かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

彫刻放浪:村上橋の佐藤忠良

八千代市を流れる新川にかかる村上橋に佐藤忠良の彫刻が2点、設置されていると聞き、訪ねてみた。京成電鉄の最寄り駅から京成津田沼を経由して、京成大和田駅で下車し、あとは歩くことにした。村上橋の最寄り駅は東葉高速線村上駅だが、遠回りになるし、電車賃もばかにならないので、大和田から歩くことにした次第。だいたい20分強でたどり着いた。このあたりに来るのは、もちろんはじめてのこと。
村上橋は、ちょうど東葉高速線の高架と交わるようにかかっていた。現在の橋は、1981年(昭和56)に架け替えられたもので、その際に、2つの彫刻が設置された。橋を3等分し、その1/3、2/3の地点の欄干寄りに道路側を向いて、それぞれ彫刻が立っている。西側が《緑》、東側が《太陽》で、ともに裸婦像である。また、橋の西詰めに、「村上橋ブロンズ像設置記念碑」が建てられている。それによると、八千代市のシンボルとなるように、「ふるさと八千代を愛する多くの市民の浄財」によって、この2つの彫刻は設置されたとのこと(「記念碑」は翌年に設置されたらしい)。なんでも、市民活動として、募金や空き缶拾いなどが行われ、多額の浄財を集めたとのこと。
昨年、メンテを行ったとのことで、ブロンズ像の状態は良好だった。
追記(2018.1.21):本郷淳『おやじとせがれ 彫刻家 父 本郷新の思い出』(1994、求龍堂)を読んでいたら、晩年の闘病記のところで、「一二月八日。前から依頼のあった八千代市の橋に佐藤忠良氏と二人で彫刻を—、に応えて下見に外出…」(P188)という記述があった。村上橋の彫刻は、はじめは、本郷新と佐藤忠良にそれぞれ1作ずつ依頼したが、本郷新が1980年2月に亡くなったので、佐藤忠良が2作担当することになったということのようだ。


佐藤忠良《緑》(1981/1981設置)




佐藤忠良《太陽》(1980/1981設置)



村上橋


「村上橋ブロンズ像設置記念碑」(1982設置)。碑文には次のようにある。「村上橋におかれた二つのブロンズ像」太陽と緑は」ふるさと八千代を愛する多くの」市民の浄財によってつくられたものです」昭和五十七年五月三十一日」八千代にシンボルを創る市民の会」。記念碑の前には、ブロンズ像設置のために行われた市民運動の記録と浄財を寄せた市民の名簿が埋納されているとのこと。

>八千代市/村上橋のブロンズ像「太陽」と「緑」
>八千代市/村上橋周辺

村上橋のすぐ近くに、TRC八千代中央図書館・オーエンス八千代市民ギャラリーという施設があり、ちょっと覗いてみたところ、エントランスロビーに、いくつか彫刻が設置してあった。まあ、引き当てちゃうわけだ笑 その中に佐藤忠良《うれ》と本郷新《あかつきの母子像》があった。ここで、本郷新作品に出会えるとは、とちょっと嬉しい驚き。

ゆらゆら橋を渡る。村上橋の少し上流にある吊り橋で、渡るときに本当にゆらゆらと揺れる。ちょっとこわい…


TRC八千代中央図書館・オーエンス八千代市民ギャラリーエントランスロビーの、佐藤忠良《うれ》(1959)。八千代良い音楽を聞く会が、1996年(平成8)7月に将来建設されるだろう八千代市の美術館収蔵品として寄贈したもの。




TRC八千代中央図書館・オーエンス八千代市民ギャラリーエントランスロビーの、本郷新《あかつきの母子像》(1978)。こちらは八千代ライオンズクラブが創立10周年を記念し、国際児童年でもある1979年(昭和54)10月に、やはり、将来建設されるだろう八千代市の美術館収蔵品として寄贈したもの。

行きとは反対側の川沿いを歩いて、大和田駅まで戻る。駅前で野菜を安く売っていたので、大量購入してしまう。なにせ最寄りのスーパーとかだと、とても手が出ない値段になっている。おかげで、大荷物になってしまう苦笑 しばらく野菜は大丈夫だ。