彫刻放浪:葛西〜葛西臨海公園(2)
彫刻放浪:葛西〜葛西臨海公園(1)
- 葛西駅南口
長谷川昂《蓮の子》(1984.10設置)。葛西土地区画整理組合による葛西駅前広場の完成記念として建立。かつてこの地で、野良仕事の途中、雨に遭うと、蓮の葉をかぶる光景がよく見られたことに因んだものとか(説明板による)。葛西や西葛西周辺には長谷川昂作品がいくつか設置されているが、何か縁があったのだろうか? 今日は観に行かなかったが、西葛西駅前にも長谷川昂作品が3作あるとのこと。
長谷川昂《歓》。台座裏に説明板あったが、メモを取り損なった。確かこれも土地区画整理関連の記念碑として建立されたものだったかと。次回を期す。
- 長島1号公園
上から順に《8分音符》《ト音記号》《ヘ音記号》。いずれもデザインは、なかがわみさこ。
長谷川昂《道》(1978設置か?)。(読みづらいが)台座にある詩「道」も長谷川昂によるもの。
柳原義達《道標・鳩》。公園の北側、道路沿いに3羽、設置されていた。
- 新田公園
長谷川昂《風の子》(1983.7設置)。新田土地整理組合が事業完成を記念して建立。 台座銘板には、「記念」とあった(「碑」が掛けたか?)。原型となった木彫《風の子》は秋田県五城目町役場にあるものがそれか?
彫刻放浪:館林(7)
- 向井千秋記念子ども科学館
阿部光住《ゆめ・おおぞらへ》(2008/2008.4.28設置)。館林ロータリークラブが創立50周年を記念して寄贈。
森亮太《出立》(1970)。作者の高校の卒業制作とのこと。
- 旧秋元別邸
《秋元春朝投網の像》(1919建立)。オレ的には今回の一番の問題作(笑)。制作は毛利教武。傍らの説明板に大正8年(1919)の建立とあった。秋元春朝(1881-1948)。貴族院子爵議員。東京府出身。子爵・毛利元功の3男として生まれ、後に子爵・秋元興朝の婿養子となる。館林の秋元家は、弘化2年(1845)、出羽山県藩から秋元志朝(ゆきとも)が館林藩に移封されたのが始まりで、二代の礼朝(ひろとも)のときに明治維新を迎える。礼朝の養子となり、秋元家を継いだのが、興朝(おきとも)で、春朝はこの興朝の婿養子として秋元子爵家を継いだ(春朝のときに、華族制度は廃止)。像横にあった説明板には、「春朝は元来自然をこよなく愛した、粹人で村人からも親しまれたなかなかの好人物でした。」とその人柄を説明している。華族の当主だったら、正装の立像でも建てるところだろうが、ふんどし一丁の立像を建てさせたところが、いかにも粋人といったところか。1919年の建立というから、第2次世界大戦中の供出にも遭わずに生き延びたのか… 作者の毛利教武(1884-1963、東京生)は、春朝の秋元家に入る前と同姓なので、何か関係があるのか、と思ったが、それは勘ぐり過ぎだった。ちなみに毛利教武の次男は、同じく彫刻家の毛利武四郎とのこと(へえ〜)。
>参考:土生一彦「新収蔵作品紹介 −彫刻家・毛利教武とその作品−」[pdf](「碧南市藤井達吉現代美術館紀要 第3号」2015.3.31)
- 館林市第二資料館
《文豪田山花袋像》。作者などは不詳。植え込みに囲まれ、立ち入ることができず、台座回りを確認できなかった。
旧上毛モスリン事務所。群馬県指定重要文化財。群馬県下でも有数の擬洋風建築で、1908〜10年にかけて館林城二の丸跡に建てられた。1979〜80に現在地に移築。
- 城沼総合運動公園
藤野天光《月と語る》(1964/2008設置)。鋳造年:2008、鋳造所:(有)田添美術鋳造研究所、鋳造監修:阿部光住。ふれあい橋の南詰に設置。
藤野天光《古橋選手の像》(1949/2007設置)。鋳造年:2007、鋳造所:(有)田添美術鋳造研究所、鋳造監修:阿部光住。ダノン城沼アリーナ(城沼総合体育館)前に設置。
彫刻放浪:館林(6)
- つつじが岡第二公園:陽だまりの広場〜四季の広場
松浦圭子《フクロウ》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品。
田部井忠史《空(くう)》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品(佳作)。
岩田實之《トルソ・2001》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品(佳作)。検索:岩田実之。
明田一久《メジロオシ》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品。
石原則和《旅人の感じた風》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品。
齋藤由香《桃源の種子》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品。
竹鶴寿夫《飛翔・飛来》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品(佳作)。
久保茂雄《花咲くころ》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品。
上別府志郎《Spiral-2001》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品(佳作)。
大野春夫《華》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品。
新谷一郎《出会い》。第16回(平成13年度)国民文化祭 彫刻展・優秀作品。
彫刻放浪:館林(5)
- 館林駅東口
やっぱりタヌキがいた。
《ぽんちゃん》+「四つのテスト」。館林ロータリークラブによる。
木下繁《爽》。説明板に「このブロンズ像は、昭和60年度潤いのあるまちづくり優良地方公共団体自治大臣表彰の受賞を記念し、制作したものです。」とあった。
- 県道370号線:駅前通〜花のまちクイーンズ通
駅前通りの時計塔。ちょっとかっこいい。
市役所前交差点の小公園にあった。館林中央ライオンズクラブ結成35周年記念。2007年4月8日。駅前のロータリークラブに続いて、ライオンズクラブもタヌキ。
- 館林市三の丸芸術ホール 2021年3月まで改修工事を行っていて、中はもちろん、像の前にも立ち入れなかった。
藤野天光《玄潮(くろしお)》(1948/2006設置)
タイトル板、見当たらず。
青野正《星を見にゆく》(/耐候性鋼)。平成13年度国民文化祭彫刻展・群馬県教育委員会教育長賞。
藤野天光《光は大空より》(1965/1979設置)。昭和40年度芸術院賞受賞作。光は大空より建設実行委員会による。タイトル板は天光の師匠の北村西望筆。
藤野天光(1903-1974)。館林市出身。本名は隆秋、号は舜正、後に天光(1968年)。
1928(昭和3)、東京美術学校塑像部を卒業し、北村西望に師事。
1929 《ときのながれ》で帝展初入選。
1938 《銃後工場の護り》で新文展・特選、NYにて開催の万博に出品。 ※千葉県立美術館・野外彫刻
1955 天光が制作の筆頭助手を務めた北村西望《長崎平和記念像》が完成。
1962 《ああ青春》で日展・文部大臣賞。 ※館林市野外彫刻の他に千葉県立美術館・野外彫刻
1965 《光は大空より》で日本芸術院賞。 ※本作
1973 千葉県で開催された国民体育大会のモニュメント《輝く太陽》を制作。 ※千葉県総合スポーツセンターに現存
2003 遺族により346作品が館林市に寄贈(2006年に館林市により『藤野天光作品集』が刊行されている)。
日展の重職を務めた他、千葉県美術会、群馬県美術会の結成・運営にあたった。
また、千葉県市川市にアトリエがあり、千葉県立美術館の創立に力を尽くした。
という次第で、故郷の館林市と長く在住した千葉県内に多くの野外彫刻が設置されている。
「館林かるた」より。天光は塑像がメインだから、とんかちとのみはちょっと違うかな…と突っ込んでみる笑
- 館林市役所周辺
藤野天光《ああ青春》(1962/2005設置)。第5回(1962)日展文部大臣賞受賞。鋳造年:2005、鋳造所:(有)田添美術鋳造研究所、鋳造監修:阿部光住。
藤野天光《新泉》(1971/2006設置)。鋳造年:2001、鋳造所:(有)田添美術鋳造研究所、鋳造監修:阿部光住。
彫刻放浪:館林(4) 彫刻の小径(4)
- 彫刻の小径(4)
千野茂《晨》(1983/1993設置/ブロンズ)
北村治禧《閑》(1988/1994設置/ブロンズ)
桑原巨守《風の戯れ》(1976/1994設置/ブロンズ)
親松栄治《白鳥の舞》(1994/1994設置/ブロンズ)
下川勝《21世紀へのメッセージ・地球を見つめる目》(1993設置/陶板、御影石)
三坂耿一郎《ユーロペ》(1994設置/ブロンズ)
中村晋也《深淵の祈り》(1995設置/ブロンズ)
福田由紀夫《庭について》(1999設置/御影石、アルミニウム)
千本木康亘《循環する環》(1999設置/ブロンズ)
大野春夫《稜》(2001/御影石)。平成13年度国民文化祭彫刻展・文部科学大臣奨励賞。
彫刻放浪:館林(3) 彫刻の小径(3)
- 彫刻の小径(3)
中野滋《楽人の停留所(プラッツ)》(1991設置/ブロンズ)
山本正道《切株と少女》(1990設置/ブロンズ)
中村優子《躍》(1990設置/ブロンズ)
細川宗英《鳩と少女》(1990設置/ブロンズ)
阿部光住《森のなかま》(1990設置/ブロンズ)。光住の読みは「みつよし」。
「館林市彫刻の小径」案内板
「彫刻の小径」名標
小森邦夫《きづな》(1989/1993設置/ブロンズ)
黒田能勝《風が聞こえる》(1993設置/ブロンズ)
吉野毅《夏の終り'91》(1993設置/ブロンズ)
長重之《交感テーブル −視床93−》(1993設置/御影石)
市村緑郎《森の詩》(1993設置/ブロンズ)