かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

彫刻放浪:館林(7)

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阿部光住《ゆめ・おおぞらへ》(2008/2008.4.28設置)。館林ロータリークラブが創立50周年を記念して寄贈。


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森亮太《出立》(1970)。作者の高校の卒業制作とのこと。

  • 旧秋元別邸

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《秋元春朝投網の像》(1919建立)。オレ的には今回の一番の問題作(笑)。制作は毛利教武。傍らの説明板に大正8年(1919)の建立とあった。秋元春朝(1881-1948)。貴族院子爵議員。東京府出身。子爵・毛利元功の3男として生まれ、後に子爵・秋元興朝の婿養子となる。館林の秋元家は、弘化2年(1845)、出羽山県藩から秋元志朝(ゆきとも)が館林藩に移封されたのが始まりで、二代の礼朝(ひろとも)のときに明治維新を迎える。礼朝の養子となり、秋元家を継いだのが、興朝(おきとも)で、春朝はこの興朝の婿養子として秋元子爵家を継いだ(春朝のときに、華族制度は廃止)。像横にあった説明板には、「春朝は元来自然をこよなく愛した、粹人で村人からも親しまれたなかなかの好人物でした。」とその人柄を説明している。華族の当主だったら、正装の立像でも建てるところだろうが、ふんどし一丁の立像を建てさせたところが、いかにも粋人といったところか。1919年の建立というから、第2次世界大戦中の供出にも遭わずに生き延びたのか… 作者の毛利教武(1884-1963、東京生)は、春朝の秋元家に入る前と同姓なので、何か関係があるのか、と思ったが、それは勘ぐり過ぎだった。ちなみに毛利教武の次男は、同じく彫刻家の毛利武四郎とのこと(へえ〜)。
>参考:土生一彦「新収蔵作品紹介 −彫刻家・毛利教武とその作品−」[pdf](「碧南市藤井達吉現代美術館紀要 第3号」2015.3.31)


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《文豪田山花袋像》。作者などは不詳。植え込みに囲まれ、立ち入ることができず、台座回りを確認できなかった。

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旧上毛モスリン事務所。群馬県指定重要文化財群馬県下でも有数の擬洋風建築で、1908〜10年にかけて館林城二の丸跡に建てられた。1979〜80に現在地に移築。

  • 城沼総合運動公園

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藤野天光《月と語る》(1964/2008設置)。鋳造年:2008、鋳造所:(有)田添美術鋳造研究所、鋳造監修:阿部光住。ふれあい橋の南詰に設置。


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藤野天光《古橋選手の像》(1949/2007設置)。鋳造年:2007、鋳造所:(有)田添美術鋳造研究所、鋳造監修:阿部光住。ダノン城沼アリーナ(城沼総合体育館)前に設置。


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