かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

江別→札幌




札幌・中島公園にて

  • 7:00過ぎに起床。身支度をして、2Fの食堂で朝食。軽朝食の名に恥じない笑、おまけ程度、パンと飲み物だけ。しかも、あまりおいしくなかったのは残念。昨日の雪の残り具合から、今日の予定をどうするか、ちょっと迷いもしたのだが、まあ、予定どおりに行くことにする。ということで、8:00頃、チェックアウト。地下鉄の北12条駅まで歩き、ドニチカきっぷを購入(土休の地下鉄1日乗車券。520円)。南北線で大通まで移動。さっぽろテレビ塔の近くで地上に上がって、北海道中央バス札幌ターミナルに向かう。途中、札幌市民ホール前の、山内壮夫《希望》を観覧(後ほど、再訪する)。北海道中央バス札幌ターミナルからバスに乗るのは初めて。①乗り場から、8:40発の90札江線に乗車。バスは国道275線を豊平川沿いに進み、石狩川の手前で128号線(5丁目通り)に折れ、間もなく工栄町北バス停に到着。40分弱。540円。札幌市内は210円だったが、江別に入ると、ぐんぐん料金が上がったな笑 このあたりは、工業団地の真ん中。ときどき大型のトレーラーが走り抜けていく。土曜日だから、工場はあまり稼働していないのだろう。平日だったら、もっと自動車が大いに違いない。バス停から15分弱歩いて、世田豊平川を渡り、灌木が多くなったあたりに、最初の目的地、榎本公園があった。


工栄町北バス停。工業団地のど真ん中、という感じ。




江別市榎本公園の、《榎本武揚顕彰碑》。榎本公園建設期成会により1970年6月建立。制作は佐藤忠良。「対雁は、黎明日本の明治政府における要職を歴任した「榎本武揚」が、北海道開拓の雄志を託し、農場を開いたゆかりの地であり、江別市発祥の地である」これらの史実を永く後世の人々に伝える記念とするため、対雁住民の総意をこめて榎本武揚顕彰碑を建立する」榎本公園建設期成会」昭和四十五年六月 建之」(以下略)」と同碑の碑文にある。

  • 札江線のバスは本数が多くないので、工栄町北ではなく、見晴台というバス停まで歩くことにした。このバス停だと、江別駅行きのバスが1時間に2、3本ある。榎本公園からだいたい20分弱。工業団地の中の緑地を世田豊平川沿いに抜ける。静かで川のせせらぎと鳥の声が聞こえる。暫くすると、工業団地を抜け、住宅街に入る。土曜日の朝のせいか、ここもとても静かだ。ところどころで、家の前の雪かき、というか、家の周囲に積んだ雪を広げて溶かしている人がいた。道に迷うこともなく、無事に見晴台バス停に到着。バスまで間があるので、目の前のセイコーマートでコーヒーなどを買ってくる。北海道中央バス・見晴台10:32→10:43江別駅(190円)。


江別の黄色い消火栓。

こんな道を歩いて、

見晴台バス停にたどり着いた。

  • 彫刻放浪:江別編 次は、江別駅を起点に、江別市水道部→江別市中央公民館→江別市四季のみち(春・夏のゾーン)→江別市役所と野外彫刻を観て回り、JR高砂駅まで歩いた。


まずは、江別市水道部前の、佐藤忠良《少女》(1981)。


江別市中央公民館前の、國松明日香《風と翼》(1989)。


江別市四季のみち(春のゾーン・国道12号線側入口)の、國松明日香《春風の道》(1993)。「四季のみち」は、北電火力発電所の石炭運搬専用線跡地を利用した遊歩道で、名前のとおり、春・夏・秋・冬の4つのゾーンからなっている。



江別市四季のみち(夏のゾーン・江別市民病院横)の、黒川晃彦《ワンモアタイム》(1993)。雪に埋もれて、いないんじゃないかと思ったが、サックスおじさん健在でした。


江別の黄色い消火栓その2。ずいぶん背が高い。





江別市役所前庭の、《江別開拓記念像 不死鳥》(1968)。江別開拓記念像建設期成会により、1968年11月建立。制作は本郷新。台座に碑文「江別市開基九十周年・市制施行十五年を記念し、江別の開拓と発展につくした人びとに対し感謝の誠を捧げるとともに、将来に向ってたくましい前進を誓い、五万市民の総意をこめてこの像を建立する。」彫像は、伝説の霊鳥として有名な「不死鳥」で、不滅の開拓精神と永遠の生命を象徴したものである。」江別開拓記念像建設期成会」昭和四十五年十一月 建之」(以下略)」。






札幌市中島公園の、山内壮夫作品。上から、《森の歌》(1958)、《笛を吹く少女》(1959)、《鶴の舞》、《猫とハーモニカ》(1961)、《母と子の像》(1961設置)。
>参考:札幌散策 野外彫刻を楽しむ小さな旅
>参考:中島公園の歴史「思い出の山内壮夫」


札幌コンサートホールKitara前の、安田侃《相響》(1997)は、保護シートを被せられ、冬眠中だった。なお、Kitaraのエントランスロビーにも安田侃作品が設置されている。


中島児童会館前の、林正美《ヨットと方向》(1985)


小野健壽《のびゆく子等》(1976)


小田襄《風景の夢》(2000)

  • 彫刻放浪:札幌・創世川公園 中島公園を北から南に抜け、地下鉄で幌平橋駅からすすき野駅まで移動し、次の目的地、創世川公園の野外彫刻を観る、というか、どうなっているか確認する。ここでのお目当ては、安田侃作品だが、いずれも保護シートが掛けられ、冬眠中だった。以前にも来ているが、ここは改めて来たいと思う。


雪に埋もれた安田侃《天秘》(2011)。創世川公園には、いくつか安田侃作品が設置されているが、いずれも冬眠中だった。

  • 彫刻放浪:札幌・大通公園 予定では、今回は半分ぐらいのつもりだったのだが、結局、さっぽろテレビ塔あたりから札幌市資料館まで歩いてしまった。



札幌市民ホール前の、山内壮夫《希望》(1958)


大通西2丁目、山内壮夫《花の母子像<愛>》(1971)


大通西2丁目、佐藤忠良《開拓母の像》(1962)はシートが被せられ、冬眠中。


大通西3丁目、峯孝《牧童》(1956)


大通西3丁目、山田良定《湖風》(1975)



大通西3丁目、本郷新《泉の像》(1958)。何度か来ているけれど、今回がいちばん近づけた。

地下鉄北11丁目駅のホーム壁画にも《泉の像》が描かれていた。


大通西4丁目の噴水塔、箕原正《金属と水のモニュメント》(1968)


大通西3丁目、坂坦道《石川啄木歌碑》(1981)


大通西6丁目、峯孝《奉仕の道》


大通西7丁目、田畑一作《漁民之像》


大通西8丁目、イサム・ノグチ《ブラック・スライド・マントラ》 ※遊具


大通西9丁目、藤川叢三《有島武郎文学碑》(1962)


大通西10丁目、《ホーレス・ケプロン之像》(制作:野々村一男、構想:加藤顕清、1967)[左]と《黒田清隆之像》(制作:雨宮治郎、構想:加藤顕清、1967)[右]。1967年に北海道百年を記念して、北海道開拓功労者顕彰像建立期成会が、永山武四郎像、岩村通俊像とともに建立したもの。永山像(北村西望制作)は旭川市常磐公園に、岩村像(佐藤忠良制作)は円山公園にある。


大通西13丁目のバラ園も冬眠中。佐藤忠良若い女》(1984)の後ろ姿が小さく見える(中央)。

  • 彫刻放浪:新千歳空港編 時間に余裕があったので、空港にある彫刻を探ることにした。新千歳空港には、アートワークとして立体作品など多数設置されているが、このうち具象彫刻がいくつか、国内線と国際線の連絡通路(2F)に設置されている。これを観ることにした。

>参考:新千歳空港ターミナルビル 新千歳空港内アート

佐藤忠良《緑》(1989)


朝倉響子《ANNE》(1992)


加藤豊《おねだり》


細野稔人《ワンダーランド》


こいつもいた。


玉野勢三《ワンピースの少女》


川原竜三郎《太陽と収穫》(1992)


笹戸千津子《ブラウス》(1990)

  • 帰路につく。なんだかんだあって、帰りに搭乗したのは、Jetstar GK120、新千歳20:35→22:15成田という予定の便。ほぼ時間どおりの運航で、22:00過ぎに成田に着陸。到着ロビーには22:12頃出て、そこから猛ダッシュでバス乗り場へ。22:15発の終バスにぎりで間に合った(のだが、息が切れて苦しい笑)。23:30前には無事(ではないな、いろいろあって満身創痍、血だるまで)帰宅。楽しかったけれど、帰ってみれば反省しきりの旅であったなと。