かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

下曽我→浜松→名古屋


下曽我駅ホームから見た富士山。

  • 名古屋に行ってきた。お目当ては、名古屋市博物館で開催されている特別展「画僧 月僊」である。わりと最近、この展覧会のことを知り、慌てて、観に行く計画を立てた。この冬は、青春18きっぷを使って、小田原市平塚市の野外彫刻を見て回る計画を立てていたのだが、平塚市は別の機会として、小田原市の計画と組み合わせ、往路は青春18きっぷ利用で向かうことにした。時間が、多少ありそうなので、途中の浜松で下車し、休憩を兼ね?、浜松の野外彫刻を探ることにした。帰りはぷらっとこだま利用とし、月僊展の他に、日の暮れるまで名古屋の野外彫刻を探ることとした。
  • 下曽我駅と上府中公園/「'90 小田原城野外彫刻展」の作品 まずは最寄りから最初の目的地の御殿場線下曽我駅に向かう。最寄り5:15→5:56東京6:07→7:24国府津7:47→7:52下曽我と、電車を乗り継いだ。1990年秋に神奈川県と小田原市が'90小田原城野外彫刻展を開催し、その入選作が小田原市内の公園や公共施設に設置されている。その内の一部を以前、見てきたのだが(第1弾の記事はここ)、今回はその第2弾。下曽我駅西口の1基と、下曽我駅から徒歩10分ほどのところにある上府中(かみふなか)公園の7基(当初は8基だったが、1基は撤去されている)を見て回る。まず西口のロータリーに設置されている1基を観覧し、上府中公園まで歩く。上府中公園は1990年に開園した総合公園で、野球場などの運動施設もある大きな公園。野外彫刻は開園早々に設置されたようだ。公園を時計と反対回りにぐるっと歩いて、彫刻を観覧。大型の作品が多く、わりと容易に見つけることができた。(掲載はパスするが、下曽我駅東口に顕彰系肖像彫刻(胸像)が1基あった。)

>参考:小田原市 野外彫刻作品


下曽我駅西口の、上別府志郎《COMANOGOTOKU》※'90小田原城野外彫刻展・入選


上府中公園・修景池の、西野康造《風の中で》※'90小田原城野外彫刻展・大賞 写真ではわかりづらいけど、翼の形をしている。


上府中公園・野球場東側の、五十嵐晴夫《磐座(いわくら)》※'90小田原城野外彫刻展・入選


上府中公園・多目的広場の、太田明甫《エッサ・ホイ・サッサ》※'90小田原城野外彫刻展・入選


上府中公園・多目的広場の、戸田裕介《Smash IV》※'90小田原城野外彫刻展・準大賞(タイトル板なし) >戸田裕介(公式)


上府中公園・野球場北側の、佐光庸行《風》※'90小田原城野外彫刻展・入選


上府中公園・野球場北側の、望月志郎《Crush Media》※'90小田原城野外彫刻展・優秀賞


上府中公園・野球場南側の、鹿田淳史《開花 COSMIC SPACE》※'90小田原城野外彫刻展・優秀賞 のタイトル板と撤去跡。破損?のため、撤去されたらしい。タイトル板はそのまま残っていた。鹿田淳史(1958-2003)は京都市出身の彫刻家。


上府中公園・南側駐車場の、末田龍介《風の標識》※'90小田原城野外彫刻展・入選

  • 西平畑公園・チェリーナの丘(彫刻の丘) 下曽我駅9:55発の御殿場線下りに乗車。10分ほどで松田駅に到着。ここから徒歩で20分ほどの西平畑公園が次の目的地。東名高速の向こう、山の中腹にある公園が、駅のホームからも見えた。行きはちょっと道をまちがえ、余計に歩いてしまったが、20分強で無事に到着。途中から階段を延々とのぼり、息が切れる苦笑 西平畑公園の子どもの館の隣の芝地に、5基のドラゴ・マリン・チェリーナの母子像、少女像が設置され、「チェリーナの丘」と呼ばれている。作者のドラゴ・マリン・チェリーナ(1949〜)は旧ユーゴスラビア(現クロアチア)出身の彫刻家で、現在は上海に住んでいるらしい。1990年に開催された国際花と緑の博覧会(大阪)で、国際庭園のユーゴスラビア庭園の設計を担当したことが縁となって、インテックス大阪に8基の女性像が設置されているとのこと(→ここ)。チェリーナの丘の5基の像は、いずれも(株)キョウエイ・アド・インターナショナルの寄贈。それほどチェリーナ作品が好きというわけでもないのだが(失礼!)、地元にもあったりして、いろいろと調べたりもしたので、こうして縁あって!?、観に来た次第。


《MOTHER & DAUGHTER 母と子》(1976) 子供の抱き方がちょっとすごい。クロアチアとか、東欧はこういう抱き方なのか?


《HARVATICA 望郷》(1967)


MAKO AND IGO 母と子》(1977)


《BALRINA バレリーナ》(1970)


《プルコスニツァ PRKOSNICA》(1971)

  • 急いで山を下り、松田駅に向かう。なんとか11:01発の御殿場線国府津行きに間に合った。当初は、11:40発の沼津行きに乗って、御殿場線を制覇笑してから浜松に向かうつもりだったが、浜松での滞在時間を少しでも多くしたいので、間に合うようなら、1本早い国府津行きに乗りたかった。松田11:01→11:16国府津11:20→11:57熱海12:08→12:21三島12:28→13:59島田14:10→14:55浜松と、御殿場線東海道線を乗り継ぐ。それにしても、静岡県、な、長い。電車の中で、寝て起きて、寝て起きて、寝て起きても、まだ静岡県、という感じだ。
  • 彫刻放浪・浜松編 のんびりコーヒーでも飲んで、温まりたいところだが、これは後回し。日暮れまであまり時間もないので、先を急ぐことにする。まず浜松駅北口広場の流政之作品を観覧。その後、遠鉄バスで市役所まで移動。120円。市役所前の野外彫刻を観覧。続いて、すぐ裏手の浜松城公園で、野外彫刻を探り、公園の南側、浜松城出丸跡の浜松市立中央図書館の彫刻を観る。予習したところ、ゆりの木通り(国道152号線の連尺交差点から板屋町交差点あたり)と広小路にいくつか野外彫刻があるようなので、これらを探りながら、駅前まで戻ることにした。そして、最後にアクトシティ浜松のアートワークを観覧。ただし、駅前にたどり着いた時点で、16:30を回っていて、すでに薄暗くなっていた。なので、残念ながらアクトシティの野外設置のアートワークの写真は、一部しか撮れなかった。また、駅周辺にも、他に野外彫刻があるようだ。これも含め、次回を期したい。
  • 浜松駅北口広場の流政之


流政之《MATAKITA LA》(1988)。女性像らしい。それにしても、この方、全国津々浦々、どこにでもいらっしゃる。

  • 浜松市役所、浜松城公園浜松市立中央図書館など 今回は時間の都合でパスするつもりだったのだが、松田で1本はやい列車に乗れ、浜松に予定より30分早く着いたので、あまりゆっくり見て回れないが、行ってみることにした次第。


市役所前のモニュメント。タイトル不詳。制作は水野欣三郎。台座に作者の「作者の言葉」があったので、これを引いておく。「真中の楕円形の空間は果実の核ですかしの小突起は不断に持続する生命を意味する胚です 胚の小突起を中心に伸びゆく生命の躍動を手の五指にかたどり 協力一致の力をあらわし二つの球状突起は子供を抱いた母子像のイメージで手のイメージと二重像になって 浜松市の発展と市民の幸福のためのシンボルとしました」。水野欣三郎(1904-1996)は、浜松市出身の彫刻家。浜松を拠点に、戦後は主に二紀会で活動し、また、浜松の文化に尽力した。多くの作品が浜松市を中心に残っている(その一部は下記に掲載)。


市役所前のモニュメント、《市民の憩いの場》(1970.4設置)。作者は不詳。


浜松城公園の、《若き日の徳川家康公》(1981.12.20設置)。徳川家康公若き日の銅像建設委員会による。制作チームは、彫刻:水野欣三郎、鋳造:河野敏彦、台座:株式会社林工組。


浜松城公園の、《浜松市戦災被爆者慰霊碑》(1979.3.21設置)。浜松市戦災被爆者慰霊記念碑建設委員会による。制作チームは、原型製作者:水野欣三郎、工事施工者:大島義雄。


浜松市立中央図書館前の、水野欣三郎《フローラ》(1950.11設置)。台座の説明板によると、1950年11月に浜松市立図書館のために、セメント像《フローラ》が制作・設置され、その後、(傷みのため?)1994年3月、ブロンズ像に作り替えられた、とのこと。公共空間に設置された裸婦像(布を纏っているが)としては、かなり早い時期のもの。中央図書館には、館内に、中島東洋《大空》(1931)が設置されている(もと浜松市公会堂に設置されていたものが、1950年に移設されたとのこと)。こちらも公共空間に設置された裸婦としては早い時期のものですね。館内なので、写真は遠慮した。>参考:浜松市立中央図書館【公式】twitterこのつぶやき

  • 広小路の水野欣三郎 駅前大通の広小路の、旭町交差点から板屋町交差点の東西の歩道上に10基の野外彫刻が設置されている。これらは広小路商店街の広小路共栄会の発意によるもので、市が資金の一部を助成した。1988年4月14日に完成し、「彫刻の散歩道」と呼ばれた(今となってはその名称もほとんど忘れられている…みたい)。10基の野外彫刻はいずれも水野欣三郎の作で、一部を除き、ほぼサイズの小さな作品で、同じ作者の作品としては、作風がまちまちで、それがなかなかおもしろい。(以上、ADEAC掲載のデジタライズされた『浜松市史』の記事、「彫刻の散歩道」などによる。)


以下、西側歩道の駅寄りから掲載。《サーフィン》


《街角》


春一番


《ダフネの変身》


《谿声広長舌》


以下、東側歩道の駅寄りから掲載。《ヴィーナスの誕生》。これがいちばん大きな作品。


《海辺》


《影》


寒山拾得


《四季の起り》

  • ゆりの木通り 前後するが、広小路の前に探った、国道152号線神明町から田町にかけての、ゆりの木通り商店街の周辺に設置された野外彫刻を観る。先にも参照した『浜松市史』の「彫刻の散歩道」の項には、「なお、浜松市内のゆりの木通り(国道一五二号線)の四車線化に合わせ、歩道部分に日・米・英の十人の彫刻家の手になる石の彫刻五基が設置されたのは平成三年三月のことである」とあるが、それらが、どの彫刻を指すのか、わからなかった。


田町交差点の一つ西側の交差点に設置されている小彫刻。写真右が八ツ木のぶ《燈火の人》(2010.5.20設置)、写真左が竹内淑浩《大地(土)より》(2010.5.20設置)[銘板が失われている]。参考にした映像によると、交差点の四方に設置されていたようで、他の2作品は見落としてしまった(?)。残りの作品は八ツ木のぶ《水の妖精》(2010.5.20設置)と桜井壽人《光と風のステージ》(2010.5.20設置)。火・水・土・風がテーマだそう。>参考:「楽しい nobu view #98 : ゆりの木通りにおいでよ 1 『4つのパワー』」youtube


上記と同じ交差点の北西側、ビオラ田町前に設置の、流政之《ASOBAMAIKA》(2008)。


上記の交差点の一つ東側の田町交差点の北西側に設置の、織田啓介《銀河−月》(2009.5.24設置)


万年橋パークビル前の、石彫作品。銘板の跡らしきものもあったが、作者、タイトルなど不詳。ベンチの裏側にカエルちゃんがいた。『浜松市史』の「彫刻の散歩道」の項にあるゆりの木通りの5基の石彫作品の一つはこれかな? とすると、あと4基は?


大原簿記情報医療専門学校浜松校・入口の、山本利治《慎独》(1991.11)。ちょっと強烈で、目が覚めた笑

  • アクトシティ浜松のアートワーク 最後にアクトシティ浜松のアートワークを見て回る。といっても、そろそろ日が暮れて、屋外に設置してある作品は暗くて、よく見えない。また、ちょっと慌ててしまい、見落としたと思われるものも幾つか。屋外だけではなく、ホワイエなどにも設置してあるが、屋内の写真は割愛。まあ、もう少し明るい時間に再訪します。 >参考:アクトシティ(公式)アートワークのご紹介


A-zone西側、地上から地下階の広場(サンクンプラザ)に降りる階段に設置された、手塚登久夫《梟》(1994)※2基とも同タイトル。


サンクンプラザ東側の、西野康造《風の中で》(1994)。今日、2基めの《風の中で》。こちらは、楽器の町、浜松らしく、ホルンの形をしている。


ショパンの丘の、田中信太郎《"Noah"あるいは音のディスタンス》(1994)


ショパンの丘の、濱坂渉《音響の台座-I》(1994)


ショパンの丘の、杉村孝《石をくった話》(1994)


ショパンの丘の、見崎泰中《緑の通信94-3A》(1994)


ショパンの丘の、マリアン・コニエチニィ《ショパン像》


いこいの広場の、竹村通夫《祭り》(1994)


いこいの広場の、岡本和子《海について》(1994)


B-zoneの2F回廊?の、三宿至《記憶の風景(風と光と)》(1994)。見る角度でずいぶん違って見える。なお、参照した「アートワークのご紹介」には未掲載。


JR浜松側屋上庭園スロープ入口の、掛井五郎《ドラゴンフライ》(1994)

  • ということで、アクトシティ浜松をざっと観て回ったところで、今日の彫刻放浪は終わり。浜松駅前で適当な夕食を適当に食らい(鰻でも、餃子でもない)、名古屋に向かうことにする。浜松17:47→18:21豊橋18:31新快速→19:28名古屋と、東海道線を乗り継ぎ、無事に名古屋に到着。徒歩で、本日宿泊のホテルに向かう。今日泊まったのは、チヨダホテルナゴヤで、まあ、普通のビジネスホテル。ここは、名古屋に来る際によく泊まるところで、JR名古屋からも、栄からも微妙に距離はあるが、地下鉄には乗らないで、いつも歩いてしまう。今回も歩いてしまった次第。で、途中、いくつか公園などに探りを入れる笑。20:00過ぎにチェックイン。風呂に浸かって、早々に就寝。