頃に成田空港T3に到着。今日乗る便は春秋航空IJ621、7:05発。春秋航空は、webチェックインができないので、空港でチェックインしなくてはならない。これが出発90分前(夕方便は2時間前からできた)からなので、20分ほど待つ必要があった。T3のロで昼食用のおにぎりを買うと、チェックインの列ができ始めていたので、これに並ぶ。5:30過ぎにチェックイン開始。自動チェックインし(後方窓側席だった)、早々に保安検査場を通過して、171ゲートに移動。搭乗開始まで、奧のベンチで一寝入り。6:35頃、搭乗開始(バス移動)。7:15成田空港を離陸。8:30広島空港に着陸。8:40過ぎには到着ロビーに出られた。8:45着予定だったので、少し早く到着できた。
  • 機中は、天気も上々、席も窓際ということで、思いの外、機外の景色を楽しむことができた。中でも、着陸10分前の瀬戸内海の景色は素晴らしかった。しまなみ海道尾道から今治へ島伝いに伸びているさまなど、多島海の景色が美しく、眺めているだけで、自然と頬が緩んでくる。
  • 呉までのバス(広電バス)の往復乗車券2300円(片道だと1340円)を購入し、8:50発の呉方面行きのバスに乗車。乗り換え時間があまりないので、飛行機が遅延したら、このバスに乗れないかも、と思っていたのだが、無事に乗ることができた。広島市内行きと違って、本数が少ないので、まずはほっとする。小一時間乗車の後、新広駅で下車(新広駅で下車するには、前もってその旨、運転手に申し出る必要がある)。ここから、とびしま海道方面へ向かうバスが出る中国労災病院バス停まで歩く。5分ほど。ちなみに病院は駅のすぐ裏手。バスまで時間があるので、近くのロで、ド&コといういつものパターン。Wi-Fiの電波を拾うなど。また、病院で、トイレを借りる(1Fの受付ロビーにドトールが入っていた)。
  • 中国労災病院10:30発、沖友天満宮行きの瀬戸内産交バスに乗車。ちなみに、とびしま海道に行くには、この瀬戸内産交バスか、広島バスセンターから出るとびしまライナーさんようバス)を利用する他、フェリーや高速船など、船便もあるが、今回は、時間的に瀬戸内産交バスを利用することにした。当初、大崎下島の御手洗を観光した後、大長から高速船で竹原に渡ることも考えたが、時間が合わず、あきらめた。とびしま海道は、本州と西から下蒲刈島上蒲刈島・豊島・大崎下島平羅島(へらしま)・中ノ島・岡村島の7島が、とびしま七つ橋と通称される七つの橋でつながっているが、このバスは、下蒲刈島上蒲刈島・豊島を経て、大崎下島を2/3ぐるっと回って、南側の沖友天満宮が終点。1時間40分ほどかかる。乗車したバスは、始発が新広駅ではなく、中国労災病院であることからもわかるように、主に島に住むお年寄りが病院に通うために利用されているようだ。オレを除くと、全員が沿線に住むお年寄りで、シートはほぼ埋まっていた。バスは、安芸灘大橋を渡り、下蒲刈島の西側、蒲刈大橋の袂、三之瀬に到着。約30分。460円。ここがオレの最初の目的地。


安芸灘大橋を渡る。

  • 三之瀬周辺は、古くからの海運の要地で、江戸時代には、海駅が設けられ、参勤交代の諸大名や朝鮮通信使の寄港地として栄えた(次の寄港地が鞆の浦)。本陣跡などの史跡も多く、海沿いのメインストリートには石畳が敷かれ、ところどころに大きな石灯籠が配されるとともに、蘭島閣美術館などの文化施設が整備されている(蘭島の称は、下蒲刈に自生していた春蘭から名付けられたとのこと)。さて、バス停から道沿いを少し歩いて見る。休憩所兼案内所があったので、覗いて見ると、観光マップがあった。これをもとに回ることにする。石畳を歩いて、バス停からは一番先になる観瀾閣まで行き、ここからゆっくりと戻るといういう感じで歩いた。なんといっても、瀬戸内の海の景がのどやかで、美しい。ルートは以下のごとし。観瀾閣→福島雁木→三之瀬御本陣芸術文化館→蘭島閣美術館→白雪楼→松濤園(御馳走一番館/あかりの館/陶磁器館/蒲刈番所)。今回は、有料施設のうち、三之瀬御本陣芸術文化館・蘭島美術館・白雪楼・松濤園の4ヶ所をセットした割引きチケット(石畳コース)一般1680円を購入し、利用した。この他に、蘭島閣美術館別館、昆虫の家(頑愚庵)などの施設もあったが、今回は、時間の都合もあり、割愛した。



観瀾閣。下蒲刈島出身の神谷仙次郎氏の旧別邸(国指定登録有形文化財)。神谷氏は1877年(明治10)生まれで、後に満州で土木請負業で成功を収めた。観瀾閣は、1935年(昭和10)に建てられた。タイル張りの外壁や軒の曲線などは満州で流行した建築様式とのこと。内部は非公開。



福島雁木(長雁木)。雁木は石の階段のこと。1600年(慶長5)、広島藩主となった福島正則が、幕府の命により、三之瀬を海駅として整備した。この雁木も本陣などとともにその一貫として築かれた。当時は11段であったが、現在は14段に増設されている。




三之瀬御本陣芸術文化館。本陣跡地に建てられた美術館で、その外観は本陣を復元しているとのこと。須田国太郎の作品を常設展示している。今回の訪問時には「須田国太郎と小林和作 画業を超えた絆」という企画展も併せて開催していた。



蘭島閣美術館。1・2Fの展示室にコレクションの日本画が展示してある。訪問時には「新春日本画名品展」として、新春らしい題材、たとえば、富士とか、梅とか、の日本画が並んでいた。まあ、オレ的には...


白雪楼(はくせつろう)。メインストリートを外れて、蘭島閣美術館の横の道を上がっていく。さらに上には、蘭島閣美術館別館もあるが、今回は割愛。

この建物が竹原の頼本家にあった明治中頃、頼俊直によって、2Fの楼の天井には蘇軾の「酔翁亭記」が掲げられた。なお、白雪楼は、もと沼隈にあった建物が竹原に移され、さらに頼家からの寄贈を受けて、1993年(平成5)にこの地に移築された。

楼の窓から。一通り観覧した後、1Fで抹茶を接待していただいた。のんびりとした時間を過ごすことができた。




松濤園(御馳走一番館/あかりの館/陶磁器館/蒲刈番所)。海沿いの敷地に、松や日本の石灯籠、韓国の石像などを配し、朝鮮通信使関連の資料を展示した御馳走一番館(文字通り供応のための御馳走を復元したものも展示されていた)、東西の灯火器コレクションを展示したあかりの館(山口県上関市の旧家で代々大庄屋を務めた吉田家旧邸を移築)、古伊万里や中国・朝鮮の陶磁器コレクションを展示した陶磁器館(宮島の門前町にあった旧木上邸を移築)、そして、海駅の主要な施設であった御番所を、高札場などとともに復元した蒲刈番所の4施設があり、見学できるようになっている。 


そこここに柑橘類を売る無人販売所があった。三之瀬で、みかんを1ネット買って、食べたのだが、とても美味しかった。最初に通りかかったときには、コンテナの中にはもっとたくさん入っていたのだが、帰りに寄って、買ったときはこんな感じ。あまり、人通りはなかったのだが、誰がいったい買っているのだろう?

  • ネットなどで見た蘭島閣美術館などの建物の写真や展示内容の印象から、漠然と当地の豪商の屋敷などを観光・文化施設としてリニューアルしたのかと想像していたのだが、そうではなく、1990年代以降に、文化と歴史の掘り起こしをテーマに地域活性化計画が立てられ、蘭島閣美術館を新しく建設、1991年に開館し、以後、日本各地の古民家を移設したりするなどし、順次整備を行ったようだ。つまり、古くからの港湾/遺跡に、新しく文化施設を複合して、現在の三之瀬地区は形成されている、ということになろうか。各施設の展示は、全体的なキュレーションがあるわけではなく、テーマの選択も、松濤園での朝鮮通信使関連の展示以外は、今ひとつ、ぴんと来ない。まあ、それなりに楽しめはしたけれど...

【参考サイト】→安芸灘とびしま海道  →ぐるりとびしま七つ橋

  • 14:04、三之瀬発のバスに乗車。数分遅れでやってきたバスは、けっこう混んでいて、座れない... バスの中で休憩するつもりだったのだが、甘かったか笑 蒲刈大橋上蒲刈島豊島大橋→豊島→豊浜大橋大崎下島と、橋を渡り、島をめぐり、1時間ほどかけて、次の目的地の大崎下島御手洗地区に到着。御手洗港バス停で下車する。740円。
  • 事前に、観光協会のサイトを見て、観光マップをpdfで入手していたので、主にこれに参照しつつ、このエリアを回った。この地区も観光エリアとして整備されており、ところどころに観光地図も掲示されていたので、迷うことはなかった。
  • 御手洗港バス停→常盤町とおり→若胡子屋(わかえびすや)跡→天満宮/菅公の井戸→乙女座跡→恵美須神社→七卿落遺跡→船宿→住吉神社/高とうろう/石の太鼓橋→千砂子波止→満舟寺→おいらん公園→歴史の見える丘公園→江戸みなとまち展示館(ただし、閉館時間を過ぎていたので、トイレを借りたのみ...)、といったあたりを回る。民家を利用したカフェなどもあったが、平日は空いていなかったりで、休憩もほとんどせず、歩き回ってしまった。疲れた苦笑 ただ、歴史の見える公園など、歩いただけのことはあった。多島海の景観に息をのむなど。

【参考サイト】→見たらいい町・御手洗 呉市豊町観光協会


御手洗港。

御手洗の町並み。御手洗は、風待ち・潮待ちの良港として、18世紀頃から急速に発展。町には4軒の茶屋が置かれ、花街としてもにぎわったとのこと。江戸時代から明治・大正・昭和初期までに建てられた建物が混在して残り、1994年(平成6)に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。写真は、常盤町とおりの町並み。

各家の軒先に、竹の花筒に、花が生けられ、観光客を迎えてくれる。



茶屋の1軒、若胡屋が保存・公開されている。見学は無料で、内部には、資料などの展示もあった。


天満宮。一説に、太宰府に向かう途中、当地に立ち寄った菅原道真がこの境内にある井戸で手を洗ったことから、御手洗の名がついたとも。

本殿の下がトンネルになっている。

境内には、こんな碑も。



ほとんどの建物は、焼き板や土蔵造りの建物だったが、中には木造の洋風建築もあった。青く塗られたものが多かったが、中にはピンクの建物もあった。


乙女座跡。昭和初期に建てられた劇場。内部も観ることができる(有料)。時間の都合で省略したのは失敗だったかも。


恵美須神社


七卿落遺跡。三条実美ら5人が、長州へ向かう途中、御手洗で風待ちのために、庄屋の竹原屋に泊まった。その跡が七卿落遺跡として、保存されている。


明治初期のなまこ壁の屋敷。






千波子(ちはご)波止。港湾拡張のため、広島藩によって築造。1829年(文政12)に完成。全長120m、沖出し部分90mの大防波堤で、「中国無双」と称された。1884年(明治17)と1991年(平成3)の2回、天災により先端部分が決壊し、修復が行われた以外に、天災などにも被害を受けていない。




住吉神社・高燈籠・石の太鼓橋。住吉神社は、千波子波止の鎮守として、1830年(文政13)建立。本殿は、住吉大社を正確に1/2のスケールで写したものとのこと。高燈籠はもともと波止の先端にあったものだが、明治期に移された(現在のものは平成になってから新しく造られた)。



満舟寺の石垣。戦国時代の築城の技法である「乱れ築き」で築かれていることから、もともとはなんらかの水軍の拠点であったと推定されている。


満舟寺の境内には、江戸時代の俳人、栗田樗堂(寛延2年[1749]〜文化11年[1814])の墓がある。樗堂は松山で酒造業を営むが、晩年はこの地に居を移した。烏帽子型の墓石が珍しい。


おいらん公園




歴史の見える丘公園。展望台からの眺め。

  • 御手洗港バス停でバスを待っていると、ぽつぽつと雨がぱらつきだした。天気予報どおり。17:34発(5分ほど遅れてきた)の中国労災病院行きのバスに乗車。途中、ばあさん2人の乗降はあったが、それ以外は、運転手とオレだけという...1時間30分のドライブ。途中、遅れを取り戻し、19:00過ぎには終点の中国労災病院に到着。1200円。


みたらいの猫チン。バス停で座っていたら、様子を見にきた。そんなに怪しかったのか笑

  • JRに乗り換えて、呉線で、新広発19:16発に乗車。呉まで2駅、7分ほど。190円。(バスを広駅前で下りて、乗り換えた方がよかったかも。)駅前で食料など買いだして、ホテルにチェックイン。
  • 本日宿泊したのは、ビューポートくれホテル。格安だったのだが、フリーWi-Fiがなく、ちょっと失敗だった。部屋は9Fで、見晴らしもよく、静かで、よかった。朝食なしで、1泊4000円ちょいのプラン。
  • 夕飯を食らい、風呂に入って、早々に眠る。