かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

富士宮→富士

  • 富士宮市にある静岡県富士山世界遺産センターで、「富士山に迫る 谷文晁筆「富士山中真景全図」と新出の富士山真景図」という展覧会が開催されているということを知り、ちょっと出かけてきた。併せて、富士宮市の野外彫刻、さらには富士市の広見公園にある野外彫刻を観覧してきた。夕立に降られたが、やや時間に余裕があったので、沼津で途中下車し、前回見逃した/見落とした野外彫刻も観てきた次第。寝不足と猛暑でへろへろになり、一日曇り空でとうとう富士山も見ることができなかったが、まあまあ楽しい一日だった。
  • 最寄り始発で、東京駅に出て、東京5:46→8:04沼津8:09→8:27富士8:52→9:09富士宮と電車を乗り継ぐ。お盆時期のためか、東海道線がいくぶん混雑していた。車中は寝不足を補うべく、ほとんど寝ていた。富士宮にはオンタイムで到着。ちなみに、身延線に乗ったのは、実は初めてのこと。駅前で朝食を食らおうかと思っていたのだが、適当な店もなく、駅の近くにはコンビニも見当たらない。やむなく、南口に出て、すぐ近くのイオンモールで、おにぎりなどを買って食らう。南口に平和祈念のモニュメントがあった。これが今日の初彫刻。



富士宮駅南口の、《平和の像 はばたき》(1982-86/1988設置)。制作チームは、ブロンズ像制作:富田眞州、題字:七澤象聲?、石材加工:高野石材、施工:依田造園。1984年10月2日、富士宮市核兵器の廃絶と恒久平和の実現を願い、富士山を平和のシンボルとして「核兵器廃絶平和都市」を宣言した(写真上、《平和の像 はばたき》の右横の石碑に宣言文が彫られている)。そのシンボルとして、設置。富田眞州(1951-)は埼玉県生まれの彫刻家で、1982年から富士宮市にアトリエを構え、制作を行っている。

  • 彫刻放浪:富士宮編 イオンからは歩いて、今日のいちばんのお目当ての静岡県富士山世界遺産センターへ。300円。入口に返却式のコインロッカーがあった。夏休み、しかもお盆時期なので、朝から、子どもを連れた観光客が多く、あまりゆっくりと観覧できなかったのは残念。続いて、富士山本宮浅間大社を参拝する。境内に流鏑馬銅像があった。タイから来たグループだと思うが、この前で、何枚も記念写真を撮っていたのがちょっと不思議な光景だった。この後、すぐ近くの富士宮市市民文化会館へ向かう。事前に調べたところでは、ここに顕彰系のおっさんの銅像があるはずだったが、この他にも裸婦像が1基あった。両像とも写真が撮りづらいところに設置してあり、ちょっと苦労するなど。だいぶ暑くなってきたこともあり、近くの停留所から宮バス(中央循環・外周り)11:10発に乗車する。小型バスで、1乗車200円だった。途中、バスの車窓からいくつか野外彫刻を発見。西富士駅前にはデフォルメ系の母子像(富田眞州作の《ゆたかなる明日へ》らしい)が、富士宮市総合福祉会館の前にもモニュメントがあった。大回りするのはわかっていたが、11:45頃、ようやく市役所に到着。市役所前に清水九兵衛作品が設置されている他、北側の駐車場にもモニュメントがあった。なお、市役所内には、建畠覚造《WAVE》(1991)など、コミッションワークもあった。



静岡県富士山世界遺産センターの正面。坂茂建築(2017年竣工)。逆さ富士の中を螺旋形に通路が走り、それを登ることで、富士登山を擬似的に体験する。周囲にはそれぞれの高さから見られる風景の映像が投影されていた。途中に、何ヶ所か、常設展示や企画展示のコーナーがある。常設展は富士山の歴史など。富士山の美術(主に近世期の絵画の画像による)の展示が内容的にはおもしろいが、いまいち画面が小さく、画像も高精細ではないので、少々残念な感じ。映像による展示はむずかしい。バルコニーがあり、そこから外に出られるようになっていたが、荒天でもないのに、どういうわけか、開放されていない。建物はおもしろかったが、全体的にいまひとつ好感が持てない。写真上の赤い柱のようなものは、富士山本宮浅間大社の一の鳥居。




富士山本宮浅間大社



浅間大社流鏑馬像(1995.5.5設置)。下は、台座正面の「流鏑馬練行之図」レリーフ。台座裏面には「流鏑馬祭縁起」が記されている。作者などは不詳。




富士宮市市民文化会館前の、《宙の女》。作者、制作年など不詳(足下にサインらしきものはあったが、読めず)。富士宮ライオンズクラブの寄贈。


ファッキュー!

かと思ったら、またしても人差し指でした(ごめんなさい)。富士宮市市民文化会館横の、《望月軍四郎翁の像》(1989/1989.2設置)。望月軍四郎翁顕彰会による。像の制作は、富田眞州。






富士宮市役所前の、清水九兵衛《抱容》(1991)。



富士宮市役所・北側駐車場の、県立富士宮東高校跡地記念モニュメント《時の流れ》(1991.11.1建立)。同校同窓会による。像の制作は富田眞州。台座には「桜丘偲碑」とあった。

  • 広見公園の野外彫刻 あまりにも暑いので、富士宮市役所近くのコンビニで涼み、アイスなどを食らいつつ、富士宮駅前のBTに戻る。富士山を目指す東南アジアの若者たちであふれかえっている。彼らを尻目に、オレは12:50発の吉原中央駅行きの路線バスに乗車。乗客はオレも含め3人。30分強で、目的地の広見団地・広見公園入口バス停に到着。520円。富士急静岡バスSUICA可。ここから歩いて数分の広見公園に向かう。


バス停の名標。

「広見公園」名標。

案内板を見ると、公園の東側は博物館と移築された古建築や遺跡などがあり(博物館は月休なので、入れなかったが、古建築などは見ることができた)、西側にはいくつかの芝生広場がある模様。お目当ての野外彫刻/モニュメントは中央の通路を行き当たりにあるモニュメント広場とその手前にある小広場に設置されていた。



重岡建治《和》(1996.11)。バラ園の中央に設置されている。市制施行30周年記念碑。なお、広見公園には、市制○周年記念碑がところどころに設置されている模様



O・コモフ《友好の像 プチャーチン提督と日本の漁夫》(1994.3.25設置)


広見公園「彫刻の森」名標。社団法人富士青年会議所が創立25周年記念事業として、数基の野外彫刻を設置し、「彫刻の森」の名付けたとのこと。





柴田靖夫《語らい》(1982.9.12設置)



漆畑勇司《愛》(1982.9.12設置)



《友情》(1982.9.12設置) ※作者名をメモし忘れる。いくら猛暑で頭が飛んでしまっていたとはいえ、最近こんなんばっかりだ。と反省しきり。




岐部琢美《空間移行0017》(1982)


さらに、1983年6月24日付けで、国際ソロプチミスト富士により、「椅子」のお題で、数基の野外彫刻が設置されている。こちらには銘板がないので、作者などは不詳。




以上が、「椅子」の諸作。



梅田勝裕《砂の女 Part II》(1984.9.2設置)。設置年から、この作品が最後に設置されたもののようだ。

  • ひとわたり観たところで、広見公園を後にする。雲が低く垂れ込め、だいぶ天気が怪しくなってきた。広見団地・広見公園入口バス停に着いたところで、ぽつぽつとくる。バス停に屋根がついていて、ラッキーだった。富士急静岡バス14:29発の吉原中央駅行きに乗車。10分強で、到着。280円。SUICA。ここで、JR吉原駅行きに乗り換えるつもりだったのだが、まちがえたか、予定していたバスがない模様。やむなくバス停にいたJR富士駅に停まるバスに乗る。20分ほどで、到着。途中で、眠り込んでしまったらしい。乗り過ごしそうになるなど。310円。SUICA。ここでJRに乗り換える。15:17発の熱海行きに乗車。東海道線は動いていたが、落雷で身延線は不通になっていた。15:45、沼津到着。ここで下車。前回来た時に見落とした彫刻があるので、これを観るために立ち寄ることにした次第。それにしても、雨が強く降っているし、雷も景気よく鳴り響いている。