かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

彫刻放浪:播磨坂さくら並木→占春園/教育の森公園→窪町東公園/カイザースラウテルン広場→大塚公園→東京ドーム→本郷給水場公苑→朝倉彫塑館→全生庵

文京区方面の野外彫刻を探ってきた。
東京メトロ丸の内線の茗荷谷駅で下車。まずは、播磨坂さくら並木にある4基の野外彫刻を観覧。


播磨坂は道路の中央に桜が植えられ、その周囲が公園になっている。そのところどころで、野外彫刻が4基、設置されている。坂の下から順番に観ていくのが順路だが、今回は逆に坂の上から下っていった。桜の季節にまた来たいとも思うが、その頃は人波が凄いことだろう。



佐藤忠良《風韻》(1994/1995設置)。写真を撮ろうと思ったら、近くにゴミ収集車が駐まっていて、スタッフが清掃を行っている。なので、しばらくベンチに座って、終わるのを待っていると、入れ替わりに、保育士さんに連れられた、ボーイズ・アンド・ガールズの一隊がやってきて…なかなか写真が撮れなかった…笑






山本正道《春の詩》(1995/1995設置)。いちばん前の台座は母子の像。母親とそのマントにくるまれた子供。その少し後方、丸い台座につがいの鴨。さらにその後方の丸い台座には、水草の下に隠れるように子鴨が一羽。


掛井五郎《地下水》(1995/1995設置)。


掛井五郎《哲学者》(1995/1995設置)。


次の目的地は、占春園/教育の森公園。仙川通りを10分ほど歩き、窪町東公園の東側を抜けて、占春園に入る。占春園は長く閉鎖されていたと聞いていたのだが、はたして現在再整備中とのことで(3月末までの予定)、今回は教育の森公園へ抜ける道筋を歩いたのみ(4月からは散策できるようになるようだ)。占春園には、嘉納治五郎像があるようだが、遠くからちらりと見えただけで、詳細はまた次の機会に。隣接する教育の森公園もこれまた3月いっぱいの予定で、大改修中。こちらも通り抜けるだけで、野外彫刻どころではなかった。教育の森には、3基の野外彫刻があるようだが、そのうち、かろうじて1基だけ、観ることができた。

教育の森公園の、御正進《平和の天使》。台座に「文京区非核平和都市宣言」(昭和58年7月13日)があるので、このシンボルとして設置されたものと思われる。公園改修のため、緑色のフェンスが張り巡らされており、四方から観ることはできなかった。改修が終わったら、占春園ともども再訪したい。


窪町東公園/カイザースラウテルン広場。文京区はドイツのカイザースラウテルン市と姉妹都市提携協定を結んでいる(1988年[昭和63]締結)。そのシンボルの一つとして、カイザースラウテルン市の彫刻家、ゲルノト・ルンプフ、バルハラ・ルンプフ夫妻による6基の彫刻による「神話空間への招待」が、1993年10月、窪町東公園の東端に設置され、カイザースラウテルン広場として親しまれている。写真に見える彫刻は、6基のうち、《魚》《一角獣》《アンモナイト》の3基。

明治通りを10分ほど歩いて、次の目的地の大塚公園へ。実は今日のいちばんのお目当てはここに設置されている舟越保武《Eve》。無事に観覧できた。また、大塚公園は、何でも文京区におけるラジオ体操発祥の地とのことで、その記念像があった。

大塚公園の露壇。






舟越保武《Eve》(1990設置)。Eveなので、右手にはりんご。


ラジオ体操の像。台座の説明板を写しておく。「文京区ラジオ体操発祥の地 文京区のラジオ体操は、昭和四年一月十五日、大塚仲町(現大塚四丁目四二番)の本伝寺境内に町内有志が集ったのを始まりとする。」その後、隣接各町会の有志が合流し、三月二十七日、会場を当地に移し、大塚公園ラジオ体操会と称した。」ラジオ体操六十年にあたり、これを記念する。」平成元年三月二十七日 文京区教育委員会


丸の内線の新大塚駅まで歩き、再び地下鉄で後楽園駅まで移動。東京ドーム前で、環境造形Qの、最後の作品を観覧する。



環境造形Q《ストーン・プラザ》(1988)。この作品の制作後、同年10月に環境造形Qは解散する。

再び後楽園からお茶の水まで移動。少し歩いて、本郷給水所公苑へ。ここで、堀口泰造《カルメン》、遠藤松吉《母子像》、柳原義達《道標・鳩》の3基の野外彫刻を観る。

堀口泰造《カルメン


遠藤松吉《母子像》



柳原義達《道標・鳩》。本郷給水所公苑の孔雀鳩は全部で6羽。

本郷給水所公苑から新御茶ノ水駅まで歩き、千代田線で千駄木駅まで移動。谷中銀座を抜けて、朝倉彫塑館へ。朝倉彫塑館では、常設展と特集として「呉昌碩と朝倉文夫」展が開催中で、朝倉文夫との交流を示す呉昌碩の書画その他資料が展示されていた。
行きとはルートを変えて、千駄木まで歩く。途中、西望制作の谷中大観音を拝観しようと、全生庵に立ち寄った。




全生庵の、《谷中大観音(聖観世音菩薩)》。願主は全生庵六世玄恭、北村西望の制作、黒谷美術株式会社の鋳造、有限会社中村石材工業の施工で、1991年(平成3)4月18日開眼。