かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

堺(1) 西宮→大阪→堺[第2日]

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  • 見事に寝坊した。8:30前に起床。慌てて、身仕度をして、1Fの朝食会場へ。朝からもりもりご飯を食べて、部屋に戻り、今日の予定をさらってから、出発進行。ということで、まず堺駅の周辺、東口の野外彫刻他を観覧。その後、堺駅東口・地下駐輪場へ行って、さかいコミュニティサイクルで自転車をレンタルする。書類を記入して(身分証明証が必要)、利用カードを受け取り(利用料はサイクルポートにある機械でカードに入金する)、自転車を選び、ポートから借り出す仕組み。レンタル料は1日300円。自転車は別のポートに返却してもかまわない。自転車はママチャリ24インチと26インチがあり、3段変則、かごつきだった(他に1日400円で電動自転車もあるようだが、オレが行った時点ではもうなかった)。乗り心地は悪くなかった。

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堺・稲妻号

  • 堺市の野外彫刻は、下記に挙げた「堺・アートクルーズ」のサイトを中心に、その他、検索やgm/svで知ったものを中心に回ることにした。おおまかにルートを記すと、堺駅周辺→大浜公園→戎公園/宿院駅周辺→堺東駅/市役所周辺→大仙公園→津久野/鳳駅周辺→大阪府立大学中百舌鳥キャンパス→新金岡駅周辺→七道駅、という感じ。9:30頃スタートで、17:00頃、戻ってきた。天気は快晴で、午後になると、いささか日射しが強く、暑くなったが、まあ、絶好の彫刻放浪日和だったと言っておこう。ただ、迷わないようにと、幹線沿いのルートを選んだこともあり、土曜日で交通量がいくぶん少なかったとはいえ、あんまり楽しい自転車彷徨ではなかったかも。まあ、仕方がないか。

>参考:堺・アートクルーズ

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堺駅東口の南側を流れる運河にかかる勇橋の装飾。火の鳥


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堺駅東口の、セバスティアン《フェニックスアーチ》(1994)


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堺駅東口の、石野耕一《風の石−気》(1994.5)


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堺駅西口の、《与謝野晶子像》(1998.5.29建立)。像の制作は玉野勢三。堺陵東ライオンズクラブの寄贈。台座には与謝野晶子作の短歌「ふるさとの潮の遠音のわが胸にひびくをおぼゆ初夏の雲」が彫られている。


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堺駅西口の、岡村哲伸《飛翔》(1993)


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堺駅南口バスターミナルの、「南蛮船」(1986.3.31設置)。堺市が、堺駅南口駅前交通広場モニュメント設置事業として設置。原型制作は岡村哲伸が担当し、白石正義が監修した。


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南海電車の鉄橋のすぐ下にかかる橋(南蛮橋)を通りかかったら、南蛮人がいた。望郷の念から海を見つめている、のではないな、上流の方を向いている。未確認だが、タイトルは《南蛮人》で、1987年の設置らしい。作者など不詳。なんでも、南海が高架化した際に駅舎が移築され、そのために南蛮橋が架けられ、南蛮橋に南蛮人がいたらおもしろいよな、ってことで、設置されたらしい。ほんとかいな?

  • 大浜公園周辺

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大浜公園に行く途中、水門近くに呂宋助左衛門が海に向かって手を挙げていた。白石正義《呂宋助左衛門之像》(1978.8/1980.10建立)。ゼネラル石油株式会社の寄贈。もともとは、堺市民会館に設置されていたのだが、建て替えの際に、この地に移されたようだ。


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復元拡大「龍女神像」(2000設置)。制作は岡村哲伸。オリジナルは1903年内国勧業博覧会の際に大浜水族館前に建てられた龍女心臓で、堺市制110周年記念に「平和と繁栄」のシンボルとして、拡大・再建された、とのこと。高さ16mの台座に、高さ10mの像がのっている。間近で観たかったが、道筋が工事中で近寄れなかった。今回は上掲の呂宋助左衛門像のあたりから遠望。


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大浜公園・体育館前の、《若人》。お約束通り、体育館前に佇む股間若衆。勇ましく片手を宙に挙げているが、何か恥ずかしくなったのか、顔を樹木に隠している。作者などは不詳。アートクルーズには未掲載。


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大浜公園・防災広場の、《樺太犬慰霊像》。オリジナルは、南極地域観測隊・第一次越冬隊(1957.2.15〜19582.11)に協力した15頭の樺太犬悪天候のために、南極に取り残された)の慰霊のために、獣医で彫刻家の岩田千虎(かずとら)が1958年に制作したセメント像で、大浜水族館の南側遊園地に設置された(1958年7月6日建立)。像の傷みが激しくなったのを機に、1987年に堺市が原型に忠実にブロンズ像に復元し、この地に設置された(1987.3.31設置)。復元・制作チームは、復元制作:岡村哲伸、監修:白石正義、施工:(株)白石彫刻研究所。


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史跡・旧堺燈台。今回、堺の町を自転車で経巡って、この燈台のイメージが、マンホールの蓋をはじめ、いろいろなところで見られた。1899年に建てられたもので、1968年に廃止、1972年に国の史跡に指定された。


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堺港


つづく