- 直江津10:58発の信越線・長岡行きに乗車。当初は柏崎で乗り換えて、出雲崎に行くつもりだったのだが、雨が激しく降り出したこともあり、外を歩き回ることを考えると、ちょっと気持ちが萎えてきた。柏崎に着いたときの様子で判断しようかと。5分ほど遅れて、11:45頃、柏崎に到着すると、やはりざあざあ降り。最後の目的地の出雲崎はまたの機会ということにし、そのまま、終点の長岡まで行くことにする。
- 長岡には12:28に到着。長岡も雨が降っているが、柏崎あたりに比べて、小降りだ(結局、夕方まで降ったり、止んだりが続き、日が沈む頃、晴れてきた)。新幹線のチケットをキャンセルして、早い列車で帰ることも考えたが、せっかくだから、野外彫刻の類を見て回ることにした。長岡駅周辺は、一度探ったことのあるのだが(→以前探ったときの日記はここ)、見残しているものもいくつかあった。まず駅の観光案内所で駅周辺の観光マップをもらい、どこに行くか、検討する。マップを見ると、西口・大手通りの子ども像や《まいまいひめ》像、東口のシンボルロードの像のことなどが書いてあったので、とりあえずこれらを観に行くことにした。
>参考:な!ナガオカ なぜここに? 謎の彫刻「まいまいひめ」から始まる、“彫刻の街”長岡を巡る旅 >参考:「松本保忠」彫刻ウェブサイト 展覧会・活動歴/野外彫刻作品
>参考:大手通商店街 大手通の歴史・ブロンズ像
掲載順に、《お買い物》、《なかよし》、《風》、《あっ!花火》、《ないしょ!》、《さえずり》。
廣井吉之助《まいまいひめ》(1958.7竣工)。白セメント製。表町交差点の北西側に設置(当初は道路の中央緑地帯に設置されていたとのこと)。廣井吉之助(1906−1986)は、長岡市出身の彫刻家。主に東京で活動したが、戦中に長岡に疎開し、戦後もしばらく在住した。戦後の復興にあたり、市内にいくつかのモニュメントを残している。検索:広井吉之助
- シンボルロード 平成3年度(1991)~5年度(1993)にかけて、長岡市が整備した。1991年に長岡市美術協会彫刻部会員によって共同制作された「米百俵の群像」に引き続き、このシンボルロードの彫刻も、長岡市美術協会が委託を受け、彫刻部会員が制作を担当した。長岡市出身の童画画家・川上四郎(1989−1983)の作品を題材に7基の彫刻が制作・設置されている。
元井達夫《川上四郎童画より 笛吹く少女》(1993年)
堀田正《川上四郎童画より 春がきた》(1993年)
川辺正作《川上四郎童画より 木の葉の旅-II》(1991年)
内山良男《川上四郎童画より 木の葉の旅-III》(1993年)
堀田正《川上四郎童画より 木の葉の旅-I》(1991年)
松本保忠《川上四郎童画より あひるさんと散歩》(1993年)
鷲尾正《川上四郎童画より かえるの船頭さん》(1993年)
シンボルロードの国道352号線側の出入り口付近の、モニュメント。特に説明もなかったので、現地ではよくわからなかったのだが、このシンボルロードが越後交通栃尾線の跡地を利用したものとのことなので、それに関連したモニュメントなのだろう、と納得。
- 市民文化公園のモニュメント シンボルロードを抜けたところから、東の方に公園らしきものが見える。なにかありそうなので、ちょっと立ち寄ってみることにした。公園は市民文化公園で、敷地内に長岡市立中央公園と長岡市民体育館があった。公園の北西角に石の大きなモニュメントがあった。
《縄文時代−馬高のビーナス−》(1993)。制作チームは、原型制作:元井達夫、石彫:釜沢石彫グループ、上組石材工業共同組合。説明板によると、長岡市大峰山から切り出された釜沢石を用い、表側(写真上)は長岡市の馬高遺跡から出土した土偶を、裏側(写真下)は縄文晩期の遮光器土偶をモチーフとして制作したものだとか。
- いったん、長岡駅まで戻り、コーヒー休憩。帰りの新幹線まで、だいぶ時間がある。新潟県立近代美術館あたりに行きたいところだが、現在、建物のリニューアル工事中で、それもかなわない。とりあえず、先ほど観光案内所でもらったマップを参照し、駅周辺を適当に観光して、時間を潰した。夕方、駅周辺で、適当な夕食を適当に食らい、新幹線の待合室で本など読んで、時間を潰す。帰りの新幹線は、とき346号、長岡19:59発→東京 21:52着の予定。時間通りの運行で、23:00前には無事帰宅した。
おわり/最初に戻る