かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

TTM:IGNITION BOX/DOMMUNE「EXTREAM QUIET VILLAGE」(東京都庭園美術館・新館・ギャラリー2)

01.時計奏=花代[声, p, performance]+伊達伯欣[electronics]+小野洋希[radio with electronics] with 飴屋法水[演劇]、舞踏の人
02.松本一哉[パーカッション]
03.ハチスノイト[声帯]
04.飴屋法水[演劇]
05.Phew[syn, 声]
06.藤田陽介[声、自作パイプオルガン、氷と水]

TTM:IGNITION BOXのDOMMUNE回。タイトルの「EXTREAM QUIET VILLAGE」は、本公演のテーマ、静謐な(超)音響「EXTREAM QUIET」に、マーティン・デニーの脳内ハワイ旅行音楽アルバム「クワイエット・ヴィレッジ」(1959)をかけあわせたもの(終演後の宇川談)。
会場の新館展示室2は縦に細長い室で、奧を舞台にすると見づらいかなと思っていたのだが、今回は、横に舞台を作り、それに向かって横長に客席を作っていた。観客は入退場はしづらいものの、なかなか見やすい会場の設えだった。

01.時計奏+飴屋法水  舞台では、左手に伊達、右側に小野、舞台下左側のグランドピアノに花代。伊達はエレクトロニクス中心の機材だが、音源にバイオリンなどを使用。小野はラジオを中心とした機材。花代は、声とピアノ、そしてパフォーマンス(ダンス)。伊達、小野の出すぼんやりと曖昧な音響に花代の輪郭のはっきりしたピアノ(内部奏法含む)や声が乗る。併せて、(本館1F小客間)次室で、顔を布で覆ったダンサー(男性)が舞踏を踊る映像が舞台左上に投影。演奏が始まり、しばらくすると、花代が会場を出て、次室で舞踏手とともに、ダンスなど。このあたりで、客室最前列に座っていた、飴屋法水が介入。マイクで花代に語りかける。右側の乳房、乳がん、不在の乳房、欲情という存在のあり方。虚実髀肉のあわいをさまよう、それは語り、騙りである。肉まんのような乳房、といったことばになごやかな笑いに包まれた客席は、そこからあっという間に、生と死の深い谷間を垣間見ることになる。飴屋は語り終えると(それは、確かに演劇と呼ぶべきものだった)、退場する。花代は会場に戻り、伊達・小野とともに後奏を行ったのち、演奏は終わる。

02.松本一哉  紙やすりを手にし、擦り合わせ、じゃりじゃりと微細な音を立てるところから演奏が始まる。この紙やすりや砂時計といった非楽器や多少の皮もののパーカッションもあったが、舞台に並べられた楽器は、鉦やシンギングボール、銅鑼など、金物のパーカッション類が中心。ただ、単純に叩く、という演奏はほとんど行われない。パチンコ玉を鉦の中で廻したり、スーパーボールなどで作ったマレットで擦ったりという奏法が中心。叩く場面も竹串のようなものを使ったりと一筋縄ではいかない。クライマックスは、さまざまな自作マレットで背後に置かれた銅鑼を擦るシーンか。それはアコースティックでありつつ、電子音が交錯するような音響でもある。終盤の金属の太鼓?に、木?の小さな立方体をつけたマレットをくるくるとまわして、音を出すシーンもおもしろかった。

03.ハチスノイト 2本のマイクを使い、声によるループを重ね、重厚な音響を丁寧に作っていく。前回観た時よりも、さらに細部がくっきりと美しくなり、全体の柄が一回りも二回りも大きくなった印象。地声やのどを使ったシーン、特にブルガリアンヴォイスを思わせるシーンは圧巻。

04.飴屋法水 今回の公演のクライマックス。2台のCDJとミキサー。頭上に空の鳥かごが釣られている。舞台に座った飴屋は、おもむろに、山下澄人(この日は、山下の芥川賞受賞が決まった翌日だった)の『壁抜けの谷』冒頭3頁?を朗読する。(この後の展開を考えると、飴屋が山下作品を「震災小説」と定義していたのを思い出さないわけにはいかない。飴屋法水「北海道にいた」[「波」2016年11月]→http://www.shinchosha.co.jp/book/350361/)短く、3回、区切って、その姿勢、顔の向きを変えて。そして、3回目に小さくBGMを流し始める。古いポピュラー音楽の一部をループにしたもの。朗読を切り上げると、飴屋は、おもむろに銃と砲の違いを語り出し、もう1台のCDJを使って、その発射音を会場に流す。さらに立ち上がると、動物を撃つ、人を撃つと言葉にし、自ら撃たれ、殺されるさまを舞台上で演ずる。それは生が奪われる痛々しさ、体がモノに突然変貌する恐怖に満ちている。その一方で、ところどころで、宙空の鳥かごを頭上に落とす。これは古いギャグの引用だが、鳥かごでは人を殺せない(桜井圭介の上演中のツイッターによる発言)、聖なる中休みである。飴屋は、準備したテキストによりながら、つぎつぎに銃砲の発射音を流し、やがて、それはエスカレートし、銃砲の発射音サンプルのプレゼンを逸脱し、アフガニスタンの戦闘場面や原爆の爆発音へと至る。そして、そのたびに、無惨に倒れ、ひきつり、押しつぶされる飴屋の体によって、観客の目の前に、人の身体に内面化されていた暴力や戦争が少しずつ絞り出されてくる。暴力や戦争は身体の外側にあるだけではない、内側にこそあるのだというように。

05.Phew モジュラーシンセと声をベースに、いつもの演奏に比べると静かめの演奏。

06.藤田陽介 舞台中央に自作オルガン、舞台下客席通路前方にアクリルの水槽を設置。水槽内には超小型のマイクが2本設置。水槽の中に氷を入れ、その氷が溶けていく音をアンプリファイして、PAから聴かせる。それに併せるように、鞴のハンドルを手で上下させ、オルガンに空気を送る。空気の流れる音が徐々にオルガンの音へと変わっていく。やわらかに、ゆっくりと容貌を変えていく。オルガンの音に加え、ホーミーなど、トライバルな声の演奏が加わる。徐々に音が途切れ、演奏がいったん終わる。その後、ふたたびハンドルを上下させることで、静かな空気の音をたゆたわせ、今一度静謐な音響空間を作る。最後に、舞台を降り、水槽の中に、焼けた炭を入れる。熱と水が出会い、熱が反発し、墨が砕ける音が大きく聞こえ、やがて収束していく。

どれも集中して観ない/聴かないわけにはいかない演目ばかりで、終演後はぐったりとする疲れ切る。それは徒労とは縁遠い充実したものではあったけれど。
次の予定がないわけではなかったけれど、そんなわけでまっすぐに帰宅する。