かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

余市→小樽


  • 7:00過ぎに起床。身支度をして、2Fのレストランで、朝めし。軽朝食とあったので、期待はしていなかったが、まあ、喫茶店のモーニングというところ。パン、サラダ、ゆで卵に飲み物。味の方はわるくはない。一度、部屋に戻り、8:00過ぎにチェックアウト。
  • 札幌駅まで歩く。20分ぐらいか。土地勘が大分ついたので、適当に道を折れつつ、ぶらぶらと。今日は、まず余市に行き、次に小樽、そして、小樽始発の快速エアポート新千歳空港まで行き、帰路の就く。土休に使える一日散歩切符というお得な切符があり、これを利用する。2260円。これは使用当日のみの販売で、販売されている駅が限られている(新千歳空港、南千歳では販売していない。新千歳空港に着いて、たとえば、夕張に行って、札幌に出るなんて場合に使えるとありがたいわけだけど、それができない。JR北海道、いけずだ)。指定席券他の券売機で買えた。


駅前の大丸に、SIAFののぼりが。今日明日で下ろされると思うと、ちょっとさびしい。

  • 札幌8:43→9:28小樽9:38→10:02余市と、電車を乗り継ぎ、余市に到着。できたら、もう1本早い便にしたかったが(1時間30分早い)、さすがに無理だった。さて、天気もいいし、気持ちのいい朝だ。予定している時間も少ないので、早速、目的地に向かうことにする。最初の目的地はモイレ岬とその近くにある旧下ヨイチ運上家。
  • 駅前から伸びる国道229号線沿いに歩き、余市川を渡ったところで、川沿いに進み、モイレ(茂入)山という小高い丘の周囲を半周して、海まで歩く。途中、道沿いにニッカウヰスキー北海道工場や余市宇宙記念館があった(ニッカは後ほど訪問)。229号線は、別名リタロードと呼ばれ、地元の方々が清掃・美化を行っている。道沿いに花が植えられ、きれいに咲いていた。海に出ると、マリーナや漁港になっていて、あまり海近くには近づけなかった。また、一部が公園になっており、バーベキューなどができるようだ。すでに、何人かの行楽客が来ていた。北側の先端、モイレ岬まで歩くが、桟橋など、ここも立ち入り禁止になっていた。


消防署(北後志消防組合消防本部)。城館風の建物。

余市宇宙記念館。道の駅もあり、朝市で賑わっていた。

リタロードの看板。

余市川。河口方面を望む。

モイレ山。山上によいち水産博物館があるとのこと。

モイレ岬から北方向を望む。

  • 旧下ヨイチ運上家 運上家(うんじょうや)は、蝦夷貿易において、和人の場所請負人(簡単に言うと、交易権を持つ知行主の代理人の商人)とアイヌが交易を行った場所のことで、場所請負人が設置した。余市には、余市川をはさんで上下の2つの運上家があった。また、現存する運上家はこの下ヨイチ運上家だけしかないとのこと。建築年次は不明だが、現在の建物は、遺構をもとに、場所請負人の竹屋長左右衛門が嘉永6年(1853)に改築した際の図面に基づいて、1979年に復元・整備されたものとのこと。旧下ヨイチ運上家は、松前藩蝦夷地支配の遺構として、1971年に建物が国指定重要文化財に指定、一帯の敷地は1973年に国指定史跡に指定された。建物内部には、道具類や人形を配置して、当時の様子を再現している。入場料300円。


  • ぶらぶらしていたら、あまり時間がなくなった。急いで来た道を戻り、ニッカウヰスキー北海道工場/余市蒸留所へ向かう。
  • ニッカウヰスキー北海道工場/余市蒸留所 余市蒸留所は、1934年に創業者の竹鶴政孝によって開設されたとのこと。ヨーロッパの中世城館を思わせる入口で受付を済ませ、もらったパンフをたよりに構内の見学区域を見て回る。ウヰスキーの製造過程、創業者の竹鶴政孝とリタ夫妻にまつわる建物や展示、ニッカの歴史を含むウイスキー博物館(試飲もできる)、レストランやショップなどなど。見学は無料である。で、試飲で熟柿色に染まったおやじが多数…


入口。左手に受付があり、ここでパンフをもらい、見学について簡単な説明を受ける。ガイドツアーもあるが、今回は自由見学とした。


構内はこんな感じ。




創業者夫妻の住居なども移築され、見学できたが、オレ的に、いちばんよかったのは、この休憩所。とんがり帽子がちょこんと屋根にのっていて、かわいい。



さて、もちろんこういうところには創業者の胸像があったりする。というわけで、《竹鶴政孝翁》像である。で、ちょっとピピッときて、後ろを見ると、「1959 S.Hongoh」(○に)新」と、サインがあった(写真下)。作者は、やはり、本郷新。政治家や実業家の顕彰のための銅像とかって、銘板に作者が書かれていないことが多いし、逆に作者からすると、この手の「営業作品」は、芸術作品としては認めず、カタログにも収録されていないことがほとんど。実際、本郷新の場合も、この手の作品は作品集には掲載されていなかったりする。ただし、ここには、「営業作品」も所在が明記されている。

  • 余市駅に戻り、12:30発の小樽行きに乗る。2両編成。余市から乗る乗客がけっこういたのだが、全員座れた模様。12:55、小樽に到着。駅前の中央バスの案内所で、小樽市内一日乗車券750円を購入。小樽市内はだいたい一乗車220円なので、4回は乗らなくては…笑 3乗り場から、13:10発の(赤岩経由)おたる水族館行きのバスに乗車。赤岩経由のバスは、山側を通り、海側を通るバスより少し時間がかかる模様。30分ほどで、終点のおたる水族館の一つ手前のバス停、祝津に到着。ここでバスを降りる。
  • バス停の前に、旧白鳥家番屋があり、外観だけだが、ちょっと見学。祝津は、北海道の初期漁村集落の様子を残しているとのことで、海岸沿いに鰊漁家の住宅、番屋、倉庫などが建ち並んでいる(バスの中から見ただけでも、同じような建物がいくつもあった)。この旧白鳥家番屋もその一つで、明治10年代に建築された。現在では小樽市の歴史的建造物に指定されている。



  • すぐそこの突き当たりまで歩き、駐車場を抜けて、小高い丘の上り口にたどり着く。ここからつづら折りになった道を登り切ると、そこ小樽市鰊御殿がある。小樽市鰊御殿は、1958年に積丹の泊村にあった鰊漁場建築物(いわゆる鰊御殿)を解体、この地に移築したもので、その後、小樽市に寄贈され、1960年に北海道有形文化財・にしん漁場建築として指定された。もともとは、明治・大正の鰊漁全盛の頃に建てられた鰊漁舎のひとつで、泊村の田中福松が明治24年(1891)から7年かけて建てたもの。内部には、当時の漁具や資料などが解説板とともに展示されており、当時の鰊漁の様子や、鰊御殿での生活のさまをうかがうことができる。建物には、広大な広間や隠し部屋などもあり、なかなかおもしろい。中でも、ペーペーの漁夫たちの生活空間、漁夫溜や寝間(というか、寝棚)などや、食器などの生活具に、興味を引かれた。



つづら折りから、小樽市鰊御殿を見上げる。

2Fの客間から。古いガラスのゆがみが光をあわく、やわらかにする。


すぐ近くに劇作家の八田尚之の文学碑があった。1966年設置。肖像のレリーフは内堀功によるもの。

祝津漁港方面を望む。

  • 続いて、鰊御殿の裏手、さらに上がったところにある日和山灯台を訪ねる。もちろん立ち入ることはできないが、展望ポイントがいくつかあり、海景に見とれる。日和山灯台は、小樽港の玄関口にある灯台で、明治16年(1883)に設置された。当初は六角形をした木造灯台だったが、1953年に現在のコンクリート造りになったとのこと。ここも、映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケ場所になったとか。




  • 丘を下り、水族館の方に歩いていたら、水族館のバス停にバスが停まっていたので、あまり時間に余裕がなかったこともあり、これに乗る。小樽祝津パノラマ展望台に行くつもりで歩いていたのだが、これはまたの機会に。バスは、14:20発の小樽運河バスターミナル行き。来た時とは違うルートで、海沿いに走る。小樽駅で下車する。そういえば、食事をしていなかった。さすがに空腹だが、次に乗るバスまであまり時間がないので、駅の売店でおにぎりなどを買って、とりあえず空腹をごまかす。
  • 次の目的地は、本郷新による《小林多喜二文学碑》。設置場所は、小樽駅から西方にある旭展望台のすぐ近く。交通手段は、駅からタクシーに乗るか、最寄りバス停の(小樽)商業高校前までバスで行き、そこから歩くしかない。今回はバス+徒歩で行くことにした。小樽駅から中央バス・小樽商大行きに14:55発に乗車。乗り場はJRバスの2乗り場。乗り場がわからず、案内所で尋ねた。バスは10分弱で、商業高校前に到着。ここで下車。ここからは歩いて、小高い山を登る。といっても舗装された自動車道なので、難はない(ただし、冬季は雪のために通行止めになるとのこと)。距離にすれば、1.3kmほどだが、木漏れ日の中を、30分ほどかけて、のんびり上がる。時々、車が横を通り抜けていくだけで、鳥の声しか聞こえない。展望台の駐車場から少し上がったところに小林多喜二の文学碑はあった。
  • 本郷新《小林多喜二文学碑》[1965] 小林多喜二とその文学を顕彰するために、小林多喜二文学碑建設期成会が、多くの個人、団体の協力に基づき、1965年に建立した。文学碑の制作は、本郷新が担当し、登別軟石を用いて、書物の見開きを模したデザインとなった。中央左側に多喜二の代表作「蟹工船」にちなんだ北洋漁業の労働者のたくましい頭部、その頭上に北斗七星と北極星、右側には多喜二の肖像レリーフがはめ込まれている。碑文は、多喜二が、豊多摩刑務所に収監されていたときに、獄中から救援活動に尽力していた村山籌子(村山知義夫人)に宛てた手紙の一部から引用されている。写真で見ると、まるで生首のような男の頭部がいささかグロテスクで、キッチュな感じもしたのだが、実際に近くで目にすると、そんな感じはさらさらなく、むしろ、重厚な存在感が際立ち、多喜二の文学、人生を色濃く感じさせるものだった。アクセスしづらい場所にあるので、二の足を踏んでいたのだが、今回のお目当ての中でも、目玉的な存在になった。まあ、行ってよかったなと。


小林多喜二文学碑》

多喜二の肖像を描いたレリーフ

北極星と北斗七星

労働者のたくましい頭部

碑文。「冬が近くなると ぼくはそのなつかしい国のことを考えて 深い感動に捉えられている そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある そこでは 人は重つ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている ぼくは何処を歩いていようが どの人をも知つている 赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上つている街を ぼくはどんなに愛しているか分らない」。

  • 旭展望台 続いて、旭展望台へ。展望台に数台の車が止まっていたのだが、展望台には誰もいない。車の主たちはどこ? と少々不思議に思うなど。展望台からは、小樽の街が一望できる。



  • 山を下り、20分弱でバス停まで戻る。16:20発のバスに乗車。小樽商大でなにかイベントがあったのかスーツ姿の学生が多く乗っていた。16:30頃、小樽駅に到着。夕食でもと思ったが、思ったよりもゆっくりできないので、結局、快速エアポート新千歳空港に向かうことにした。



小樽の消火栓。赤、青、黄色とあったが、いずれも帽子を被っており、しかも、色違いだったりした。

  • 空港で、適当な夕食を適当に食らい、保安検査場を抜けて、出発ロビーへ。帰りはJetstarを利用。GK124便で、ほぼ定時の運行。21:30過ぎには成田空港T3の到着ロビーに出ることができた。成田空港から、最寄り行きの終バスに乗車。23:00過ぎには無事帰宅。
  • SIAF絡みで、8月、9月と、都合5回、成田・新千歳を往復したが、濃霧や台風などで、1回ぐらいは飛行機が飛ばないこともあるのでは、と覚悟していたのだけど、欠航も、大幅な遅延もなかったのは、ラッキーだったなと。