かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

旭川

  • 旭川に行ってきた。彫刻放浪である。まあ、放浪を名乗るほど、行き当たりばったりでもないが、ふらふらと野外彫刻を求めて歩いてきたのである。
  • ところで、世には、「彫刻のまち」と呼ぶべきところがあって、旭川も、その一つである。今、思いつきで、彫刻のまち、と呼ぶべき条件を挙げてみると、①彫刻美術館があるか、どうか? ②まちの各所に野外彫刻が多数設置されているか、どうか? ③彫刻コンテストみたいなものがあるか、どうか? そして、④市民に受け入れられているか、どうか? といったところか。旭川には、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館があるし、分館の旭川市彫刻美術館ステーションギャラリーもある。もちろん、市内には100を超える野外彫刻が設置されている。また、中原悌二郎賞という賞を設けて、これを旭川市旭川市教育委員会が主催している。旭川彫刻フェスタという催しも継続的に開催している。市民によるボランティア組織があり、野外彫刻のメンテナンスなども行われてる。かような次第で、旭川は、彫刻のまち、なのである。
  • 最寄り4:58発の始発バスで羽田空港へ向かう。前回は渋滞に巻き込まれて、ひやひやしたが、今回はそんなこともなく、オンタイムの5:50に羽田空港T2、到着。行きの便は、6:40発のAIR DO 081便、旭川空港行き。15分前に搭乗が始まり、時間通りに出発。到着はやや早く8:20到着予定のところ、8:15には到着ロビーに出ていた。旭川市内行きのバスが8:50発で、これもダイヤどおりの運行とのことなので、しばらく空港周辺を見て回ってから、バスに乗り込む。駐車場の入口に、早くも銅像が…(いまいちだけど笑)レルヒ中佐の銅像が高々とした台座の上に設置されていたのであった。旭川電気軌道バス、旭川空港8:50発の連絡バスで市内に向かう。バスは旭川駅を経て、市役所近くの、6条9丁目が終点。終点まで乗車する。市街地に入り、バスの窓からも、ところどころ、野外彫刻が見える。9:40頃、到着。バス停は市役所のすぐ近くだった。


旭川空港ははじめて。


北村善平《レルヒ中佐顕彰像》(1990)

  • まずは、市役所とその周辺にある野外彫刻から始めようかと。市役所前には、新田実《青年像》(1961)が設置されている。この像は、木下直之『せいきの大問題 新股間若衆』(2017・新潮社)中の「股間風土記」冒頭に「北限の裸のサル」として紹介がある。ちなみに、彼が旭川市の野外彫刻第1号だそうだ。市役所のすぐ北側に文化会館があり、その間の庭園/緑地にもいくつか野外彫刻が設置してあった。



新田実《青年像》。下の写真で、向こうに見えるのが、旭川市役所。

  • ふらふらと野外彫刻を求めて歩く、と書いたが、ふらふらになったのは事実だが、予習は欠かさず笑、一応予定を立てて、歩いてきた。その際、参考にしたのが、旭川市のHPにある「野外彫刻について」のページ、中でも「旭川野外彫刻たんさくマップ」(野外彫刻の清掃活動をしているボランティアの会「旭川彫刻サポート隊」が作成。以下、彫刻マップと略す)には助けられた。
  • 最初の目的地は、常磐公園とその公園内にある北海道旭川美術館なのだが、彫刻マップを参考に、7条8丁目から7条緑地を西に抜けて、常磐公園まで歩くことにした。7条緑地は遊歩道になっていて、ところどころに友好都市記念碑が配置されるとともに、旭川ゆかりの彫刻家、加藤顕清の作品が数点、設置されいて、ちょっとした加藤顕清野外美術館になっている。加藤顕清(1894年〜1966年。本名:鬼頭太)は、岐阜県出身の彫刻家、洋画家で、生まれてすぐに一家は北海道に移住、加藤自身も上川中学校(現・旭川東高)を卒業している。東京美術学校では、はじめ彫刻科で高村光雲や白井雨山に師事しているが、研究科卒業後に、改めて油絵科に入り直し、藤島武二らに師事している。主に、官展(帝展・文展日展)を舞台に活躍し、彫刻界?の要職を歴任。まあ、彫刻界の大立て者の一人、ということだな。ただ、経歴を見ていて、ちょっと気になるのは、戦前から終戦までの間に、北海道庁嘱託(昭和7年)、北海道庁千島調査委員委嘱、南北千島樺太踏査(昭和10年)、北海道第二拓殖計画委員委嘱(昭和13年)、海軍省嘱託アリューシャン方面戦線最高顧問、キスカ島施設監督官(昭和17年)などの経歴があることだ(経歴はWikiの他、ここなどを参照)。このあたりについてはもう少し調べてみたい。それはさておき、加藤は、旭川ゆかりの彫刻家、中原悌二郎の作品を旭川に残すことに努力をしたとのことで、現在の旭川が彫刻のまちとなったその礎の一つを築いたのだろう。作品は、亜ロダニズムの写実彫刻で、ここもまた、股間若衆の聖地になっていた笑 なお、加藤顕清の野外彫刻は、旭川市内には、この7条緑地の他に、美瑛川にかかる両神橋のたもとに2体設置されている。ここも訪ねたので、その項で、触れたい。


加藤顕清《婦人像・裸立像》(1938)


加藤顕清《婦人像・着衣》(1964)


加藤顕清《男子座裸像》(1965)


加藤顕清《思惟像》(1961)


加藤顕清《人間像・青年》(1960)


加藤顕清《人間》(1951)


加藤顕清《母子像》(1963)




そして、緑道には、梱包/緊縛芸術の数々も。一番下の緊縛消火栓は傑作である笑 雪対策で、そこここのベンチ、水飲み場などにブルーシートがかけられ、縄で縛られていた。

  • 常磐公園の入口には、(どこにでもある、いや失礼笑)北村西望による銅像が立っていた。今回は顕彰系肖像彫刻である。《永山武四郎之像》(1967)。今回、観た野外彫刻の中では、いちばんよかったかな。遠目でも、量感表現など、ぐっとくるところもあり、やるじゃん、西望、と感心笑 この《永山武四郎之像》は、1967年に北海道百年を記念して、北海道開拓功労者顕彰像建立期成会が、黒田清隆、ホーレス・ケプロン岩村通俊とともに建立したもの。他の3人の像は札幌にあるが(黒田像、ケプロン像は大通公園岩村像は円山公園にある)、永山像はゆかりの深い旭川に建てられた。当初、4像とも、加藤顕清が制作することになっていたようだが、加藤が1966年に亡くなったため、それぞれ別の彫刻家が、加藤の構想の下、制作した。制作は、黒田像は雨宮治郎、ケプロン像は野々村一男、岩村像は佐藤忠良が担当した。



北村西望《永山武四郎之像》

  • 西望の像の後ろにある入口から入ると、左手に広場が広がっていて、その周囲に野外彫刻が立っているのが見える。が、お目当ては、本郷新《風雪の群像》(1970)。男女の裸体像5体(男子4体、女子4体)による群像で、台座の銘板には「北海道開拓記念碑」風雪の群像」企画 風雪の群像を作る道民の会」制作 本郷新」協力 本田明二」昭和45年8月建立」とある。1世紀にわたる北海道開拓者の苦しみと喜びを裸体群像で表現したものだが、オレなどが観ると、ちょっとドラマチックすぎるように感じるのだが…。北海道立旭川美術館の前にも、ブールデルやオシップ・ザッキンの作品が設置されている。他にも顕彰系の銅像も含め、いくつか野外彫刻があった。



本郷新《風雪の群像》

  • ブールデルの作品は先日、福岡市博物館で観てきた4体のうちの1体と同じ《雄弁》である。《自由》《勝利》《力》《雄弁》の4体1組で、もともとはアルゼンチンの大統領を顕彰する記念碑の一部。日本では、福岡市博物館箱根彫刻の森美術館に各1組ある他、北海道立の4つの美術館、札幌の北海道立近代美術館(《力》)、函館美術館(《自由》)、帯広美術館(《勝利》)、そして、旭川美術館(《雄弁》)に分散して、それぞれ1体ずつ設置されている(他にもある模様)。福岡市博物館も先日観てきたし、彫刻の森美術館は(全く記憶がないけれど)大学生の頃、訪ねたことがある。道立の美術館も、札幌、函館、この旭川と3館訪ねたので、次はいよいよ帯広だな(←バカ)


ブールデル《雄弁》

  • ところで、今回、野外彫刻を見て回って気づいたのだが、旭川では、野外彫刻のメンテナンス、掃除が行き届いていて、中でも銅像など、ずいぶんきれいな状態を見ることができた。これは、とてもうれしかったなと。美術館の庭園に設置されていても、蜘蛛の巣が張っていたり、薄汚れていたりということもけっこう多いからね。ただ、旭川、カラスが多くて、こいつらに爆撃?された直後のものもいくつか見かけた笑


常盤公園の、田村史郎《岩村通俊之像》(1990)。額の左側に爆撃の跡が白く…

  • 続いて、北海道立旭川美術館で展示を観覧。展示室は2室あり、第1室が企画展示室、第2室がコレクション展示室になっている。展示は、展示室1で開館35周年記念「プレミアム・コレクション」、展示室2で「HOKKAIDO 北の美術セレクション 」が開催されていた。今回は、ともにコレクションからの展示で、両展示室とも、絵画・平面の作品だけではなく、彫刻・立体の比重が大きかった。いかにも、彫刻のまち、らしいコレクションと言えようか。観覧料は620円(両室別料金だが、両方見ると多少割引きになった)。ただ、ちょっと難儀だったのは、展示室にBGMとしてライトクラシックを流していたこと。実は、旭川の他の美術館もそうだったんだが、これはうざくていただけない。やめてほしい。
  • 公園を抜けると、旭橋のたもとに出た。しばらく見学した後、次の目的地に向かうべく、常磐公園バス停まで歩くが、バスの時間まで少し間がある。ちゃんとした昼食を食べるには時間が足りないと、結局、コンビニ(もちろんセイコーマート!)で、パンなどを買うのであった。旭川電気軌道バスで、常磐公園バス停から春光園前バス停まで移動。20分ほど、220円。冷たい雨が降り出す。



旭橋。全長225.43メートル、橋幅18:3メートル、北海道でも有数の鉄橋。現在の橋は、4代目で、1932年(昭和7)11月完成。

旭川常盤ロータリー(常盤公園の東側)のシンボルタワー。1985年(昭和60)竣工。

  • 中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館 入館料300円。美術館の建物は、旧旭川偕行社(重要文化財)の建物を利用。コレクションは、旭川にゆかりのある中原悌二郎の彫刻(現存12作)をはじめ、中原周辺の彫刻家、北海道や旭川ゆかりの彫刻家、旭川市が創設した中原悌二郎賞の受賞作などを収蔵している。旭川偕行社は、旧陸軍第七師団が旭川に設営されたときに、将校たちの社交場として1902年(明治35)に建設されたもの。戦後は、米軍の将校クラブや博物館として使用されきた。博物館が移転したのにともない、1994年6月、彫刻美術館として開館。2012年から2017年まで、長期にわたって、耐震補強などのため、大規模な改修が行われ、この10月8日に再開館したばかり。2Fの展示室が常設展示で、中原悌二郎やその周辺の作家の作品、近代の具象彫刻や、中原悌二郎賞受賞作品などが展示されている他、中原悌二郎資料室、旧旭川偕行社資料室がある。中でも、中原悌二郎の現存12作をまとめて観られたのはうれしいところだ。1Fは受付・物販・喫茶コーナー、研修室の他、企画展示室があり、今回訪ねた際には、収蔵作品特別展示として「紙と絵筆と、彫刻家」展と題し、コレクションから、彫刻とデッサンなどを並置する展示を行っていた。美術館の隣には、六角堂と称するちょっとかわいい建物があった。これは旭川市4条通12丁目にあった旧竹村病院の玄関を飾っていた塔屋部分を移設したものとのこと(wiki)。彫刻美術館や六角堂の周囲にもいくつか野外彫刻があった。今回は、時間の都合でパスしたが、六角堂のさらに隣には、井上靖記念館があった。


中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館(旧旭川偕行社)

六角堂

山内壮夫《お母さんのひざ》(1956・コンクリート

春光園から彫刻美術館を望む。

  • 再び春光園前からバスに乗り、北高前バス停まで、10分強、220円。バス停は、スタルヒン記念球場のすぐ前。ここで、本田明二による《スタルヒン像》を観る。北鎮記念館まで、少し歩いて、記念館を観覧。冬場は16:00閉館なので、ダメかなと思っていたのだが、なんとか間に合った。北鎮記念館は、旭川にゆかりのある屯田兵、旧陸軍第7師団、現在、駐屯している陸上自衛隊第2師団の歴史や活動をさまざまな史資料を通して紹介・解説する展示施設。展示品の中には、武器類があるなど、戦争博物館的な性格も併せ持つ。第7師団が参加した作戦を詳細に紹介する点など、興味深かった。管理運営は陸上自衛隊第2師団で、受付も隊員がきりっと務めていたのが印象的。


本田明二《スタルヒン像》(1979)

北鎮記念館

  • 護国神社前バス停でバスの時間を調べようとしたら、ちょうど旭川駅行きのバスが来たので、これ幸いと飛び乗る。道北バスだった。10分ほどで、旭川駅前に。190円。バスの本数があまり多くないので、事前に調べもしたのだが、今回はバス運がよく、長く待つことはなかった。
  • 旭川市彫刻美術館ステーションギャラリー 旭川駅周辺は、高架化にともない(日本最北の高架だとか)、近年、駅舎や駅周辺が再開発された。旭川市彫刻美術館ステーションギャラリーは、彫刻美術館が改修のため、長期休館となるのに伴い、2012年に駅舎内のコンコースに開館した。現在は彫刻美術館が再開館したので、収蔵品に基づき、企画展などを開催している。訪ねたときは、「彫刻動物園2017 いきものたちへの讃歌」と題して、動物に題材した彫刻や絵画の展覧会が開かれていた。本田明二の木彫による馬の像など、興味深い。
  • 明日行く予定の旭川駅の南側をチェックし、北側の繁華街、買物公園などを少しうろうろする。さすがに疲れてきたので、目の前にあったラーメン屋で味噌バターコーンラーメンなぞを食らい、例によってスーパーで飲み物などを仕入れて、ホテルに向かう。ちょっと雨が強くなってきた。さすがに寒い。雪に変わらなければいいのだが…。


駅構内にあったオブジェ。作者とタイトルは不詳。これ、けっこうお気に入りです。追記(2017.11.27):安田侃《天秘》(2011)だった。なお、旭川駅の駅舎は内藤廣建築。飛行機とバスだったので、ホームは見なかったが、天井を支える柱の構造など、けっこう凄そうだ。

駅前から買物公園通り方面を望む。

今日、最後の銅像は、買物公園のアイドル、佐藤忠良若い女》(1971)。写真は、真っ黒だけど…

で、梅光軒本店で味噌バターコーンラーメンを食らって、今日は終わり。