かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

旭川→砂川→上砂川→赤平→滝川

  • 5:00起床。身仕度をして、簡単な朝食を食らい、5:40過ぎにチェックアウト。ホテルがちょうど7条緑道の近くだったので、緑道を抜け買物公園を旭川駅に向かう。途中のコンビニでコーヒー。また、昨日は日が落ちて、写真が撮れなかった買物公園の野外彫刻を写真に撮る。佐藤忠良作品が2基と黒川晃彦作品、それと少し買物公園から道が逸れるが、4条8丁目の旭川信用金庫本店前の笹戸千津子作品。買物公園の入口近くの百貨店前に、かつて大きな多田美波作品があったようだが、百貨店とともに、すでになくなって久しい。駅前の栄枯盛衰は激しい。実に。JR旭川6:28発の手稲行き普通列車に乗る。3両編成で、あまり乗客は多くない。途中から高校生がたくさん乗ってきて、通学列車になった。最初の目的地の砂川に7:16着。1270円。
  • 早朝の買物公園 


佐藤忠良若い女・夏》(1972/ブロンズ)


旭川信用金庫・本店前の、笹戸千津子《希望》(1969/ブロンズ)。旭川信用金庫創設70周年を記念して設置。なんでも旭川信金の各支店には子ども像が設置されているとのこと。


黒川晃彦《サキソフォン吹きと猫》(2001/ブロンズ)。買物公園がリニューアルされた際に設置されたものだとか。


佐藤忠良若い女》(1971/ブロンズ)。1972年6月の買物公園オープン時に北海道銀行の寄贈により設置された。買物公園は日本初の恒久的歩行者天国とのこと。


旭川駅ホーム。現在の旭川駅舎は4代目で、内藤廣建築(2011竣工)。

  • 砂川市の野外彫刻 駅前の野外彫刻/モニュメントを観た後、砂川市立病院バス停の場所を確認し、すぐ南側の市役所、図書館・公民館と公共施設前に設置された野外彫刻を観て回る。図書館・公民館のロビーにも彫刻があるようだが、時間が早く、これは観られなかった。続いて、砂川遊水池へ向かう。目指すのはオアシスパークにある《砂川賛歌》だが、そこまではなかなか距離がある。遊水池沿いの道を20分強も歩いただろうか、なんとかたどり着く。《砂川賛歌》を見つける前に、遊水池管理棟の前に設置された笹戸千津子作品を見つけた。北門信用金庫の寄贈。北門信用金庫は、滝川市に本店を置く信用金庫で、空知地方周辺には北門信用金庫が寄贈した野外彫刻がいくつも設置されている。具象の人物像が多い。遊水池管理棟には展望室やちょっとした展示室があり、加えて、遊水池を回れるように自転車の貸し出しも行っているようだが、まだ時間が早く、開館していなかった。《砂川賛歌》とその周囲をひとわたり観てから、今度は土手の道を歩いて、病院の方へ戻る。途中、お年寄りがウォーキングをしていたので、遅れじと後について歩き、汗だくになるなど(←バカ)。


砂川駅前のモニュメント、《翔》(1988.3設置)。作者は不詳。市制施行30周年のモニュメントか?


砂川駅前の、秋山沙走武《陽》(1988)


砂川市役所前の、國松明日香《茜雲》(1989)


砂川市公民館・図書館前の、小川幸造《平和祈念像 大地》(1995.11設置)。


パンケ歌志内川水門。砂川遊水池の関連施設はすべてとんがり帽子の屋根に統一されていた。


砂川遊水池。大雨が降るたびに氾濫をくりかえしてきた石狩川の洪水を防ぐために、石狩川の蛇行跡を活用して、遊水池を造成。1995年に完成した。通常時は公園(砂川オアシスパーク)として、水辺の遊び場として利用されている。中央付近に見えるとんがり帽子屋根は石狩川につながる遊水池排水門。


砂川遊水池管理棟前の、笹戸千津子《ブラウス》(1990)。北門信用金庫の寄贈。




砂川遊水池(オアシスパーク)の、《砂川賛歌》(1990.8.7設置)。砂川市開基100周年記念のモニュメント。制作は一色邦彦。台座には、砂川の歴史と生活を描いたレリーフがはめ込まれていた。写真下は石炭産業の様子を描いたパート。2枚目の写真の後方に見える城館のような建物が遊水池管理棟。

  • 上砂川町の野外彫刻など JR砂川駅にはバスターミナル、バス停はなく、少し南に歩いた砂川市立病院近くの、砂川市立病院バス停がその役割を果たしている。トイレや待合室もあり、ちょっとした売店もあった。ここから北海道中央バス・歌志内線・赤平昭和行きに乗車。このバスは滝川駅始発のバスで、砂川市立病院9:00→9:19中央1丁目の予定。ほぼオンタイムで到着。340円。バスはバス停の少し先でUターンして、来た道を少し戻り、歌志内方面に向かう。中央1丁目バス停から徒歩数分の上砂川町コンベンションホール前にある笹戸千津子作品をまず観に行く。コンベンションホールは現在では廃止されているようだ(2012年頃?)。道を挟んで反対側には、旧・三井砂川中央竪坑(竪坑跡を利用して、後に地下無重力実験センターとして活用されたが、これも現在は廃止)があった。また、コンベンションホールの隣にはこれも2005年に休館・廃止になった上砂川無重力科学館があった。笹戸千津子作品を観た後、隣接するかみすながわ炭鉱館に向かう。炭鉱館も一時休館したようだが、現在ではボランティアによる管理・運営により再開館している。5月〜10月の土日に開館しているようだ。ということで、今日のところは、展示を観ることはできなかった。お目当ての坑夫像《敢闘》像の他、炭鉱で使われた機械類の野外展示や若山牧水歌碑があった。来た道を戻り、バス停近くの、旧・上砂川駅舎を見学。この駅は、廃止された函館本線の支線、上砂川支線の終着駅。上砂川支線廃線に伴い、1994年5月に廃駅となった。上砂川をモデルにした架空の町、悲別を舞台にしたテレビドラマ「昨日、悲別で」(脚本:倉本聰。1983年)のロケに使われたことから観光地化され、現在でも舎内は写真などが展示されている(閉まっていて中には入れなかったが、窓から見えた)。裏手には車輌なども保存されていた。缶コーヒーを買って、中央1丁目バス停に戻る。バスまでまだ15分ほどある。と、近くに町の電気屋から、苦手分野の演歌、ムード歌謡をえんえんと流れてくる。つ、つらい。オレ的にはちょっとした地獄だった…笑


旧・上砂川町コンベンションホール前の笹戸千津子《若き立像'89》(1989)。いたずらで右腕につけられた自転車のチェーン錠がそのままになっていた。メンテもままならないのだろう。



かみすながわ炭鉱館前の、坑夫像《敢闘》(1945.8)。終戦間近の1945年(昭和20)8月12日に、三井砂川鉱業所事務所前に設置された。制作は軍需生産美術推進隊・彫塑班に所属する長沼孝三、野々村一男、菅沼五郎、中野四郎、峯孝の5名。台座の説明板に「本像ハ増産意慾昂揚ノ為メ」とある。


旧・上砂川駅舎。「悲別駅」の名標もつけられている。


中央1丁目バス停と上砂川のメインストリート。

  • 赤平市内の野外彫刻など 中央1丁目10:20発の、北海道中央バス・歌志内線・宮下町行きに乗車。次の目的地は赤平。バスで赤平駅前まで行く。途中、歌志内市街バス停の近くに笹戸千津子作品があるので、途中下車したいところだが、バスの時間を考え、今回は見送り、車窓から見るにとどめる。赤平駅前には11:00頃到着。570円。(赤平駅前の2つ手前のバス停で下りれば、彫刻を探しに行く予定の赤平市総合体育館が近かったのだが、結局、駅前まで行った。)駅を確認して、まず駅前通りをまっすぐ行って、空知川にかかる虹かけ橋の橋上にある裸婦像2基を観覧。続いて、総合体育館まで歩き、体育館ロビーの鈴木吾郎作品や体育館前の秋山沙走武作品を観覧。お腹も空いてきたので、近くのセイコマのカフェコーナーで、ついにかつ丼を食らう。ついに食べたぞ笑 根室本線の踏切を渡り、こもれび通という通りを歩き、赤平公園に向かう。ここがちょっと距離があって、疲れた、というか、飽きた。道の左右の並木が色づいていた。途中に、赤間鉱の旧・選炭工場跡があり、せっかくなので、ざっと見学。工場は1999年に解体され、現在では原炭ポケットが残っているのみ。裏手は赤間鉱ズリ山で、777段ある日本一のズリ山階段があり、今回はパスしてけど、頂上まで登れるとのこと。なお、近時、「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」という施設がオープンしたようだが、今回は時間の都合もあり割愛した。次回を期したい。次回はあるのか?なんだけど。赤平公園では、坂坦道のモニュメントを観覧。再び踏切を渡り、最後に市役所前で伊藤隆道作品を観覧し、駅に戻った。さすがに歩き疲れる。駅は、赤平市交流センターみらいの中にあり、1Fのロビーには、またしても笹戸千津子作品が置いてあった。置いてあったが、片隅に押し込められた感じで、ちょっと寂しい。滝川までのきっぷを買って、1Fロビーのベンチで列車を待つ。


バスは歌志内市を経由して、赤平へ向かうのだが、途中、歌志内市街バス停近くに野外彫刻が設置されていた。これはバスの車窓から写したもの。見えたのは、郷土館ゆめつむぎ前の、笹戸千津子《女の子》(1995)。


虹かけ橋・橋上(川下側)の、奥山喜生《春の日の芽ばえ》(1995.1設置)。赤平市が市制施行40周年記念事業として、虹かけ橋竣工記念に設置。


虹かけ橋・橋上(川上側)の、奥山喜生《秋のたたずむ》(1995.1設置)。赤平市が市制施行40周年記念事業として、虹かけ橋竣工記念に設置。


虹かけ橋から見た空知川


赤平市総合体育館・ロビーの、鈴木吾郎《柔》(1987.4/1987.6設置)。個人の寄贈。第44回国民体育大会柔道競技開催記念。正面から撮ると、逆光で真っ黒になるもので…なお、向こうの壁面に見えるレリーフ作品は、《北の大地の若い飛躍》(1986)。デザインは伊藤隆一、制作は北海道造形。


赤平市総合体育館前の、《手しゃぶりの像》。作者など不詳。赤平ライオンズクラブの寄贈。それにしても…なぜ、こんな像を…という気がしないでもない。同じ像が他の場所にもいくつかある。レディメイドの野外彫刻ようだ。


赤平市総合体育館前の、秋山沙走武《薫風》(1987)。北門信用金庫の寄贈。


踏切を渡り、こもれび通という通り沿いに赤平公園まで歩いた。道の両側の、植えられてまだ間もない並木が思い思いに紅葉していた。


赤平にも多くの炭鉱遺産が残っている。こもれび通を歩いている途中に、赤間鉱の選炭工場跡があったので、これを見学する。工場自体はほとんど解体されたが、原炭ポケットのみがぽつんと残っていた。


赤平公園(駐車場の南)の、坂坦道《黎明之像》(1966.8設置)。強制連行された外国人殉職者を含めた炭鉱殉職者の鎮魂と炭鉱の安全、さらに国際平和を祈念したモニュメント。検索すると、現状とは異なる写真(台座がより大がかり)が出てくるので、現在のものは設置当初のものではなく、像と説明板「建設の趣旨」を残し、再整備されたものと思われる(展望台から移設されたか?)。左手を挙げ、右手で前方を指差している。


赤平市役所前の、伊藤隆道《空へ 地から》(1995)。伊藤隆道だけど、動いていない…雪のせいだろうか、だいぶ傷んで、銘板も失われていた(跡が残っている)。


赤平市交流センターみらい/JR赤平駅・1Fロビーの、笹戸千津子《シャツ ブラウス》(1995)。エントランスの真ん中にどかんと置けばいいのに、ちょっと隅っこに寄せられていて、悲しい。


赤平駅ホームにて。

  • 滝川市の野外彫刻 赤平駅13:42発の根室本線滝川行きに乗車。1両編成。260円。13:57に滝川駅に到着。まず駅前の鈴木吾郎作品を観るつもりだったが、どうも駅前の再開発で撤去されたらしい。ちょっと楽しみにしていた作品なので、残念。(帰宅後、確かめてみたら、GMの写真では、モニュメントらしきものが確認できるが、SVは現状どおりだった。)まず、市役所に向かう。ちょっと迷いかけるが、なんとか到着。途中で、雨がぽつりぽつりと降るが、数分で止む。昨日今日と降水率がわりと高かったのだが、雨に降られたのはこのときだけだった。まあ、ラッキーなのだろう。市役所と道路を挟んで向かい側にある平和公園で野外彫刻を観覧。市役所ロビーにも朝倉文夫作品があった。続いて、市の文化施設が集まっている地区に向かう。途中、松尾ジンギスカン本店があった。さすがに大きな店構えだ。時間があれば、突撃したいところだが、残り時間が少なくなってきたので、泣く泣く次の目的地に向かう。


JR滝川駅前にて。滝川駅前には鈴木吾郎による開基88周年モニュメント、《希望と躍進の像》(1977)があるはずなのだが…例によって駅前の再開発により撤去されてしまったらしい。自転車置き場になっていた。まあ、こっちの方が、利便性は高いよな。まだ工事している場所もあったので、戻ってくる可能性もあるか…まあ、ないな。


滝川市役所前の、清水多嘉示《緑のリズム》(1951)。上野公園の入口のところにもあるやつねって、これ、人気作でいろいろなところにあるんだけど。市役所前には、他にもモニュメントの類がいくつかあったが、掲載は割愛。


滝川市役所・エントランスロビーの、朝倉文夫《翼》(1943)。ちょっと意外なところで、朝倉文夫作品に出会った。上野駅にあるやつね。

  • 平和公園のモニュメント/野外彫刻 市役所の、道路を挟んで向かい側に平和公園という名前の公園があった。ここに、モニュメント/野外彫刻がいくつか設置されていた。


平和公園」名標。園名の揮毫は少覚納、石彫は長岡莿山。


佐藤忠良《少年》を中央に据えたモニュメント「平和の礎」(1985設置)


佐藤忠良《少年》(1982)


笹戸千津子《若い立像'88》(1988)


顕彰系彫像彫刻も1基、設置されていた。《神部俊郎先生之像》(1988.7.1設置)。神部先生顕彰事業委員会による。制作は、像に「常人作」のサインがあるので、山名常人か?

  • JR滝川駅から見て西の方、空知川に行き当たる少し手前に、文教施設が集まっている地区がある。滝川市中央児童センター、滝川市美術自然史館、滝川市文化センター、滝川市郷土館などで、周囲も公園になっている。最後にこれらの施設の周辺にある野外彫刻を探った。下記の他にも、ロビーなども含めると、他にもいくつか彫刻があるようだが、時間切れで、今日のところはこれにておしまい。


滝川市中央児童センター前の、伊藤隆道《はばたく》(1982.12.16設置)。これも動かない…


滝川市文化センター前の、鈴木吾郎《創造》(1981.11.3設置)。今回の旅行の写真は、彼女のパワフルな後ろ姿でおしまい。

  • 滝川からはJRを乗り継いで、帰路につく。滝川15:45→16:24岩見沢16:35→17:19札幌17:20→17:57新千歳空港、というルート。前々回の旅行で、白石駅で2本連続運休で長々と待たされたので、今回は、札幌まで行って、エアポートに乗り換えることにした。札幌では、ついがんばって、予定よりも1本早いエアポートに飛び乗ってしまった。こんなところで、がんばらなくてもいいのに…と自分でも思う笑 新千歳空港で適当な夕食を食らい、保安検査所を抜け、出発ゲート近くで本など読んで、飛行機を待つ。帰りの飛行機は、Jetstar GK124便、新千歳19:55→21:30成田の予定だが、例によって到着機材の到着が遅れ、15分ほど遅れての運航だった。成田空港の到着ゲートは174で、到着ロビーまでずいぶんと歩かされた。170番台はきらいだ。22:00前に到着ロビーに出た。22:15発の終バスに乗り、23:30前に無事に帰宅。いい天気とは言えないまでも、雨はほとんど降らずに、外を歩き回るには助かった。まあまあ、楽しい旅であった。