かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

山形→東根→新庄

  • 山形・横手・北上と彫刻放浪してきた(山形県秋田県岩手県の3県制覇である笑)。当初は、第1日の14日に山形まで新幹線で行き、山形を回った後に、奥羽本線で東根・十文字に立ち寄って、横手で泊まり、第2日の15日、横手を回り、北上線で北上を経て、東京まで新幹線で戻ってくる予定だったが、8月の豪雨で奥羽本線の新庄−横手間の一部が不通になり、その間が代行バスになるという事態になった。代行バスでもいいのだが、調べてみると、電車に比べて、時間が大幅にかかるらしい。15日から不通区間が開通するとのこと。それならば、予定を少し変えて、14日は新庄まで行き、新庄に宿泊することにし、翌朝、始発の列車で横手に出ることにした。十文字には時間の都合上、立ち寄れなかったのは残念だったが、それなりにいろいろと観て回ることができたのは幸いだった。天気も大きく崩れることもなかったが、ちょっと予定を詰めすぎて、野外彫刻しか回れなかったのは、今後の反省としたいところ。どうも貧乏性で予定を詰めすぎてしまう。時間に余裕を持たせて、現地での思いつきをもっと大事にしたいなと。
  • さて、最寄り始発で東京駅に出て、つばさ121号、東京6:12→8:57山形に乗車。えきねっとのトク35で、7370円だった。車中、がさがさやぺちゃくちゃ、さらにはかちかちで、たいへん難渋させられる。早朝なんだから、もっと静かに過ごさせてほしい、というのは新幹線では無理な願いか… まあ、辛抱に辛抱を重ね、なんとか無事に山形に到着苦笑 
  • 改札口前の、観光案内所へ行き、「城下町やまがた観光レンタサイクル」を借りる。9:00〜17:00の間、無料で借りることができる(詳しくはここ)。たしか前回来た時も借りた。今回は4号車。すっぴんのママチャリだが、市内を徘徊する分にはこれで充分だ。ということで、早速、野外彫刻を求めて、出発。
  • 山形市街には、数多くの野外彫刻が設置されており、市で散策マップの類を作り、配布をしている(た?)ようだが、今回は入手できなかった。ということで、先達のアップされている情報などを参考に、SVでの探索をもとに、町中を自転車で回ってみた。何事にも先達はあらまほしきものである。多謝。
  • 山形市公園通りの野外彫刻 まず公園通りと呼ばれるあたりに行ってみた。駅前の大通りを少し進み、県道271号線を南に向かう。このあたりの道の左右にもいくつか野外彫刻やストリートファニチャーなどがあるが、県道18号との交差点の少し先から最上義光歴史館までの間に、野外彫刻がいくつか設置されている。四季の名をそれぞれタイトルにした女性像の競作や抽象の野外彫刻、さらには山形ゆかりの動植物を彫ったストリートファニチャーなど。ここでは、野外彫刻を掲載。


服部公右衛門《春》(1994)


コルサニーニ・ジーノ《夏》(1994)


別府博文《秋》(1994)


上野良隆《冬》(1994)


朝賀正治《おもい−石にふれる》(1995竣工)。桜木商店街通り街づくり委員会による。


ベネデット・ミケ−レ《対話》(1994)


豊烈神社境内の、《城代家老 水野三郎右衛門元宣》(1946再建)。像の制作は服部午山。現在の像は2代目で、初代は旧山形藩士をはじめとする市民有志により、1901年(明治34)に建立されたが、1943年(昭和18)に供出され、溶けて消えた。水野三郎右衛門元宣(1843−1869)は幕末維新期に山形藩の家老を務めた人物で、山形藩が官軍側から奥羽同盟に加わった罪を一身に背負い、山形を兵火から守った人物とのこと。わずか27歳で刑死している。

  • 最上義光歴史館前の野外彫刻 続いて、最上義光歴史館の前庭にある野外彫刻を観覧。最近設置された最上義光像と、佐藤忠良と笹戸千津子の女性像2基だ。ただ、女性像は池の石組みの上に設置されており、近くで見ることができなかった。


最上義光》(2016.11.12設置)。像の制作は雨宮透。山形西ロータリークラブが創立60周年事業として寄贈。最上義光(1546-1614)は山形県のほぼ全域を統一した戦国大名で、山形発展の礎を築いた人物。


最上義光歴史館前の池の石組みの上に、佐藤忠良(向かって左)と笹戸千津子(右)の2像が立っていた。近づくことができず、遠目での観覧となった。銘板などは確認できなかった。


佐藤忠良《愛の女神》


笹戸千津子《若き立像'96》

  • 霞城公園山形美術館前スクエアの野外彫刻 続いて、山形美術館前の広場に設置されている野外彫刻群を観覧。この広場は後に霞城公園の一部となり、「霞城公園山形美術館前スクエア」と命名されたとのこと。


佐藤助雄《燭》(1987.4.20設置)。山形西ロータリークラブが創立30周年記念に設置。


蓮田修吾郎《ブラスの抱擁》(1986.9設置)。山形新聞、山形放送、山形テレビ、山形交通の寄贈。


竹内正治《のぞみ》(1970/1970.7.1設置)。山形市制80周年を記念して、山形西ロータリークラブが創立10年記念事業として寄贈。


桜井祐一《やすらい》(1973/1986.7設置)。山形新聞・山形グループ連合(会長:服部敬雄)の寄贈。台座が「霞城公園山形美術館前スクエア」の名標を兼ねていた。


ハンス・コック《ハモニアの頭》(1987.5設置)。山形新聞・山形グループ連合(会長:服部敬雄)の寄贈。


藤武松《青空》(1986.7設置)。山形新聞・山形グループ連合(会長:服部敬雄)の寄贈。

  • 山形美術館 もちろん、山形美術館にも立ち寄る。「第73回 山形県総合美術展覧会」がちょうど開催中で、通常だと、常設展観覧料は500円だが、県展開催中は、共通料金の600円になるとのことだった。お目当ては、常設展のうちの新海竹太郎・新海竹蔵彫刻室と古美術の長谷川コレクション室。中でも新海竹太郎の作品は顕彰系の肖像彫刻以外の、裸婦や農民などを彫った作品を観ることができた。新海竹蔵の乾漆像なども興味深い。また、美術館の目玉の一つである吉野石膏コレクションのフランス近代絵画も観覧。この他、小さな展示室に彫刻が置かれており、山形ゆかりの彫刻家や佐藤忠良や笹戸千津子などの作品もあった。1時間ほど。
  • 霞城公園の野外彫刻 二の丸東大手門から霞城公園(の本体?)に入る。すぐ前の広場に最上義光の騎馬像がすっくと立っている。自転車でぐるっとひとまわりしたが、時間に余裕がなく、博物館などはパスしたのは、少し心残り。


二の丸東大手門広場の、《最上義光之像》(1977.11建立)。原型制作は西村忠。


同、《山形開祖 斯波兼頼公》レリーフ(1976.6.23設置)。制作は西村忠。山形ロータリークラブが創立25周年を記念して建立。台座は下記掲載の《ローレンツ先生》レリーフと同じような感じ。


山形市郷土館前の、《ローレンツ先生》レリーフ(1970.6.10設置)。これも制作は西村忠。山形ロータリークラブが創立20周年を記念して建立。

  • 山形市役所とその他の野外彫刻 市役所の庁舎内にも多くの彫刻があるようだが、庁舎内は見落としてしまった。失敗。


田豊《無限空間1984年》(1983.10設置)。個人の寄贈。


神長佐充《雷の休日》(1983)


吾妻兼治郎《MU-1000》(1984.11)


山形市役所西側駐輪場前の、《無散水消雪道路記念碑》(2008.5設置)。デザイン・制作は峯田義郎。無散水消雪道路記念碑建設実行委員会による。


山形メディアタワー前の、土谷武《向かい風II-a》(1981)


やまぎんホール(山形県民会館)前の、桜井祐一《伸び行く》(1961)。東北電気工事株式会社の寄贈。白コンクリート像。


山形県生涯学習センター・遊学館前の、渡部星村《山に向かいて》(1989/1990.7.27設置)。山形県人東京連合会が遊学館開館を祝って寄贈。


県政史緑地の、峯田義郎《月の階段》(1996/1996.9.23設置)。山形西ロータリークラブが創立40周年を記念して寄贈。


山形銀行本店北側の、峯田義郎作品。タイトルなど不詳。


同、《シネマ通りのモニュメント》(1995)。作者は不詳。


荘内銀行山形支店前の、渡辺林太郎《信頼の木 Luna》(1997)


山形市民会館前の、峯田義郎《明日への旅》(2005.5.22設置)。国際ソロプチミスト山形認証30周年記念として設置。


山形市民会館前の、佐藤助雄《みのりの調》(1973.7設置)。株式会社殖産相互銀行の寄贈。鋳造は西村工場。


歌懸稲荷神社境内の、新海竹蔵《新海竹太郎君》(1955)


山形駅東口ペデストリアンデッキ上の、《虹を翔ける昇陽》(2002.12設置)。作者は?


霞城セントラル前の、會田雄亮《虹の防人》(2000)


さくらんぼ東根駅前の、市制施行45周年記念モニュメント《和み》(2003.11.8設置)


さくらんぼ東根駅東口の、《佐藤栄助翁と子供たち》(2003.5建立)。佐藤栄助(1867-1950)は「佐藤錦」を生み出した人。


さくらんぼ公園の、長谷川雅也《薫風》(2011.6設置)。個人の寄贈。


ベンチもさくらんぼだぁ。


東根市役所前の、「東根市の歌」碑。谷川俊太郎作詞、林光作曲。


東根市役所横の、峯田義郎《明日へ》(1995/1995.8.15設置)。戦後50年記念モニュメント。

  • 新庄の峯田義郎作品 さくらんぼ東根15:21発の新庄行きに乗車。新庄には16:07に到着。760円。まず駅近くのホテルに行き、チェックインする。荷物を置いて、暗くなる前に、新庄ふるさと歴史センター前にある峯田義郎作品を観に行く。15分ほど歩いて、到着。国体開催記念の像だった。ふるさと歴史センターは16:30までなので、到着した頃にちょうど閉館になっていて、見学はできなかった。またの機会に。続いて、最上公園を一回りする。何かありそうだったが、特に何もなし。町中を少し歩き、途中、見つけた地元のスーパーで食料を仕入れてホテルに戻る。


新庄ふるさと歴史センター前の、峯田義郎《明日へ》(1992.12.20設置)。べにばな国体開催記念として設置。