かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

「majikickの全作品」(第1回)(円盤)

出演:majikick(さや[社長]、植野隆司) 聞き手:小田晶房(なぎ食堂) ゲスト:秋庭さん(札幌weird-meddle record) 田口史人(円盤)
小田晶房企画によるレーベルの全作品をレーベル主宰者の話をまじえつつ聴く会の第2弾(第1弾は、OZ disk/田口史人)。
とても楽しい会だった。でもって、「続ける」ことについて改めて考えさせられたりもする。majikickが始まる以前の時期から始まり、MK16の プカプカブライアンズ「LOVE WARRIOR」あたり(2002年頃?)まで。一桁代は7インチが多く、欠番(忌み番のための)もあるようだ。マヘル人脈との関連とかも、少しずつ判明(どうもmajikickの二人が参加した「大食(たーじ)」というミニコミ誌の果たした役割が大、のようだ。工藤冬里へのインタビューとか)。MK12のテニスコーツテニスコーツのテーマ」やMK14のマヘルシャラルハシュバズ「Souvenir de Mauve」の頃(2000年頃)から(全国)流通に乗り、majikick関連の知名度がアップしたらしい。テニスコーツの活動は、MK12の録音からスタートした模様。majikick初期盤で、さや氏が、tennis、または、tennis caots(くっついていない)、と名乗ったこともあるようだが、名前の由来は不明。(いずれにしても、majikick活動などを中心とする流れの中で機が熟して、ということなのだろう。)一方の植野氏リーダーのプカプカブライアンズは、3人組→2人組→メンバー漸増→メンバー急増→混沌化(制御不能?)の果てに活動休止、という感じか(最末期のライブを見たことがあるが、いったい何人メンバーがいたのやら。オレのまわりにいた客がぞろぞろと舞台に上がって、あれっと思っていたら、全員メンバーだった)。MK15工藤礼子「夜の稲」の愛媛での録音の話は、たいへん興味深かった。あっ、それから二人が90年代末にグレーシー柔術に傾倒した話は初めて聞いた。おそるべし、グレーシー柔術。20世紀の盤は、1枚紹介するごとに、特別価格による在庫放出販売なんかあったりで、なんだかほどよく(?)散財してしまったのである。オレは2年間しか明大前には通わなかったが、知っている飲み屋の名前も出て、微妙に懐かしかったな。質問応答コーナーがあるとなおよかったのでは。後編でははぜひ(12月29日とのことだが、おそらく行けない。残念)。
【入手したもの】

  • MKCD001 プカプカブライアンズ「プカプカブライアンズ」(CD) 95年 ※MK1と思われる。→9曲目の「スラッピン」(ヴォーカル(おそらくベースも)は、さや)は「すぐおばけ」の原型だな。
  • MK2 イーピル・イーピル(7inch) 95年8月
  • MK23 SAYA「peeping tom」(7inch) 96年2月 ※ナンバーは?「23」ではなく、一桁代の忌み番避けと思われる。希望者多数でじゃんけんを勝ち抜いて、購入を果たす。以下、希望者多数は遠慮(ウソ、お金がなかっただけ)。
  • MK19 yumbo「le petit trou」(CD) ※今日はここまで話は及ばなかったが、レジ近くに並んでいたので購入!これでyumboのCDがとりあえず揃った。(他にigloo盤のCD-Rがたくさんあるのだけど・・・)

【関連するHPへのリンク】