彫刻放浪:熊本市(1)
- 久しぶりに熊本へ行ってきた。そういえば熊本で、野外彫刻の類は見て回ったことがなかったな。ということで、お目当ては市内に散在する野外彫刻である。
- 少し早いが、最寄り始発バスで成田空港に向かう。6:10頃にT3に到着。今日の飛行機は、Jetstar GK619便、成田8:25→10:30熊本の予定。保安検査場を早々に通過し、出発ロビーに移動し(今日は163)、空いているところを見つけて一寝入り。それにしても、T3の保安検査は、いつ来ても微妙にがさつだ。まあ、どうでもいいんだけど。
- 8:00頃、搭乗が始まり、まあまあ順調なフライトで熊本空港に着陸、10:25頃、到着ロビーに出られた。熊本市内行きの10:40発のバスに乗車。満員だった。20分強の乗車で、自衛隊前バス停で下車。520円SUICA。先週の鹿児島がSUICAほぼ全滅だったのに比べ、熊本はほぼ全てでSUICA可だった。
- 錦ヶ丘公園 バス停から歩いて、錦ヶ丘公園に向かう。10分ほど。ここにある裸婦像が今回最初の野外彫刻。これはgmでの机上散策で見つけた。公園内でわりと大規模に工事をしていて、どきっとしたが、彫刻は無事に観覧できた。
石原昌一《想》(1982.10.2建立)。熊本市が1960年4月に開始した熊本都市計画東部第一土地区画整理事業の完工記念のモニュメント。石原昌一は埼玉県出身の彫刻家、大学教員(熊本大学名誉教授)。主に日展、白日会で活動。制作した多くの野外彫刻/碑が、熊本県内、熊本市内に設置されている。現在アトリエは阿蘇市にある。1972年に熊本大学教育学部に着任、以来、長く同大学の教員を務めた。ということで、今回の熊本市訪問で、いちばん多く観たのは石原昌一による野外彫刻だった。
- 健軍交差点の加藤清正像 公園の近くを流れる健軍川沿いを健軍交差点まで歩く。15分ほどか。
健軍交差点北西側(健軍神社参道)の、《加藤清正公》(2011.7建立)。制作チームは、製作:聖有佛像實行有限公司、施行:黄檗建設株式会社。生誕450年を記念して建立(正確には生誕450年は2010年)。
本田貴侶《春の近きに住むもの(愛の泉)》(1984.5)。作者の本田貴侶は、熊本県出身ということもあり、今回の旅行で、その作品をいくつか観たのであった。
熊本県庁の名標。名標の上に熊本城(制作は太田正弘)が立っている。
《MONKEY・D・LUFFY》(2018)。ルフィーは、熊本県内に建立された(される)麦わらの一味の最初の像。麦わらの一味の像は、熊本県内各地に全部で9体設置される。ぜひコンプリートを目指したい笑
流政之作品らしい。
多田美波《融 HARMONY》(1997)
末田龍介《天の稜線》(1997)
- 水前寺運動公園 県庁の裏手にある熊本テルサ前に、松尾光伸作品の跡(破損のために下方部分を除き、撤去された模様)を眺め、そのまま水前寺運動公園へ。ここの彫刻もgmによる机上散策で見かけたもの。
《躍動》(1992.3設置)。作者などは不詳。
「天授勤王戦跡」碑(1933.10.29設置)。1378年9月29に行われた菊池武朝(南朝方)と九州探題今川了俊(北朝方)の大軍との間で行われた託麻原の合戦の記念碑。ちなみに南朝方が勝利した。下は戦いの様子を描いたレリーフ(「祥雲作」のサイン)。
- 旧ジェーンズ邸跡地と夏目漱石・熊本第3旧居(大江旧居)
旧ジェーンズ邸跡地。跡地内は柵で囲われ、立入禁止になっていたので、お目当ての日本赤十字社創立100周年記念の碑は柵外から遠目で見たのみ(写真下)。2016年の熊本地震で崩壊したジェーンズ邸は場所を変えて(水前寺江津湖公園(水前寺地区)の旧熊本市立体育館跡地広場の一部)、再建されるようだ。移設地でも基礎工事を行っていた。再訪。
夏目漱石が、第五高等学校教授時代に3番目に住んだ家で、1897年(明治30)9月から翌年の3月までの7ヶ月を過ごした。もともとは現・新屋敷1丁目にあったが、1973年に現在地に移された。熊本時代の漱石旧居は、この他に第5旧居の内坪井の家が残されている。再訪。