門司→小倉 [岩国・錦帯橋→和木→大竹→下関→門司→小倉・第2日(3)]
関門を今回は門司側から。
- 関門海峡を歩いて渡る サンデン交通バスで、美術館前バス停から御裳川バス停まで移動。10分。280円。前回は船で関門海峡を渡った(→前回来た時の記事はここ)が、今回は人道(トンネル)を歩いて渡ろうかと。まず、下関側の人道入口からエレベーターで地下に降りる。エレベーターホールには関門トンネルの歴史などのパネル展示があったので、これをざっと観覧。また、スタンプコーナーがあり、記念スタンプを下関側で半円分、門司側で残りの半円分押して、円形のスタンプが完成できるようになっている。では、出発。トンネルの全長は780mで、ゆっくり歩いても、10数分で、門司側に到着する。トンネルはセンターラインで、上り下りが分けられている。オレの歩いた時間帯(平日の昼過ぎ)は、人が少なく、観光客がちらほら。他に、数人のウォーキングする人とすれ違った。トンネル内は、関門橋を走る自動車の騒音などが響いており、海底の静寂、という感じではなかった。門司側のエレベーターホールにもパネル展示があり、これをざっと見て、スタンプを完成させ、地上に上がった。門司側の人道の入口は、ちょうど和布刈神社のあたりで、また、海に沿って、めかり観潮遊歩道という遊歩道があり、ノーフォーク広場を経て、門司港レトロ観光線の線路沿いの遊歩道まで続いている。風が冷たかったが、門司港レトロのあたりまで、この道を歩いた。20分ほど。なお、門司港レトロ観光線は冬期休業中で、走っていなかった。
- 門司の野外彫刻 門司には何度か来ているし、観光もしているので、今回は野外彫刻を探ったが、(ゆるキャラの類を省くと、)数はそれほど多くはなかった。
旧門司税関横の、稲葉彬子《門司守 〜もじもり〜》(2018/大理石)
門司生涯学習センター入口前の、井上由紀子《曙光》(1976)。井上由紀子(1952-1978)は門司出身の彫刻家、養護学校教諭。鹿児島大学教育学部で、中村晋也に師事。事故で早世。
- 小倉の野外彫刻 小倉駅前から福岡空港国内線行きの、15:13発の高速バスに乗るのだが、バスまで1時間ほど時間があったので、最後に、前回、小倉に来たときに見逃した《森鴎外胸像》と新宮晋作品を観に行くことにした。途中で、流政之作品も発見。また、バス停のすぐ近くに圓鍔勝三作品が設置されていた。これらをひとわたり観て回って小倉駅前の高速バスのりばに戻る。10分ほどあったので、慌てて、コンビニでお茶などを買ってくる。バスは少し遅れてやってきた。小倉発は予約できる、とのことだったので、多少混むのかなと思っていたのだが、国内線行きは、がらがらだった。他に国際線行きがあるので、外国人旅行客はこちらを利用するのだろう。まあまあ順調で、16:40頃に福岡空港に到着した。
小倉・森鴎外旧居の、《森鴎外胸像》(1982)。制作は中村晋也。
風の橋上の、新宮晋《銀河の舟》(1992)。これまでに観た新宮晋作品の中では、いちばん巨大だった。前回、時間切れで見逃した作品。新宮作品は、三宮や幕張で撤去跡を見ているので、この機会に、ちょっと駅から距離はあったが、がんばって観に行った。ずいぶん遠くから見えるのだが、なるほどこんなに大きなやつだったのね。
九州医療スポーツ専門学校前の、流政之《YATTA DAIKO》(1989)。あれはあれだなと思ったら、あれだった…という感じ。もはや全国、どこへ行っても、出会ってしまう流政之作品。
小倉駅南口・コレット(セントシティ北九州)前の、圓鍔勝三《花の女神》(1993設置)。コレット(デパート)は閉店セールの最中だった。設置された時は、デパートは小倉そごうだったが、その後、小倉玉屋→小倉伊勢丹→コレットと変わり、そのコレットも閉店する。駅前の盛衰は激しいが、《花の女神》は設置以来、なんとか生き残っている。アールデコ調の台座の周囲を簡易ベンチが取り囲む。当初は、待ち合わせ場所のシンボルだったのかな? ペデストリアンデッキが完成し、あまり待ち合わせには使われなくなった…というところか?
- 帰りの飛行機は、Jetstar GK516便、福岡19:00→20:45成田の予定。飛行機待ちの時間、機中は、オブリストの『キュレーションの方法』を読んでいた。機中で読み終える。フライト中、隣席の女子が熱心に本を読み出したので、こちらも、ちょっと目が疲れてきても、負けるものかと頑張ったのだよ(←バカ)。予定の時刻よりも少し早く成田に到着。163ゲートで、久しぶりにバスではなく歩き。最寄り行きのバスまで時間がけっこうあるというのに、むだに頑張って歩いたバカはオレです。しばらく、T3で、休憩し、21:25発のリムジンバスで最寄りまで。22:45頃には無事に帰宅。今回も、まあまあ楽しかったなと。