島原半島西望めぐり第2日:南島原→熊本
原城本丸址の、北村西望《信念にもゆる天草四郎》(1974設置)。
- 7:00頃、起床。窓を開けると、青空が広がっている。身支度をして、1Fのレストランで、朝食。温泉リゾート仕様の朝食で、まあまあ美味しい。まあまあだけど。このホテルの前にも、西望作品《獅子吼》が設置してあり、朝の光の中で、これを眺める。寒いことは寒いが、昨日に比べると、風もなく、気持ちがいい朝だ。もう一つ、館内にも西望作品のレリーフ《天女の飛翔》があった。こちらは初めて見るもの。傍らに西望公園の案内板があり、それとともに、付近にある西望作品の地図が載っていた。ただし、情報が古く、すでに撤去・移設されているものもあるようだが、事前にわからなかったものもあり、参考になった。
原城温泉真砂前の、北村西望《獅子吼》(2000.3設置)。台座に「彫刻のある町づくり事業 No.7 2000年3月」とあり。台座は低いが、一応、西望好み。
原城温泉真砂・1Fの、北村西望《天女の飛翔》(1978/2008?設置)。もともとは成田空港開港を記念し、制作されたレリーフで、成田空港T1に《天女の像》の名で設置されている(知らなかった。今度、T1に行ったら、見てこよう!)。真砂に展示の本作は、2008年に長崎市の個人から南島原市に寄贈されたもの。
>参考:成田空港/アート散歩
地図に掲載されていた作品一覧 (西望公園は省略)
- 原城跡 《天草四郎》 ※今回観覧
- 役場(旧・南有馬町役場、現・南有馬庁舎) 《平和の女神》・《笑う少女》 ※《平和の女神》は今回観覧。《笑う少女》は? 西望公園の生家内にあるものが、それか? ※2006年3月31日、周辺8町が合併し、南島原市となる。
- 島原鉄道・原城駅(2008年廃止) 《今日わ》 ※島原鉄道・島原外港ー加津佐間は、2008年4月1日に廃止。駅(外)に設置された《今日わ》は、2010年5月頃撤去された模様。西望公園の生家入口に設置されているものが、それか?
- 古野いこいの広場(古野公園) 《建国の雄志》※稲バージョン ※ストリートビューで確認できる。
※南有馬庁舎の《平和の女神》の台座に「彫刻のある町づくり事業 No.1 1997年3月」とあった。また、原城温泉真砂前の《獅子吼》の台座に「彫刻のある町づくり事業 No.7 2000年3月」、西望公園の《平和祈念像》の台座に「彫刻のある町づくり事業 No.8 2000年3月」とあった。南有馬町時代に、彫刻のある町づくり事業として、1997年から数年かけて、北村西望の彫刻を、町内の各所に設置したと思われる。上記の作品一覧中のいくつかも、おそらく、この事業によるものだろう。
- 朝食後、今回の旅行のもう一つのお目当てである原城趾の見学にでかける。ホテルから、10分強ほど歩くと、本丸址に着いた。
帰りは海沿いの遊歩道を歩いた。奧に見えるのが本丸址、手前が二の丸址。
- 9:00頃、ホテルに帰りつく。少し体が冷えた。あまり時間がないが、まあ、せっかくだからと、温泉に浸かる。身支度をして、チェックアウト。ホテル前の原城温泉真砂前バス停9:38発の西望公園行きの島鉄バスに乗る。バスは小型バスで、乗客はここでみんな降りた。温泉に入りに来たようだ。ということで、西望公園まで、乗客はオレ一人。途中までは大きな道を走るが、しばらくすると細い山道を上り始める。確かにこの道では、大型バスは通れない。しばらく上り、西望公園と書かれた看板と彫刻のある道を折れ、10:00前には西望公園に到着。
- まず、先ほど見えた看板と彫刻を確認しに、今来た道を少し引き返す。野外彫刻は《無限 夏の星座》だった。再び公園に引き返し、受付を済ます。入場料は200円。西望公園と略すが、正式には「北村西望生誕之家 西望公園・記念館」というようだ。北村西望の生誕地を公園にしたもので、1979年に開館(同年、西望は南有馬町名誉町民となる)。1985年に、公園内に生家が西望記念館として修復・復元される。
西望公園。園内には西望の彫刻作品が設置され、展望台からは原城趾を見渡すことができる。
修復・復元された西望の生家/西望記念館。内部では、西望の作品や資料が展示されている。
- 西望公園の野外彫刻は、以下の作品が設置されている。《平和祈念像》(1/4マケット)、《夢》、《光にうたれたる悪魔》、《飛躍》、《聖観世音菩薩》、《不動明王》、《平和の女神》などの他、いかにも生家らしく、西望による西望の両親の胸像と西望夫妻の胸像が設置されていた。この他、島原城の西望記念館もあったのだが、《富田俊子女史》胸像(西望監修、橋本活道作)があった。富田敏子さんは、西望の(おしかけ?)私設秘書を務めた方で、島原城の西望記念館や、この西望公園の設立に奔走された方だとか。また、公園からは、先ほど行ってきた原城趾が遠望できるなど、見晴らしがよく、これだけでもわざわざ来た甲斐があった。
《平和祈念像》。台座に「本作品は東京都井の頭文化園所蔵作品を複製したものです」とわざわざ断り書きを付している。一般に銅像は、塑像→石膏原型→鋳造という順で制作されるわけだが、原型から鋳造されたものはふつう複製とは言わないから、銅像から型どりをして鋳造した、ということかな? それとも、西望の場合も、オリジナルは12体までで、それ以外は複製/コピーとするロダンみたいに作品数が管理されているのかな? なお、台座には「彫刻のある町づくり事業 No.8 2000年3月」ともあった。
《不動明王》。昔のプロレスラー体型!?
《富田俊子女史》胸像(西望監修、橋本活道作)。いかにもパワフルそうなおばちゃんである(失礼!)。
- 記念館にも、入り口のところの《今日わ》(《将軍の孫》)をはじめ、彫刻や書画、あるいは古写真(のコピー)など数多く展示してあった。戦中の作品、飛行服姿の若者の立ち姿、《雄風 海軍飛行予備学生》(1944)や、これは戦後作だが、《山本五十六元帥》(1949)の肖像彫刻の小品(マケット?)などを興味深く観る。例の十二支の小品もずらっと並んでいた。丑年の、牛の背に鳥数羽がとまる《草原の平和》ののんびりした感じがいい。館内で地元の方々が撮影された島原半島にある西望作品の映像で、西望の生涯を振り返るビデオが上映されていて、どこになにが設置されているか、参考になった(例えば、口之津に玉峰寺というお寺があり、その境内に、《聖観世音菩薩》が建立されているなどなど)。なお、館内は撮影不可。
- さて、西望公園から次の目的地の、有馬キリシタン遺産記念館までは徒歩で移動する。畑の中の道をのんびり20分ほど下る。道なりに歩いただけなので、迷わずに無事に到着。有馬キリシタン遺産記念館は、2018年に世界文化遺産登録を目指している「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のガイダンス施設の一つで、主に島原半島に関わるキリシタン遺産について紹介している。入場料は一般300円。はじめにビデオで大まかな全体像が紹介され、その後、展示室1でキリシタン関連の遺物や資料を、展示室2で島原の乱の経緯や原城趾の遺跡発掘の成果を観覧するようになっている。簡潔で、要を得た展示だった。エントランスには、北村西望によるレリーフ《殉教記念碑》が設置されていた。オリジナルは、大分市葛木にあるキリシタン殉教記念公園のために作られたレリーフ(1970年作)。このレリーフを「複製」して、有馬キリシタン遺産記念館の前身、原城文化センター落成を記念して設置されたとのこと。追記(2021.6.27):大分市のキリシタン殉教記念公園のオリジナルは、2019年9月6日に観覧した。そのときのエントリーはここ。
- ここまでのところで、事前に調べた以外に多くの西望作品が野外に設置されていることを知った。全部を観て回ることはできないが、残り時間で、近くにある西望作品を見に行くことにした。まずは、記念館のすぐ隣、南有馬町運動公園内の南有馬体育館にある《母子像》を見に行く。像は体育館の入口(内)に設置されていた。まあ、入口が開いていたので、中に入らせてもらい、ざっと観覧。残り時間があまりないが、続いて、南有馬庁舎に行ってみることにする。途中、原城図書館前に、久しぶりに笑、西望以外の野外彫刻があった。南有馬庁舎前バス停でバスの時間を今一度チェックした後に、歩いて5分ほどの南有馬庁舎へ。庁舎前に《平和の女神》が立っていた。しばらく眺める。ここから歩いて数分の、原城オアシスセンターという施設にも野外彫刻があるようだが、タイムアップだ、ここで、大人しく、バス停まで、戻る。
「南有馬町運動公園」の文字も西望書。西望だらけだ。
南有馬体育館入口(中)の、《母子像》。これは個人から寄贈されたもの。
南有馬庁舎前の、《平和の女神》。台座には「彫刻のある町づくり事業 No.1 1997年3月」とあった。右の建物が、南有馬庁舎。
- 南有馬庁舎前バス停12:20発の島鉄バス、島原駅前行きに乗車。ここからこのバスに乗って、島原港まで、約1時間のバス旅。昨日と違って、土曜日の今日は、バスも空いている。車内は、高校生とお年寄りが少し。バスは、車を運転できない、お年寄りや高校生の重要な足であることを実感するなど。車窓から雲仙岳や海のキラキラ光るさまなどを眺める。13:20過ぎに、島原外港に到着。13:40発の九商フェリーと、13:50発のオーシャンアロー号があり、乗船時間の短い、オーシャンアロー号に乗ることにする。島原港→熊本港までのチケットと熊本産交バスの熊本港→交通センターまでのチケットがセットになったついとる片道きっぷを購入。1300円。ちなみに、バラだと、乗船券が1000円で、バスが550円。
- 出発までの時間を利用して、島原外港緑地公園の西望作品を観に行く。《自由の女神》だ。これを見つけ、ほっと一安心。本当は、この近くにもう1点、《花吹雪》が大手前広場から移設されていたらしいのだが、気づかなかった。周囲に何かないかと見回したのだが、もう少しふらふらすればよかった。まあ、後の祭りだが。時間が来たので、フェリー乗り場に引き返す。
- オーシャンアロー号は、前回、島原観光に来たときにも乗船した。前回は天気がいまいちだったけれど、今回は青空が広がるいい天気で、デッキに出ていても、もの凄く寒いとはいえ、なかなか気持ちがいい。少し遅れて、14:30前に到着、下船した。ここで、14:40発の熊本交通センター行きのバスに乗車。15:30過ぎに熊本交通センターに到着。ここで、通りすがり観光、というか、ちょっと銅像を探る。
- 西望の作品めぐりという今回の旅のテーマからすれば、本妙寺の加藤清正像で締めればよさそうなものだが、これはまたの機会にして、熊本城の周囲、加藤清正像から長塀に沿って歩く。熊本城は、大型クレーンなども見え、復旧が進んでいるようだ。熊本城稲荷神社前の高橋公園緑地へ。ここで、今回の旅行最後の銅像、谷干城像を見る。制作は朝倉文夫。それにしても、朝倉文夫は肖像彫刻の天才だなと、横のさる群像と見比べるまでもなく、改めて思うなど。
熊本市高橋公園緑地の、朝倉文夫による谷干城像(1937原型/1969再鋳造・再設置)。wikiの谷干城の項によると、朝倉文夫による、初代の谷干城の銅像は、昭和12年(1937)、西南戦争60年を記念して建立されたが、1944年に例の金属供出で鋳つぶされた。現在のものは、昭和44年(1969)、明治100年を記念して、初代と同じ原型から鋳造、再建されたもの。以前は熊本城内の天守閣南側にあったが、熊本城本丸御殿の復元に伴い、現在地に移設されたとのこと。
- で、アーケード街で、適当な夕食を適当に食らい、熊本空港に向かうことにした。以前、夕方交通センターでリムジンバスに乗ったら、渋滞につかまった記憶があるので、少し早めの、16:40発のバスに乗ることにした。と、土曜日のためか、すいすいと走り、17:20頃には熊本空港に到着してしまった笑 もう少しゆっくりしてきても良かったかな。
- 帰りは、Jetstar GK618便、予定では熊本19:40→21:20成田。が、もちろん遅延。使用機材の到着が、19:30頃で、結局、19:45頃に搭乗が始まる。到着機材の遅れのため、搭乗開始が○○分遅れますとか、正確に分かりやすくアナウンスしてくれればいいのだが、相変わらず、遅延がわかっているくせに19:30から搭乗の予定ですとか、燃料搭載がどうのとかのよくわからぬ言い訳まがいのアナウンスでイライラさせられる。この件については、LCC、どこも同じ(ジェットスターは特に酷い)。LCCは結局こういうものだと思ってはいるのだが、なんとかならないものか? 20:15頃、熊本空港を離陸。21:25頃、成田空港に着陸。162ゲートに駐機。徒歩での移動で、21:40頃に到着ロビーに出る。終バスまで少し時間があるので、ロでコーラなど買って、一休み。23:30前には無事に帰宅。