かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

名古屋、というか、電車…

  • 帰りは、名古屋に立ち寄ることにした。ということで、7:00頃起床。身支度をして、1Fで朝食を食らい、一度部屋に戻り、一休みしてから、出発。大阪→米原→大垣→名古屋と移動。岐阜あたりまで、車内は混み合っている。岐阜で乗り換え客が降りて、大分空いた。名古屋駅には、11:13の到着。
  • 高畑交差点の東南隅に設置されている北村西望《無限》を観覧。《無限》は西望の初期作品の一つで、調べてみると、わりと各地に設置されている。公園や公共施設ではなく、交差点にぽつんと設置されているロケーションがちょっとおもしろい。



北村西望《無限》(1922/1996設置)。名古屋中川ライオンズクラブのチャーターナイト10周年記念として建立。チャーターナイトは、認証式のことらしい。

  • 再び、高畑駅に戻り、高畑→栄→市役所前と移動。次のお目当ては、愛知県体育館前の野々村一男《伸》である。が、体育館でプロバスケットボールの試合があるようで、像を取り囲むように、長蛇の列ができている。まあ、近づいて、観覧はしたものの、あまり落ち着いて見ることができない笑 なお、愛知県体育館がスケールアップするための移転が計画されているようで、その候補地に名城公園北園があがっているようだ。移転となると、《伸》や《健》の行く末も心配だが、名城公園北園にある野外彫刻の将来も気になる。


野々村一男《伸》。

こちらは、《健》。《伸》も《健》も、この体育館が建てられた頃に建立されたようだ。

  • 続いて、能楽堂前に移動。名古屋城正門南側にあった《新緑》という銅像を見ていたら、青天目澄子みたいな眼鏡女子が近づいてきて、片言の日本語で、すいません、シャッターを押していただけませんか? と頼まれる。もちろん、OKすると、銅像の前に行って、同じポーズを決める。ちょっとオタクな感じの台湾の女の子だった。


山本眞輔《新緑》(2005設置)

  • 能楽堂の南西にある「名城公園彫刻の庭」へ。といっても、それほどたくさんの彫刻が設置されているわけではない。中央に、環境造形Qによる《水の広場》(1984)、その周囲に、アントワーヌ・ブールデル、ジャコモ・マンズー、そして、舟越保武の3作品が設置されている。冬枯れの時期だからなのかもしれないが、メンテがいまいちで、ちょっと荒れ果てた痛々しい感じか。最後に、加藤清正像を観て、ここを離れる。


環境造形Q《水の広場》(1984

舟越保武《笛吹き少年》(1967)。 全くメンテをしていないようで、汚れていて、ちょっと痛々しい。

  • 通りを渡り、1筋南の通りへ。護国神社近くに《平和の礎》、《平和の笛》という2基の銅像と愛知県三の丸庁舎前に金子潤の作品がある。これを観覧。天気はいいが、風が冷たく、体が冷えてきた。


愛知県シベリア抑留者記念碑建立之会による、《平和の礎》(2006/2006設置)。制作は石田武至。


《平和の笛》。設計・制作は石田清。


金子潤《ダンゴ》

  • 市役所前駅まで戻り、一駅だが、名城線で、久屋大通駅まで。地下街で適当な昼食を適当に食らい、久屋大通にある野々村一男《双身像》をチェックするなど。このあたりで、少し早めだが切り上げることにした。


野々村一男《双身像》

《希望の泉》(1969年設置)。追記(2020.8.17):館野弘青(たての・こうせい、1916~2005)という彫刻家の作品のようだ。

  • 栄駅から、地下鉄東山線で、名古屋駅に戻り、あとは名古屋14:17新快速→15:08豊橋15:24→15:58浜松16:10→18:43熱海18:53→20:48東京と、東海道線を乗り継ぐ。いつもよりは多少混んでいたが、ラッシュは終わり、全線で座ることができた。まあ、のんびり井波律子訳し下ろし『水滸伝4』を読みつつ、帰宅したのであった。