かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

  • 8:00過ぎに起床。身支度をして、すこしうだうだとして、9:00過ぎにチェックアウト。駅前のジョイフルで、朝食を食らう。ごはん、豚汁、納豆、漬け物にドリンクバーがついて、400円ちょい。が、残念、Wi-Fiはなかった。やむなく、隣の711で電波を拾う。


ホテルの部屋の窓から灰ヶ峰方面を望む。雲の切れ間から、峰がのぞく。

  • 事前に歩くルートを決めていたのだが、時間に余裕があるので、駅近くの観光案内所に寄り、観光マップ類などをチェック。「この世界の片隅に 呉市ロケ地マップ」が張り出してあるが、配布は終了していたみたいなので、とりあえずiPhoneで写真を撮るなど(わりとところどころにこのマップは貼ってあった)。
  • ということで、本日は呉市内を観光、というか、「この世界の片隅に聖地巡礼呉市内編である。まずは堺川沿いに川上に向かって歩く。夜の雨で路面は濡れているが、空は徐々に雲が切れ、青空がのぞきだした。歩いているうちに、こころもち暖かくなってきた。



堺橋。堺川沿いが公園として整備され、歩きやすかった。ただし、工事をしていたけれど...



小春橋。下は小春橋より堺橋を望む。


相生橋付近


朝日橋


市内に散在する公園には、大人向けの運動のための(へんな?)遊具がいろいろ設置されていた。



三ツ蔵(旧澤原家住宅のうち)。澤原家は、澤田屋と称する豪商で、代々庄屋などの要職を務めた。この三ツ蔵は、その澤原家の住宅の一部で、1809年(文化6)に建てられた。三棟並列の三ツ蔵はあまり例がないとのこと。詳しくはここ




北條家はもう少し坂を上がったところ。

  • 北條家は長の木の尾根の中腹あたりという設定なので、この坂をもう少し上がったところにあたるのだが、人家が肩を寄せ合うように密集した生活の場でもあるので、観光客としては、自粛して、この辺りで引き返すことにする。また、灰ヶ峰も上ってみたかったが、またの機会ということで。


れんが通り商店街の北側の入口


めがね橋付近から灰が峰を望む。この後、JR呉線の高架をくぐり、海側に出る。


旧呉海軍下士官兵集会所(現在は、青山クラブ)


美術館通り。道の左右、ところどころに彫刻が建つ。具象が多く、抽象も1、2点あった。いちばん強烈だったのは、太った男性が真っ裸で、頭に鳥打ち帽だけかぶり、座ってサックスを吹いている銅像。あまりに強烈なので、写真掲載は自粛笑(少し見える?)
[補記]2017年4月25日刊の木下直之『せいきの大問題 新股間若衆』(新潮社)の、カバー見返しに掲載の著者近影で、この像のあの部分を熱く撮影する著者が掲載された。


海軍病院前の階段


呉市立美術館


美術館の前に子規の句碑があった。「大舩や波あたゝかに鷗浮く」。


入船山記念館(旧鎮守府司令長官官舎)。洋館部分がちょうど外装の修復工事中だった。この様子を見ていたら、スタッフの方がやってきて、工事のおわびとともに、修復について、詳しく説明してくれた。裏側に和館部(日本建築の住居部分)がついている。中はそちらから入り、ぐるっと観ることができた。入船山記念館の敷地内は、この他にも、旧東郷家住宅離れ(東郷平八郎が呉在任中の住居の離れ)、旧呉海軍工廠塔時計、旧高島砲台火薬庫、郷土館、歴史民俗資料館(主に旧鎮守府司令長官官舎の内壁に使われた金唐紙に関する展示)などがある。入口近くには番兵塔もあり、これなど「この世界の片隅に」に同様のものが出てくる。


他にも、この軍水道防火栓(の蓋。「海軍水道」とあり)といった旧海軍の遺構がいろいろとあった。この海軍専用の水道は1889年(明治22)に竣工、日本で2番目の近代水道とのこと。なお防火栓は消火栓。

  • この後、呉駅前にもどり、遅い昼食を食らい、16:00の広島空港行きのバスに乗車。1時間ほどで、空港に到着。ロービーで一休みして、18:00過ぎにチェックインを済ませ、保安検査場を通過、出発ロビーで本を読んで時間を潰すなど。帰りは、前方席窓際。前から4番目というのは、これまでで一番前方かも。せっかくの窓際だが、夜なので関係ないや。とりあえず天候の心配もなく、無事に飛行機も飛びそうだと安心していたら、例によって、使用機材の到着遅延で、出発時間が19:35から20:05に変更になっていた。ま、いつものことなので動揺しない笑
  • 7:50搭乗開始。8:20に広島空港を離陸。9:28に成田空港に着陸。バスで到着ロビーまで移動。9:40過ぎ。で、終バスまでちょっと時間があるので、ロのカレーを食らう、とかって、なんてバカ笑 その後、終バスに乗車して、23:20頃、無事に帰宅。