かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

伊東→沼津→三島

  • 青春18きっぷを利用して、伊東→沼津→三島と回ってきた。例によって、彫刻放浪である。先週の猛烈な暑さは収まったとはいえ、それでも暑く、歩き回るにはいささか難儀であったが、いろいろと野外彫刻の類を見て回ることができた。最後に行った、クレマチスの丘のヴァンジ彫刻庭園美術館須田悦弘展も(いつも通りとはいえ!?)なかなかよかったし、間抜けなミスもあったが、まあまあ楽しい一日であった。
  • 最寄り発4:57発の始発で東京駅に出て、5:46発の沼津行きに乗る。寝不足で体調が今ひとつ。車中はほとんど寝て過ごした。7:42熱海着。7:56発の伊東線に乗り換える。8:19に終点の伊東に到着。
  • まずはなぎさ公園を再訪するが、前回とはルートを変えて、湯ノ花通りという商店街を抜ける。事前調査をしていて、この通りにモニュメントがいくつかあるとわかったので、これを観ていくことにした次第。


湯の花通り(石舟庵湯の花店横)の、「お馬の湯」モニュメント(1991.3設置)。伊東市による。作者は不詳。説明板には、北原白秋作詞の「お馬の湯」という曲とともに、明治末頃、一面田んぼだったこの当たりにお湯の池があり、農作業の帰りに、村人たちが人馬ともにこの池で汗を洗い流していたところから「馬湯」「馬の湯」と呼ばれた。1929年(昭和4)に北原白秋が「伊東音頭」などの作詞のために伊東に滞在した折、この光景を目にし、「お馬の湯」を作詞したという説明が書かれていた。2頭の馬の頭がついたモニュメントはいささかグロテスクな感も。モニュメントの中から水が溢れていたが、お湯ではなかった。

湯の花通り(壺ふじ横)の、「湯端町の湯」モニュメント。詳細不詳。

スルガ銀行伊東駅支店近くの、「猪戸温泉通り」モニュメント(1990.3建立)。協同組合泉栄会による。作者は不詳。

  • なぎさ公園、再び さて、渚公園に到着。公園前の市営駐車場には前回来た時は車が1台もいなかったが、今回は多くの自動車が駐車してある。お目当てはすぐ近くの伊東オレンジビーチという海水浴場のようで、水着を着た子供たちが親に連れられて何組もいた。さて、ざっとであるが、渚公園の重岡健治作品を観て回る。前回来た時、設置途中で、新作か、としておいた作品は、公園の案内板を兼ねたものだった。(前回は、2018.3.17に訪問)



  • 按針メモリアルパーク再び 続いて、三浦按針/ウィリアム・アダムス関連の記念碑が立つ按針メモリアルパークを再訪。改めて碑をひとつひとつ観て回る。だいぶ暑くなってきて、寝不足のオレ、ふらふら苦笑


按針メモリアルパーク。三浦按針関連の碑が4基立っている。いずれも重岡健治作。割愛したが、近くの松川の川口公園近くにも按針関連の碑があった。また、メモリアルパーク横には、北原白秋の「伊東音頭」の碑も立っていた。


《海の男 ウィリアム・アダムス》(1987.8.10設置)。伊東市制40周年記念三浦按針碑整備事業委員会による。制作は重岡健治。1600年4月現在の大分県臼杵市に漂着したウィリアム・アダムスは徳川家康に信頼され、航海術・砲術・天文学・数学などを教えた。1904年頃、家康の命で、この松川河口で、日本最初の洋式帆船2隻を建造した。



「日本初洋式帆船建造の地」碑(2004.12.28除幕)。歴史と文化のまちづくり実行委員会による。制作は重岡健治。洋式帆船建立400年を記念して、公園整備とこの記念碑が建立された。


《太平洋を横断する サン・ヴェナ・ベンツーラ号》(1993.8.10設置)。伊東市、伊東按針会による。伊東市制45周年を記念して建立。制作は重岡健治。先にも記したが、ウイリアム・アダムスは1604年頃、徳川家康の命で、洋式帆船2隻をここ松川河口で建造した。「サン・ヴェナ・ベンツーラ号」と名付けられた2隻めの大型外洋帆船は、外房で難破したノバ・イスパニアのドン・ロドリコに貸し与えられ、太平洋を横断し、メキシコのアカプルコに到着した。



エドモンド・ブランデン『伊東市民に贈る』」碑。制作は重岡健治。伊東按針会の企画による。エドモンド・ブランデン(1896-1974)はロンドン生の文芸評論家。1924年(大正13)から3年間、日本に滞在し、東京帝国大学で英文学を講じた。1947年イギリス政府の文化使節として再来日。この際、教え子の中野好夫らが伊東で懇親会を開いたのが縁で、三浦按針碑に感銘したブランデンが「伊東市民に贈る」(1948年7月8日)を書いた。この碑の建立年などは?

  • 松川とその周辺の野外彫刻 松川べりに遊歩道があり、また、公園もいくつかある。野外彫刻やモニュメントなどがいくつか設置されていた。ここも主に重岡健治作品が多かった。しばらく松川遊歩道を歩く。木陰が涼しく、気持ちがいい。途中、大川橋の南側の商店街、按針通りの入口付近に2基の名標を兼ねた重岡健治作品、また、伊東ふれあいセンター前の公園に2基の重岡健治作品が設置されていた。街中、重岡健治作品だらけだ。松川遊歩道には、伊東市出身の医者で、文学者、木下杢太郎(1885-1945)を紹介するレリーフ、説明板などが設置されていた。ところで、この松川沿いに、某幼稚園があり、ここの芝生庭に、安田侃《意心帰》が設置されている。幼稚園の構内ということもあり、観覧はあきらめたが、松川遊歩道に面した遊具の間から遠くにほんのちらりと見えた。


松川河口近くの松川べりの、《Sometime. Somewhere》(2007.9)。デザイン・制作は(有)高島板金、高島裕昌。別に、「思いやりの心」という銘板もあった。こちらには、(社)伊東青年会議所、2007年度まちづくり委員会の寄贈とあった。


松川河口近くの松川べりの、「松川をきれいにする会」レリーフ。詳細は不明だが、重岡健治の制作だろう。



松川河口近くの松川べりの、野外彫刻。タイトルは不明だが、これも重岡健治の作。台座には水道の栓がついている(水は出ないようであったが…)。伊東の町は、重岡健治作品に溢れている。



松川遊歩道(東海館むかい)の、野外彫刻。タイトルは不明。重岡健治作品。こちらは水が出ていて、かなぶんが水浴び?していた(写真下)。



国道135号線の、松川にかかる大川橋を渡ったところから南の部分を按針通り、あるいは按針通り商店街というらしく、その名標として2基の重岡健治作品が立っていた。写真上が清水銀行伊東支店前、下がシルバー交流施設ふじのゆめ前。タイトルは不明。


東海館。昭和初期の木造建築様式の残す温泉旅館(1928年[昭和3]開業)で、1997年(平成9)の廃業後は伊東市に寄贈され、観光施設として活用されている。今回は観られなかったが、重岡健治作品の展示もあるようだ。


伊東ふれあいセンター前の公園の、重岡健治《三美神》


伊東ふれあいセンター前の公園の、重岡健治《母子》。こちらは水道栓あり。


松川遊歩道の木下杢太郎を紹介する説明板などの中から、「南天」(『百花譜』より)のレリーフ。制作など詳細は不明。

  • 伊東市役所の野外彫刻 さて、松川遊歩道は木陰の気持ちのいい道で、いつまでも歩いていたいくらいだが、そろそろ次の、そして、伊東での最大のお目当てである伊東市役所に向かうことにし、道を折れ、国道135号沿いにしばらく歩く。だらだらした上り道で、とたんに暑くなる。やれやれ。10分強歩いた頃に、市役所の西側、物見塚公園に出た。市役所の西側広場、市役所のエントランスロビー(市民ロビー)とパブリックアートを観て回る。以下、その中から、彫刻作品を掲載。彫刻以外にも、工芸や絵画、書、などのPAが設置されており、見応えがあり。


物見塚公園の、《伊東祐親公》(1988.1.11設置)。作者はわからなかった。大同工業株式会社の寄贈。


西側広場から見た伊東市役所。建築(意匠設計)は(株)佐藤総合計画による。中央が市民ロビー、左側が議会棟、右側が高層棟。1995年6月オープン。それまでの海辺から、災害対策も兼ね、高台に移転。PAの多くはその時に設置されたもののようだ。


伊東市役所の名標。



西側広場の、重岡健治《大地より生ず》(1995)



西側広場の、中岡慎太郎《ドリーマー》。はい、これがお目当てでした。



西側広場の、津田裕子《風の通る道》。つけまつげすごい(ごめんなさい)。


市民ロビーの、《レアーチェのギリシャ戦士像》(模刻)。伊東市と友好都市提携を結んでいるイタリアのリエティ市から1994年8月に贈られたもの。伊東市のところどころにリエティ市との友好の証であるモニュメントを、他にもいくつか見ることができた。


市民ロビーの、峯田敏郎《記念撮影−いつもの風》(1995)


市民ロビーの、西巻一彦《宿借り(日当た良好)》(1995)


市民ロビーの、高島裕昌《Destiny》(2007.8)