かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

夕張→札幌

  • まだまだ続く春の北海道シリーズ・第6弾。今回は、夕張、札幌、千歳と回ってきた。お目当ては、例によって、野外彫刻である。2日目に雨で一部予定を変えるなどあったが、いろいろな野外彫刻を観ることができて、なかなかよかった。
  • ただ、最悪のボスキャラは最後に登場…帰りの飛行機、ジェットスターGK124が「機材繰り」で欠航になり、またしてもジェットスターに酷い目に遭わされてしまった激怒 詳しくは、また明日の項で…
  • さて、最寄り5:30発のバスで成田空港に向かう。予定より5分ほど遅れて、6:40頃、成田空港T3に到着。早々に保安検査場を通過して、174ゲート付近で一寝入り。行きの飛行機は、ジェットスターGK105便、成田8:05→9:45新千歳の予定。7:40頃、搭乗が始まり、8:17に成田を離陸、9:42新千歳空港に着陸、9:50には到着ロビーに出ることができた。なかなか快調。新千歳空港からは、JRで夕張まで移動する。新千歳空港10:15発の快速エアポートに乗車。南千歳で、10:43発の石勝線夕張行に乗り換える。10:30発の快速エアポートでも間に合う。乗り換えは、同じホーム。夕張行の列車は1両編成のワンマン運転だった。2019年4月1日を以て、石勝線の夕張支線は廃止されるとのことで、そのためもあってか、ど平日だったが、鉄が何人かいて、車両などしきりに撮影していた。途中、新夕張までの石勝線本線では、駅や線路上で何度か列車の行き違いのための待ち合わせをした。12:26、オンタイムで夕張駅に到着。新千歳空港-夕張のきっぷは1410円。これは地元で事前に買っておいた。
  • 夕張でのお目当ては夕張市石炭博物館とその周辺にある野外彫刻だが、石炭博物館までは駅から2km以上距離があり、しかも、上り道らしい。駅近くのリゾートホテルでレンタサイクルもあるようだが、石炭博物館の近くの社光まで行くバスがあり、レースイリゾート前(夕張駅前)12:33発と夕張駅到着後すぐに出るので、これに乗ることにした。バスは少し遅れてやってきて、10分弱で社光バス停に到着。170円。バス停から石炭博物館まで少し歩く。ところどころに、「石炭博物館→」とサインが出ていたので、迷うことはなかったが、あまりわかりやすくはなかった。なお、石炭博物館は、石炭歴史の村の一角にあるが、博物館を除くと、他の施設は廃止、または機能を止めているようだった。


南千歳駅にて。夕張行の列車は1両編成・ワンマン運転だった。

社光バス停から少し歩いたところ。橋の下は通行止めになっていたが、これは自動車のことらしく、「石炭博物館→」と書いてあったので、この道を歩いた。

  • 夕張市石炭博物館の野外彫刻など






夕張市石炭博物館前の、佐藤忠良《鎮魂の像》(1978/1986.10.16設置)。像は作者から寄贈されたもの。台座に作者自身の銘文があった。「鎮魂の像 石炭によって発展し 百年の歴史をつくってきた夕張 その中で郷土の礎となった あまたの炭鉱殉職者に捧ぐ 佐藤忠良」。佐藤忠良は、1912年宮城県で生まれたが、父親の没後、1919年に母の実家の移住先である夕張町に移り住み、1925年札幌第二中学校に入学するまでのあいだ、この地で過ごした。


同じく博物館前にあった炭鉱労働者像(レリーフ)。制作者のサインと思われる「YAMAUTI」と、「1950・7」の年記がある。特に解説板などはなかったが、これが山内壮夫が制作した「夕張市労働会館外壁浮彫」の「労働のモニュメント」のようだ(受付で質問してみたが、もと労働会館にあったもの云々程度のことしかわからなかった。)なお、外壁から切り出して、現在の状態にしたときに付けられたと思われる銘板が枠横にあり、「Reproducution Yubari-1 1996 製作 (株)造形美術 発注 夕張市教育委員会」と書かれていた。
追記:2018年7月25日、国立新美術館アートライブラリーにて、「夕張市文化財《労働のモニュメント》復元記念 彫刻家・山内壮夫のまなざし」展(夕張市美術館/1997.9.20〜10.19)のカタログ(といか、パンフレット)を閲覧した。このカタログにより、夕張訪問の際に観覧した炭鉱労働者像(レリーフ)が《労働のモニュメント》というタイトルの山内壮夫作品であることなどが確認できた。《労働のモニュメント》のオリジナルはブロンズではなく、テラコッタ製で18のブロックからできている。作品に記されているように1950年の制作で、1950年9月の第14回新制作派展に《労働会館外壁浮彫》習作として出展。同年12月10日に落成間近の夕張市労働会館の外壁に、壁画レリーフとして設置された。夕張市労働会館は翌1951年2月3日に開館。1964年には夕張商工会館と改称。1995年10月16日に火災に遭い、11月20日に解体が決定した。この際、オリジナルの損耗が著しいため、作者の遺族の了解を得て、生前の山内作品の鋳造を担当した業者により、オリジナルのテラコッタから型を取り、ブロンズで鋳造して複製を作成した(1996年完成。これが石炭博物館前で観覧したもの)。オリジナルとブロンズによる複製は夕張市美術館に収蔵された。(夕張市美術館は廃止されたので、ともに石炭博物館に移管されたものと思われる。)[2018.7.25記]


おっ、ロシアアヴァンギャルド!? 多田美波《炭鉱》(1957)。こちらには解説板があり、それによると、このレリーフ日本炭鉱労働組合本部(炭労会館)新築にあたり、ロビー設置のモニュメントとして1957年に製作されたものとのこと。製作に際しては、常磐炭鉱を取材した。1990年に、日本炭鉱労働組合から夕張市に寄贈された。受付カウンターの後に置かれていて、見づらいのはいささか残念。

  • 夕張市石炭博物館 入館料は一般1080円。券売機でチケットを買い、受付でチケットと交換にパンフなどをもらう。常設展は2Fにあり、これを回ってから、エレベーターで地下に降りて、地下の展示や模擬坑道を観覧し、出口(もと坑道の出入り口)から出るという順路。常設展は夕張の炭鉱と町の歴史を、主にキーワードとイメージによって可視化したもの。壁に、町の草創から現在に至るまでの夕張の人口と石炭の産出量を折れ線グラフで示し、その流れを追いながら、夕張の歴史を見ていく。炭鉱の閉山後のもろもろもありのままに展示されていた。



夕張市石炭博物館。1980年7月開館。常設展示がリニューアルされ、今年4月28日に再オープンされたばかり。


2Fの常設展示

地下の展示室に降りるエレベーター


地下の展示の前半は、過去の炭鉱の様子を時代別に再現したジオラマを中心に、道具類・機械類が展示してあった。地上に比べると、一気に肌寒くなる。ジオラマの前にあるスイッチを押すと、音声(ジオラマに合った会話など)が流れる仕組み。薄暗い坑道の中で、他に人っ子一人なく、その代わりに無数の実物大の人形が設置してあり、やけにリアルな人声がする…こ、怖いぃ…笑

地下の展示の後半が、模擬坑道(旧北炭夕張炭鉱模擬坑道)。1900年(明治33)に北海道炭礦鉄道株式会社(後の北海道炭礦汽船株式会社[北炭])が開坑した第三斜坑(天竜坑)の一部を利用したもの。模擬坑道は、もともと1938年(昭和14)に皇族の炭鉱見学のために整備が始まったもので、見学の他に、炭鉱救護隊の実地訓練や鉱員養成などにも用いられた。閉山後の1980年(昭和55)、夕張石炭の歴史村建設計画の一環として再整備され、その後も補修をくり返しながら、炭鉱の歴史を伝える施設として、現在に至っている。

機械類が設置されたままになっている。採掘の実際がリアルにわかる。

出口へ向かう登り口。

出口。出口の周囲は広場になっていて、「石炭の大露出」や坑夫像なども見ることができた。

石炭の大露出 1988年(明治22)、道庁の技師の調査によって発見された。この発見が契機になって、夕張の炭鉱開発が始まった。

  • 夕張の坑夫像 「進発」後に「採炭救国」








「進発」、戦後は「採炭救国」と呼ばれたコンクリートの坑夫像。1944年6月、中村直人、古賀忠雄、圓鍔勝三(当時は本名の勝二)、木下繁ら軍需生産美術推進隊・彫塑班のメンバーが制作。軍需生産美術推進隊・彫塑班制作のコンクリート像は、現在でも福岡、福島、新潟、そして、北海道にいくつか残されているが、この夕張の坑夫像は最初のものらしい。オレが実物を観たのは、筑豊水巻、いわきの湯本に続いて、これが3基目。像のモデルは、当時の北炭夕張鉱業所長、竹鶴可文(よしふみ。ニッカウヰスキー創業者、竹鶴政孝の実兄)。所長自らが石炭生産現場の先頭に立つという意味合いもあったようだ。当初は「進発」と題され、北炭夕張鉱業所前庭に建てられた。戦後は、石炭増産が戦後復興の課題となる中で、「採炭救国」の像という名で呼ばれるようになった。1985年、北炭夕張二鉱事務所前から現在地に移設され、1987年には夕張市文化財として指定された。

  • 一わたり観覧し終わったので、駅まで戻ることにする。帰りは、天気もよいことだし、歩くことにした。夕張市役所やいくつか行きあたった公園などを、一応探ってみるが、特にこれといったものには出会わない。本町周辺には、ゆうばりキネマ街道と名付けられ、古い映画の看板(を模したもの)がところどころに設置されており、目を引いた。駅までは、だらだらと歩き、あっちへいったりこっちへいったりもしたので、1時間ほどかかった。札幌行きのバスまで、少し時間があるので、セイコーマートで飲み物を買って一休み。レースイリゾートの裏手のスキー場に行って、芝生でごろごろなどして、バスまでの時間を潰す。


夕張の野の花

夏のスキー場。レースイって何かなと思っていたら、冷水山だった。登山道があり、2時間で往復できるとのことだった。


夕張駅駅舎。喫茶店と観光案内所も入っている。

待合室には、来年の4月1日に向けてのカウントダウンがあった。

  • 北海道中央バス・高速ゆうばり号は1日3往復の運行で、この日、乗車したのは、15:43発の札幌駅BT行。国道3号線を通り、JR栗山駅を経由して、岩見沢ICから道央自動車道に入り、札幌市内に向かう。快調に走っていたが、市内に入ってから、夕方ということもあり、遅れだし、終点の札幌駅BTには20分強遅れて到着した。終点までの料金は1750円(SUICA)。ホテルに向かうが、途中、例によっていくつか野外彫刻をチェック!笑


JR夕張駅前のバス停


北七条西5丁目のビルの前にあった野外彫刻。銘板が見当たらなかったので、作者・タイトルなどは不詳。まあ、今日はこんなところで…

  • 今日宿泊のホテルは、ビジネスホテル・ノルテII。3月に続いて、2回目の宿泊。軽朝食付きで、3500円(クーポンなどを利用して、実際は3000円)。この時期は、札幌のホテル、まだ安く泊まれる(ハイシーズンになると、ここも3倍近くの宿泊料になることもあるようだ)。3月に宿泊したときは、Wi-Fiがなかったが、新しくついていた。設備・アニメティなど、価格からすれば、まあ、問題なし。