かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

網走→北見


北方民族博物館近くの森にて

北見市仲町風の子公園のベンチ。最近、野外彫刻よりも、ベンチがおもしろくなってきて…

  • 8:00前に起床。身仕度をして、1Fで朝食を食らう。和定食。部屋に戻り、荷物をまとめ、一息ついてからチェックアウトする。今のところ、青空も垣間見える。昨日に比べると、だいぶ涼しい。網走駅前バス停②から、市内観光施設めぐり線8:54発に乗車。終点の北方民族博物館には9:10頃到着。360円。博物館は9:30からなので、しばらく周辺を歩いてみる。森の中の遊歩道があった。
  • 北海道立北方民族博物館 入館料550円。11:00過ぎまで。常設展示は、北方地域の諸民族の文化を、その背景となった先史文化も含めて、衣・食・住・生業・精神文化・文化の伝承などのテーマ別に、具体的な資料をとおして紹介している。北海道のオホーツク海沿岸にかつて栄えていたオホーツク文化あたりが中でも興味深い内容だった。無料の音声ガイドがあり、これを利用した。内容は簡潔なもので、音声ガイドを聴いて、展示コーナーの内容を摑み、展示の解説を読んだり、ビデオを観たりして、理解をより深めるという感じ。全体像と各論がうまくかみ合っていたなと。



  • 北方民族博物館11:15発に乗車し、JR網走駅前まで移動。11:30頃、到着。360円。これで、今回の網走観光は終わり。続いて、北見に移動する。網走11:58発の石北本線遠軽行に乗車。列車はワンマンで2両編成。列車は空いていたが、北見の3つ前の愛し野から高校生がごそっと乗車してきた。試験中で早く学校は終わったらしい。とたんに車中がかしましくなる。北見には13:06に到着。1070円。網走では、涼しいという感じだったが、北見に来たら、寒い、に変わった。最高気温が一桁だったらしい。昨日が30℃近くだったことを考えると、この寒暖の差はちょっときついよ笑



  • とん田公園の野外彫刻 駅前が工事中でちょっと落ち着かない。北見BTの場所をチェックし、空港までのバスチケットを買っておく。1000円。観光案内所で、市内の観光地図をゲットし(地図の精度が悪く、いまいち役にたたない)、空がだいぶ曇ってきたこともあり、自転車はやめて、歩いて回ることにする。まずは、とん田公園に向かった。北見駅からは歩いて10分強といったところか。市民会館や旧図書館(現在は北見駅の東口に新しい図書館ができている)など、文化・教育施設が集まっているところという印象。敷地内に、顕彰系の肖像彫刻やモニュメントなどが散在している。


《伊谷半次郎翁像》(1964.11設置)。銘板などには制作者の名は記されていないが、像にあるサイン「G.Nakano」とあることから、中野五一とわかる。


屯田歩兵第四大隊本部営門之跡」碑。北見開基80年にあたり、1976年7月に現在地の北160mの国道用地内から移設されたとのこと。


《前田駒次翁像》(1949.6設置)。作者は不詳。もとは小公園(北見赤十字病院に隣接の、わりと大きな!?公園)にあったものが移設されたとのこと。





坂坦道《北風賛歌》(1979/1979.11.3建立)。1979年4月20日北見市が十万都市となったのを記念して建立された。北見信用金庫が創業50周年を記念して北見市に寄贈。

  • 北見ハッカ記念館 とん田公園から北見ハッカ記念館はすぐなのだが、途中にラッセル車やらディーゼル機関車やらが立ち並んでいるところがあって、驚くなど。特に公園とか(蒸気機関車を設置してある公園もあったが…)、記念館とかの類ではない模様。ひょっとして個人の所蔵? だとしたら、目が点、などと思っているうちに、記念館に着いた。記念館前庭に、お目当ての本郷新による肖像彫刻が2基立っている


北見ハッカ記念館


《北聯会長 三輪龍揚殿寿像》(1937.9/1937.9建立)。産業組合有志が1937年9月に建立。制作は本郷新。台座裏に、時の北海道帝国大学総長、高岡熊雄による撰文(漢文)あり。これに、1937年10月とあるので、ちょっと月があわない…戦前期の本郷新作品はあまりお目にかかったことがないので、おもしろく観るなど。



《小林篤一像》(1959/1959.11設置)。制作は本郷新。ホクレン農業協同組合連合会が、氏の功績を讃えるため、1959年11月に建立。台座裏に「顕彰の詞」あり。


両像はこんな感じで立っている。

  • 北見ハッカ記念館の見学を済ませ、次に東部緑道にある野外彫刻を観に行くことにした。少し距離があったが、まあ、知らない町を歩くのは嫌いではない。主に小町泉通りという通りを歩く。途中、北見駅の東口、中央図書館、北見芸術文化ホール、オホーツク木のプラザのあるあたりを探るなど。途中、コンビニでおやつを買って、一休みしようと思ったら、ぽつぽつと雨が降り出した。困ったな、とおやつを手にうろうろしていると、緑道の中に、屋根付きのベンチがあった。素晴らしい。ここで一休み。この後、東部緑道の野外彫刻にうまく行き会えた。
  • 東部緑道の野外彫刻 東部緑道は、北見市立南中学校あたりから北海道北見柏陽高等学校ちかくまで約4km続く緑道公園で、用水路かなにかの跡地のようだ。この東部緑道の、青葉通りから東北側の1画に野外彫刻がいくつか設置されている。設置の経緯はよくわからない。(ネット検索で見つけた先賢のサイトを拝見するに、もとは5基あったようだが、今回、その内の1基は見当たらなかった。その1基は木像だったらしく、傷んで、失われてしまったのかもしれない。単なる見落としかもしれないが…) 小川研は北見の彫刻家。土田義昌は武蔵野美術大学出身の彫刻家で、全国各地に野外彫刻があるようだ。松本隆は武蔵野美術大学の教員でもある。土田と松本は、ともに1968年生まれなので、この作品はまだ20代半ばの作品ということになる。そのせいか、近作と比べると、ずいぶん違った印象だ。春日野幸男はネット上ではよくわからなかった。


小川研《地下水系 A-N '93》

土田義昌《進化景色V(遊水)》(1992)

松本隆《対話》(1992)

春日野幸男《考える人》(1992)。なんともな、タイトルだが、現地で眺めているに、あちらの陰画のような作品なのでは、と思えてきた。

  • 北網圏北見文化センター前の野外彫刻 北網圏北見文化センターは、野付牛公園の一角にある。科学館・博物館・美術館・プラネタリウムなどからなる複合文化施設だ。残念ながら、野付牛公園にたどり着くのがやっとで、時間切れとなり、今回は展示は見学はできなかったが、とりあえず、北見文化センター前の野外彫刻を観覧。野付牛公園内にも、他に「何か」ありそうだったが…またの機会に。


中井延也《舞・I MAI》(1989/2000.11寄贈)。愛別町安足間出身の彫刻家、中井延也(1934-1999)の作品。没後、親族より寄贈された。※《舞・I》の「I」は「1」かも。

伊藤隆道《北の空・香る》(1984)。台座から上の部分がモーターでぐるぐる回るっていた。伊藤隆道だからね。

  • 駅周辺の野外彫刻


北見市一番街(北1条通り)の、《屯田時計塔》(1981.8設置)。彫刻は鈴木吾郎による。台座の上に3人の屯田兵、一人は兵装ですっくと立ち、一人は小太鼓を叩いている。そして、写真では見えないが、もう一人は鍬をもって土地を耕している。さらに、時計の上に2頭のエゾジカ。台座裏には「北国のきびしさに耐え、 原始の林にいどみ、 土に生きぬいてきた 開拓のたましいは、今なお 私達にうけつがれています。」とある。  >参考:彫刻家・鈴木吾郎の世界>作品紹介>モニュメント作品



同じく一番街、《屯田時計塔》の少し北西に設置されていたカリヨン。上に母子像があった。作者、タイトルなどは不詳。また、北2条通りの商店街にも、モニュメント(風のもの)が設置されていた。

  • 北見バスターミナル17:50発の北海道北見バス・空港連絡バスに乗車。ビジネスマンがほとんどで、観光客はあまりいない。定刻通り18:30過ぎに女満別空港に到着。夕食を食べ損なったので(海鮮塩焼きそば〜!食べたかったよ〜!!!)、空港のコンビニ(7が入っていた)で適当な弁当を買って安くあげる。保安検査場を通過して、出発ロビーで、一息つく。帰りの飛行機は、Air Do 080便で、フライトは女満別19:25→21:20羽田の予定。羽田空港には定刻の21:20頃着陸したが、駐機場までの移動に時間がけっこうかかり、21:25過ぎに降機、21:30過ぎに到着ロビーに出る。21:40発のバスに乗ることができた。首都高速湾岸線が工事渋滞しているとのことで、首都高→京葉道路という迂回ルートをとったが、ほぼ時間通りに到着した。23:00頃、無事に帰宅。