かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

岩国・錦帯橋 [岩国・錦帯橋→和木→大竹→下関→門司→小倉・第1日(1)]

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  • 今回の彫刻放浪は、山口県の瀬戸内海側を東から西に横断し、さらに門司・小倉にちょっとだけ立ち寄るというもの。お目当ては、ずばり、キーチマンこと(オレがそう呼んでいるだけだが…)、澄川喜一の作品を巡ること。そのツアーの第何回目かである。併せて、下関市立美術館の野外彫刻などを探ってきた。風があったので、寒くはあったが、天気はまあまあで、野外彫刻を観て回るのには悪くはない天気(でもないか、寒いとじっくりと観ないうちに、さっさと彫刻の前を立ち去ってしまう苦笑)。トラブルもなく、順調にうろうろと歩き回れたのは幸いだった。
  • 行きは、羽田から。4:58発の最寄り始発バスで羽田空港に向かう。予定よりも早く5:45頃、羽田空港T2に到着。本日搭乗するのは、ANA631便、羽田6:55→8:40岩国の予定。保安検査場Dを抜け、出発ゲートの69付近に移動(遠い!)。近くのシートで一寝入り。またまた書くけれど、羽田、テレビが多くて、うるさい。飛行機はだいたい予定どおりの運航で、岩国錦帯橋空港には5分くらい早く到着した。岩国錦帯橋空港は初めて。岩国駅行きのバスが8:55発なので、この間を使って、予習で知った彫刻を観てくる。

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さっそく、キーチマン関連を機中から。《風の塔》(1997)。東京湾アクアラインの川崎人工島。
>参考:澄川喜一(公式)


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小川幸造《未来へ》(2012.12.13設置)。岩国錦帯橋空港開港記念。岩国錦帯橋空港は、2012年12月13日の開港。日本で2番目の軍民共用空港で、正式名称は「岩国飛行場」。着陸してから空港ターミナルに移動する際に、米軍基地を抜けるので、写真・動画は撮らないでくれとのアナウンスがあった。

  • 8:55発の岩国駅行きのバスに乗車。いわくにバスによる運行。この路線はSUICA可(ただし、いわくにバスの他の路線はほとんど不可)。岩国駅は近く、10分もかからない(200円)。オレは途中のシンフォニアバス停で下車。120円SUICAシンフォニアは、「シンフォニア岩国 山口県民文化ホールいわくに」ことで、シンフォニア岩国と、隣接の岩国総合庁舎にそれぞれキーチマン作品がある。ちなみに、岩国の澄川喜一作品は、次のサイトを参照した。『澄川喜一作品集』(講談社・2007.9.20)に載っていない作品もいくつかあった。ちなみに、澄川喜一は山口県立岩国工業高等学校を卒業しており、その縁もあってか、市内各所に作品が多く設置されている。今回は訪問できなかったが、母校の岩国工業高校にも、《創造》(1977)と《芽》(1989)の2作品が設置されている。

>参考:岩国 旅の架け橋(岩国市公式観光Webサイト) 澄川喜一先生の作品に会いにいこう

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岩国総合庁舎の、澄川喜一《おひさん》(1996設置) ※タイトルなどは、上記「澄川喜一先生の作品に会いにいこう」による。『作品集』には未掲載。銘板なし。


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シンフォニア岩国の、澄川喜一《おつきさん》と同《TO THE SKY》。※『作品集』には両作を《TO THE SKY& MOON》として掲載。


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澄川喜一《おつきさん》(1996)


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澄川喜一《TO THE SKY》(1996/1996.3設置)。山口県日本宝くじ協会による。

  • シンフォニア岩国から岩国駅東口まで徒歩で移動。10分ほどで到着。前回岩国に来たときは(→ここ)、駅舎は建て替え中だったが、さすがに新駅舎ができあがり、利用が始まっていた。駅前の再整備はまだ未完成で、いくぶんごたごたしていた。東口駅前の2番のりばから、9:20発のいわくにバス錦帯橋へ向かう。20分弱で到着。300円SUICA不可。錦帯橋を渡り(渡橋料は往復300円)、吉香公園へ向かう。ということで、早速、野外彫刻の類を探る。

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錦帯橋を渡る。

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吉香公園の、《吉川広嘉公像》(1972.10.15建立)。制作は矢形勇。台座は白銀石材店・白銀晃が担当。岩国錦ライオンズクラブ結成10周年記念。吉川広嘉(きっかわひろよし・1621−1679)は岩国領の3代領主で、さまざまな経済振興策を行った他、延宝元年(1673)(と、翌延宝2年[1674])、架橋工事を行い、錦帯橋を架けた。


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吉香公園の、澄川喜一《石の翼》(1985)。公園の西の端に立っている。彫刻の足下に、「立志の碑 元東京芸術大学長 彫刻家 澄川喜一先生のことば」として、以下の文の彫られた石碑が設置されている。

日本人の心の深層には
 物と語り合える優れた感性がある
その上に
 自然の恵みを共有する思いやりがある
                 澄川喜一

はあ、そうですが… 以下、自粛笑

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表面がうっすらと緑色になっている。よくよく見ると苔だった。この辺が石彫のおもしろさの一つ。水洗いとかしないでね。


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吉川公園の、山内壮夫作品(1959)。セメント彫刻の男女像。タイトルは不明。設置について特に記された銘板などはなかった。設置の経緯とか、知りたい。


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で、キーチマンと山内壮夫は仲良く並んで設置されているのであった。ますます気になる… 実は、「覚醒」以前だったにもかかわらず、この2つの彫刻は前回の来訪時にも写真を撮っていたのであった。


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岩国美術館前の、《明るい未来へ》(2014.3.25建立)。制作は小川幸造(第17回新制作展出展作品)。藤岡市助博士顕彰会による寄贈。「日本のエジソン」「電力の父」とも呼ばれる、岩国出身の工学者、実業家の、藤岡市助(1857−1918)博士の顕彰像。そんなわけで、街灯を見上げているわけですね。顕彰系肖像彫刻はパスするつもりだったのだが、意外にチャーミングな像だったので、これは掲載。2枚目の写真。博士の頭上(でもないか)、ロープウェイが止まっているが、岩国ロープウェイはちょうど年に1回の点検の最中で、今回も乗り損ねたのであった。


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吉香神社境内の、《田中穂積先生胸像》(1975.8)。もう一つだけ、顕彰系の肖像彫刻を。岩国出身の作曲家で、「美しき天然」で有名な田中穂積(1855−1904)の胸像。並んで「美しき天然」歌碑もあり、また、音楽も流れるようになっていた。佐世保には全身像があるらしい。制作は国光与が担当、鋳造は後藤務。


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そして、アサシン。もちろん、反対側にはセイバーがいる(ウソ)。《剣豪 佐々木小次郎の像》(1989.6.31設置)。制作は村重勝久。岩国西ロータリークラブ創立20周年記念。吉川英治の小説「宮本武蔵」では、錦帯橋で小次郎が燕返しを編み出したことになっている。吉香花菖蒲園の東端に設置。


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錦城橋河川敷の、澄川喜一《日月星》(1996)。お月さまシリーズは真横から観ると、鋭利な印象が強いのだが、じつは内部から充溢してくる量塊の強さがいちばん印象に残る。やや後方から眺めると、特にその感じがする。怪獣感というか…笑 ウルトラ怪獣になんとなく似ていると思うのだが、そんなことを妄想するのは、オレだけか? 怪獣じゃないけど、ウルトラセブンアイスラッガーなんて、まさに、「そりのあるかたち」、だし…笑

  • 岩国市民会館、岩国市役所のキーチマンとその周辺の彫刻 12:00過ぎのいわくにバスで、錦帯橋から市役所前まで移動。270円。市民会館と市役所周辺のキーチマン作品を観覧。その後、うろうろと岩国駅まで歩いて戻る。途中、どこかで昼食をと思うが、適当な店もなく、結局、次の目的地の和木に向かってしまったのであった。

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岩国市民文化会館(2F入口前)の、澄川喜一《そりのあるかたち'88》(1988/1988.11.23設置)。岩国ライオンズクラブ結成30周年記念。ほらほら、これなんかもすげー怪獣感が充溢しているでしょ…笑


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岩国市役所前の、「岩国市民憲章」碑(2011.3設置)。制作は澄川喜一。2006年(平成18)3月20日に、8つの市町村が合併し、新岩国市となったが、この市民憲章は、合併5周年を機に制定されたもの。国際ソロプチミスト岩国が認証30周年記念事業として寄付したもの。


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岩国市役所・1Fロビーの、澄川喜一《錦帯 - KINTAI》(2008設置)。錦帯橋の古材を再生した作品とのこと。


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岩国市役所前公園(今津町第3街区公園)の、長谷川路可《繁栄》(1959)。1959年に旧岩国市役所が建設された際、吹き抜けロビーのコンクリート壁に制作されたモザイク壁画。2008年旧庁舎解体の際に切り出され、2010年5月、現在位置に再設置された。


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麻里布町第三街区公園の、「平和記念碑」。1945年8月14日の岩国駅前大空襲の犠牲者慰霊の為に、1959年7月10日、慰霊塔として建立(天使像は塔の中心に設置)。その後、1993年8月14日に平和記念碑として、天使像のみ現在地に移設された。オリジナルの慰霊塔は、この天使像も含め、圓鍔勝三の制作によるもの(『圓鍔勝三彫刻作品集』実業之日本社・1983.10。『作品集』にはオリジナルの慰霊塔の写真も掲載されている)。なお、台座の波紋はこの公園のためのデザインで、公園各所に見える。(2020.1.21改稿)