釧路
- 今週も釧路へ行ってきた。春の北海道シリーズ第8弾である。釧路の野外彫刻は、ほんとうに楽しみしていて、荒天などでゆっくりと観られなかった場合を考えて、予備日を設けていた。それがこの13、14の両日なのだが(何も2週続けて行かなくても…確かにその通りなのだが、飛行機のチケットが安く買えたりして…)、先週、好天にめぐまれ、おおよその作品を無事に観覧することができた。ということで、今回の釧路では、もう一度観たい作品を観、見残した作品を改めて探ることにした。加えて、釧路湿原と阿寒湖方面を訪ねてきた。
- 最寄り始発4:58発のリムジンバスで羽田空港に向かう。オンタイムの5:50に羽田空港T2に到着。少し時間があるので、T2のコンビニの場所などを確認し(エア・ローソンがB1Fにあった)、朝食を買って、保安検査場Aを通過、55ゲートまで歩く。飛行機は前回と同じ、AirDo 71便、羽田7:45→9:25釧路の予定の便。ほぼ定時に出発し、10分早く9:15には釧路空港に到着した。釧路市内行きのバスは、9:40発とのことで(飛行機到着の15〜25後の出発)、乗車券を買って、バスに乗って、出発を待つ。今回は終点の釧路市役所まで乗車。約1時間。940円。この後、3時間弱、前回見落とした彫刻などを訪ねて回る。
- 釧路市役所の斎藤一明 まず最初に釧路市役所を訪ねた。前回は前庭だけで、市役所内には入らなかったが、釧路の彫刻家、斎藤一明(1930-2000)の作品がいくつか設置されているようなので、まずここを訪ねた次第。市役所のロビーなどにはいろいろと飾ってあることがあるが、そんな感じかなと思ったら、斎藤作品は市役所の中庭に設置してあった。ただし、中庭には出ることができず、残念ながら、周囲のガラス越しでの観覧となった。
わかりづらいが、右側の女性の全身像が《立像》、その隣の女性の胸像が《凍土II》、左側の黒い首像が《刻》で、《刻》は3基据えられている(この写真では2基しか見えないが)。
反対側から見たところ。話は逸れるが、《刻》シリーズが、鶴居村の町役場の前に設置されているとのことで、google mapsで見ると、確かに設置されていた(他に國松明日香作品なども)。実はこの翌日、鶴居村の町役場前をバスで通過したのだが、席が反対側だったせいか、すっかり見落としていた。失敗。まあ、次回の宿題ということで…
- 北大通の野外彫刻 これは前回釧路に来たときも観ていたのだが、写真を撮らなかったので、今回改めて掲載。北大通は、JR釧路駅前から幣舞橋付近までの県道24号線の呼称で、釧路のメインストリート。この北大通5・6丁目交差点から幣舞橋の手前まで、通りの左右、歩道の上に8基の野外彫刻が設置されている。東側の南→北の4基、西側の北→南の4基の順に掲載。作者名と制作年月?を書いた板ば失われていたりで、全点確認ができたわけではないが、同じ様式の台座などから、1993年に同時期に設置されたものと思われる。釧路市が1993年5月8日に出した「生涯学習都市宣言」を記念して設置したものか?
中川伸一《地球》(1993.9)
畑江俊明《湿原》(1993.3)
加納秀美《人間》 ※作者名・制作年の入った銘板はなかった。
染谷昭司《海》(1993.3)
《希望》。イメージデザイン:稲垣宏治、稲垣美穂、制作:中江紀洋。本作と、下記掲載の《未来》の2作は、釧路市内の小学生からイメージデザインを公募し、それを元に彫刻家の中江紀洋が制作した作品とのこと。下の写真は(2018.6.14撮影)。
浅井憲一《川》
池田譲《湿原》(1993.3)
《未来》。イメージデザイン:足立剛也、制作:中江紀洋。
- 歓楽街の野外彫刻 北大通5・6丁目交差点ー幣舞橋北詰ー久寿里橋北詰ー川上町5・6丁目交差点の区画(主に栄町、末広町)は、大小の飲食店や飲み屋がたくさん集まっている地区だが、かつては百貨店などもあり、より大きな繁華街だったようだ(今も閉店した百貨店のビルが残っており、一部再活用されている。この区画にいくつか、野外彫刻があったので、これを掲載しておく。これらの彫刻はいずれも人物具象で、いずれも足下に石のタイトル板があるものの、タイトルと「1992年12月」の記載があるのみで、作者名はない。《麦ワラの少年》像の横に、1992年12月25日の日付、当時の釧路市長名で、「ROMネットワークプラン事業」についての説明板がある(ROがROMAN、MはMIST、から来ているらしい)。商業地区のまちづくり、振興を目的とした施策のようだが、掲載の彫刻もこのプロジェクトの一貫として設置されたもののようだ。なお、「歓楽街」としたのは、この区画の各所にあったゴミを収納するスペースに「歓楽街云々」の記載があり、なんだか記憶に残っていたので、これを採った。
《漁師》(1992.12設置)
《漁の名人》(1992.12設置)
《少女とキタキツネ》(1992.12設置) ※2018.6.6撮影
《親子》(1992.12設置) ※2018.6.6撮影
《バードウォッチング》(1992.12設置) ※2018.6.7撮影
《麦ワラの少年》(1992.12設置) ※2018.6.7撮影
歩道には、何ヶ所か、カワセミや花、鮭のレリーフが埋め込まれていた。 ※写真上は、2018.6.7撮影。
- ここまで見て回ったところで、なんだかお腹が空いた。少し早かったが、昼食にカレーでも食らうべえ、ということになり、前回見つけたインデアンカレー旭町店に行ってみる。オレが店に入ったときは、他にお客は一人もいなかったが、その後、どんどんお客が増え、釧路でも愛されているな、と。カツカレーを中辛で食らう。691円。一見、そんなに量があるように見えないが、でも、満腹する。
久寿里橋から幣舞橋方向を眺める。
釧路川の川縁を歩いているときに知り合ったかもめのジョナサン。哲人の面持で、川を眺める。この後、糞をしやがった…
幣舞橋のオベリスク
- ぬさまい公園再び 出世坂を上り、ぬさまい公園を再訪した。
「原田康子『挽歌』の碑」(1998.9.26設置)。原田康子『挽歌』の碑建立期成会による。碑文は『挽歌』から次の一節が引かれる。「高台から見降すと下町には明りがともっていた。しかし町の明りの果ては、広い真っ暗な湿原地に呑みこまれているのだった。」
中江紀洋《地殻交信機》(1976/1984.8.15設置)。釧路港方面を望む。
《松浦武四郎蝦夷地探検像》(1958設置)。阿寒国立公園観光協会により設置。制作は中野五一。
- 釧路市生涯学習センター・2Fの彫刻 釧路市生涯学習センター(愛称「まなぼっと幣舞」)は1992年開館。3Fに釧路市美術館があり、年間を通じて、企画展、または収蔵品による展示を行っている(訪問時は、チェブラーシカ展を開催していたが、時間の都合であきらめた。まだ、きついかも…)。最上階の10Fには展望室(無料)があり、釧路市内を見渡すことができる。なお、2Fがエントランスロビーになっており、彫刻がいくつか設置されていた。
中江紀洋《BAY GATE》(1992.11)。施工:サンケンアート企画。(写真上は、2018.6.14撮影)
舟越保武《杏》(1982)
二上正司《Whirlwind(旋風)》(1996)
原口保《地殻変動》(2007)
原口保《閉ざされて Close My Heart (24年の歳月)》(2003)
中江紀洋《風の色を見た SAW THE HUSE OF THE WINDS》(1992.9)
10Fの展望室から釧路港を望む。
- 釧路市富士見坂脇の、《嵯峨久翁像(頌徳碑)》 富士見坂(北海道釧路市南大通2丁目)の、前回は草ボウボウで、接近をあきらめた肖像彫刻に、今回は準備万端?ということで、接近・突入を試みた笑 嵯峨久(1876-1960)は、釧路漁業の父と呼ばれる人物で、釧路漁業に発動機船を導入、沖合漁業を可能にしたり、釧路魚卸売市場の基を築いた人物とのこと。この像の初代は1930年(昭和5)10月に建立。嵯峨久は存命中なので、台座裏の碑文では「嵯峨久君寿像」と呼んでいる。初代像は、釧路発動機漁船組合による建立で、銅像の製作は、富山県立工芸学校が受け持ち、原型は同校教諭の松村秀太郎、鋳造は同校教諭の山本與三次郎が担当した。第二次世界大戦末期にこの初代像も供出され、溶かされてしまった。戦後もしばらく台座のみの状態が続いたが、1960年に漁業関係者から再建の声が上がり、1961年に初代の原型を制作した松村秀太郎によって、現在の二代目像が再制作された。なお、台座表にある銘板には「頌徳碑」とある横に小さく「北海道知事 町村金吾書」とあるので、再建時に新しく付けられたものであることがわかる。
《嵯峨久翁像(頌徳碑)》(初代:1930建立/二代:1961年再制作)。双眼鏡を片手に持つ壮年の背広姿のおっさん像。
- さて、これで彫刻放浪:釧路補遺編はひとまずおわり。
- 午後からは釧路湿原に行くことにした。今回は釧路市釧路湿原展望台とその周囲の釧路湿原展望台木道がお目当て。栄町6丁目バス停(栄町平和公園のすぐ前)から、阿寒バス・グリーンパークつるい行13:33発に乗車。30分ほどで、湿原展望台バス停に到着。680円。まず、釧路市釧路湿原展望台に行ってみる。鉄人28号の顔みたいなおもしろい形の建物だ。1Fはショップや休憩所になっていて、ここは無料で利用できる。2Fが湿原の成り立ちやその自然についての展示室、3Fが室内展望台、屋上も展望台になっている。料金は470円。実はネット上ではあまり評判がよくなかったのだが、残念なことに、その通りだった。展示はしょぼく、展望台から見える釧路湿原もなにか遠くに広がっているなという印象で、いまひとつぐっとくるものがない。屋上など肝心の湿原方向がエレベーター棟で視界を遮られるという始末。真冬なら室内展望台などまた別の印象なのだろうが、夏場だと有料の施設としてはいかがなものかという感じの方が強い。ここで料金を払って、湿原を見るのなら、木道を少し歩いて、サテライト展望台に行けば、釧路湿原をより近くに見ることができるし、自動車で来たのなら、もう少し先にある北斗展望地へ行けばいいと思う。
ヤチボウズがモデルらしい。
釧路湿原展望台からの釧路湿原の眺望。あいだに湿原の外縁の森がはさまるので、ちょっと遠い印象。
サテライト展望台からの釧路湿原の眺望。森を歩いて、外縁近くに出た分、ずっと近くに見える。
- 続いて、釧路湿原展望台木道を歩く。展望台に隣接する森の中に設けられた木道で、2.5kmの円形にぐるっと回るように木道が設置されている。道筋にはいくつか広場があり、休憩のためのベンチや湿原に関する解説板などが設置されている。森と湿原のあわいの高台には、サテライト展望台があり、さらに少し高い展望櫓もあった。ここからの眺望は先にも書いたが、なかなかいいかと。ここの木道はアップダウンがあり、それなりにハードで、この他、吊り橋などもあった。ただ、あくまでも森の中の木道であり、湿原の中を歩くわけではないのが、オレ的には物足りない。もう一つ、難を挙げておくと、道道53号線が交通量が多く、また、坂道が多いためか、路面に細い切れ目が入れてあり、まるでレース場にでもいるような音がして、その騒音が木道の西側では大きく響き、鳥の声や木々のざわめきなどがよく聞こえなかった。
- 途中、道を外れて、木道の東側にある鶴居村営軌道跡(北海道自然歩道)や木道の南側にある北斗遺跡に行ってみた。展望台木道の南側にある吊り橋のところから分岐する道を15分ほど歩き、鶴居村営軌道跡に出た。軌道跡へ出る道も多少のアップダウンがある。途中、北斗遺跡に向かう分かれ道があるが、これは後ほど触れる。鶴居村営軌道は、根室本線新富士駅から分岐して、鶴居村に伸びる長大な軌道で、1929年に開通し、馬車や気動車、あるいはディーゼル車などが乗客や牛乳などの荷物を運んだが、1968年には全線が廃止された。釧路湿原の外縁に沿ったその軌道跡の一部が北海道自然歩道となり、散策路として歩くことができる。ここまで来ると、鳥の声が聞こえるだけで、湿原の水の音も耳にすることができる。しばらくこの軌道跡の道筋を歩いて見たかったが、残り時間があまりなくなってきたので、少しだけ道を行ったりきたりした。左右が湿原地になっており、とうとうと水をたたえている。頭上を飛ぶ鳥の声が大きく響く。
鶴居村営軌道跡(北海道自然歩道)に出る手前の木道。このあたりはすでに湿原の中。木道に傷みのあるところが多く、ネットの情報だと、不通になっている箇所もあり、要注意(古い情報が残っており、わかりづらい)。
鶴居村営軌道跡(北海道自然歩道)。写真上が北方向、下が南方向。
- しばらく軌道跡を歩き回り、木道を引き返し、先ほどの分岐点まで戻り、北斗遺跡に向かう。北斗遺跡は、旧石器時代から縄文・続縄文を経て、擦文時代に至る重複遺跡で、釧路湿原べりの標高20mほどの高台に東西2500m・南北500mの範囲に住居跡などが残されている。さまざまな遺物も出土しており、1977年には国指定史跡となり、展示館などの施設もある。今回は時間の関係で、分岐点からほど近い復元住居のあるあたりまで歩いてみた(ちなみに、ここから史跡展望台、展示館を経て、北斗坂下バス停に至ることができるようだ)。展示館も見たかったが、時間切れで、適わなかった。次回を期したい(次回は、温根内の木道を歩いて、鶴居村営軌道跡を南に下って、北斗遺跡の展示館などを見学するってルートを半日かけてゆっくり歩きたいな。って、あるのか、次回!?)
- 来た道を引き返し、再び釧路湿原展望台木道に戻り、釧路湿原展望台まで引き返す。そろそろタイムアップ。バス停に戻り、16:33発のバスに乗車する。バスはほぼオンタイムでやってきた。17:10頃、旭町SCバス停で下車。670円。そうそう、途中に「ニュータウン入口」というバス停があった。
なんだよ、熊、出るのかよ。そりゃ出るよな。反対側の木道の出入り口にも貼っておいてくれよな!
- スーパーで飲み物と食料などを買って、ホテルにチェックイン。ホテルは先週と同じホテルアクシアイン釧路。今週は3Fで、団体客もいず、とても静かだった。夕食を適当に済ませ、早々に寝る。