かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

旧島松駅逓所 彫刻放浪:札幌・江別・北広島(5)

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  • 真栄バス停14:06発の北海道中央バス・急行千歳駅前行きに乗車。バスは約10分遅れてやってきた。島松沢バス停に14:40過ぎに到着。500円SUICA。バス停から、目的地の旧島松駅逓所まで10分ほど歩く。道沿いの木々が黄葉していて、美しい。駅逓所は島松川を渡ってすぐのところにあった。
  • 以前から、旧島松駅逓所の《クラーク記念碑》を訪ねたいと思っていた。自動車以外でのアクセス方法を探していたのだが、なかなかわからないでいた。これはもうJR千歳線島松駅から歩くしかないかなどと思っていたところ、ひょんなことから福住から千歳までのバス路線があり、その路線の島松沢というバス停が最寄りであることを知った(旧島松駅逓所の前に、北海道中央バスのバス停跡があったので、以前はすぐ近くまで行くバス路線があったようだ)。ということで、このバス路線を利用して、今回、無事に訪問することができた。計画ではもう1時間ほどおそく行く予定だったのだが、昨日、思っていたよりも早く夕暮れとなったので、時間を繰り上げて、やってきた次第。

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《クラーク記念碑》(1951建立)。設計製作:山内壮夫、石師:五十川恵勇。クラーク奨学会による。W.S.クラークは、札幌農学校に招かれ、1876年9月から翌年の4月まで教頭として在任した。任期を終えたクラークが離日するにあたり、職員や学生たちが島松駅逓所まで見送りに来た。このとき、クラークは有名な「少年よ、大志をいだけ」の言葉を遺したという。


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「寒地稲作この地に始まる」碑(1964.9設置)。設計制作:本田明二、石材施行:山本一也。中山久蔵翁記念碑設立協賛会、広島村による。中山久蔵(1828-1919・大阪府出身。レリーフ上部がその肖像)は、1871年、44歳のときに、この島松沢に入植し、寒冷地における稲作の試作を成功させるなど、石狩平野における稲作の基礎を築いた人物。碑の裏手には、久蔵の水田を復元した見本田などもあった。


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島松駅逓所。1873年に設置。当初の駅逓所は島松川の右岸にあった。その後、1884年、中山久蔵が4代目の駅逓取扱人となり、島松川左岸にあった自宅を駅逓所とし、1897年の島松駅逓所廃止までその経営に当たった。この旧島松駅逓所の建物は中山久蔵の自宅だったもので、現在残る駅逓所の建物としては道内最古、1984年には国史跡に指定された。


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島松川。この川の左岸(旧島松駅逓所のある方)が北広島市、右岸が恵庭市になる。向こうに見える橋が国道36号線で、もう少し右に行ったところに島松沢のバス停がある。

  • 島松沢バス停15:48発、北海道中央バス・急行千歳駅前行きに乗車。バスは10分ほど遅れてやってきた。16:30過ぎに千歳駅前に到着。580円SUICA。だいぶ日も暮れてしまった。千歳駅近くで、少し早い夕食を食べ、JRで新千歳空港に向かう。飛行機までだいぶ時間があるが、コーヒーなどを飲みつつ、本を読んで時間を潰す。
  • 帰りの飛行機は、Jetstar GK120便、新千歳19:50→21:35成田の予定。15分前に搭乗が始まり、20:10過ぎに離陸、21:30前に着陸、少し揺れたが、まあまあ順調なフライトだった。164番ゲートで、前回に続き、今回も歩き。21:45過ぎに到着ロビーに出ることができた。21:55の最寄り行きにバスに乗車。23:00過ぎには、なんとか無事に帰宅した。


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