静岡→豊橋→津
- 静岡県立美術館の「幕末狩野派展」と三重県総合博物館の「松浦武四郎」展を観に行ってきた。いささか無理矢理にくっつけて、両展を1泊2日の日程で観ることにした。初日は雨降りで少々難渋させられたが、2日目は天気も回復し、気持ちのいい日になった。もちろん、野外彫刻の類も併せて観てきた。
- まず静岡県立美術館へ向かう。ルートは以下のとおり。まずJRで、最寄り4:57→5:06新習志野5:11→5:19西船橋と移動。西船橋からは東京メトロ・東西線に乗り換え、さらに大手町乗り換えで、千代田線で代々木上原まで。西船橋5:23→5:53大手町6:02→6:22代々木上原。代々木上原からは小田急線。小田原行きの急行で、終点の小田原まで。代々木上原6:25→7:52小田原。ここでやっと爆睡笑。小田原からはJR。小田原7:57→8:20熱海8:23→8:41沼津8:44→9:31草薙。小刻みな乗り換えとなったが、フリーきっぷなどを使わない場合、このルートが電車での最安値移動となる(東京-静岡間で、東名ハイウェイバスを利用するともう少し安くなるが、バスにいやだよ病が発症して、今回はバスは避けた)。
- 草薙駅は改修工事も終了間近だった。まだ道路の工事をしているので、もう少しかかるようだが、だいぶきれいになっていた。草薙駅前からはバスで美術館まで行くつもりだったが、バスがちょうど行ったところで、次のバスまで1時間近く待たなければならない。やむなく、美術館まで歩くことにした。歩いても20分もかからない。駅前のコンビニでおにぎりを仕入れ、これを食べながら、歩く。途中から雨が降り出しが、なんとか美術館に到着。途中、屋外彫刻プロムナードを観覧、写真を撮ろうと思ったら、本降りになり、これは断念。
- 静岡県立美術館 企画展「幕末狩野派展」、収蔵品展「日本の情景」、ロダン館など。企画展の核は、木挽町狩野家、惟信・栄信・養信三代の画業、中でも栄信のそれを詳細かつ実証的に解明し、狩野派の歴史の中に精密に位置づけること。このあたりは板橋区立美術館の展覧会でも、いろいろと学ばせてもらったけど、今回の展覧会の焦点は栄信で、彼の絵をこれほどまとめて観られたのはうれしいところ。ではあるが、正直なところ、あんまりおもしろい絵ではない。少なくともおもしろい絵であることを知らしめる展示ではなかった。このような展覧会の積み重ねが重要なのはわかるけど、紀要論文のような展覧会でいまひとつ乗れないのも事実。華のある作品もないではないが、その華を削ぐような展示といったら腐し過ぎか。もう少し「演出」してもいいんじゃないかな。それから、いまさら幕末狩野派というカテゴリーに、一信や暁斎(たいしたものは出ていない)を寄せてみてもなあ、という気もする。木挽町狩野家以外はおまけという感じだったのかな。むらがあるような…図録2300円。
ロダン館にて
- 静岡県立美術館・屋外彫刻プロムナード 来るときは本降りの雨で写真は撮らなかったのだが、ひとわたり展覧会を観て、美術館を出たら、雨が止んでいた。ということで、もう一度プロムナードを歩き、こんどは写真を撮ることにした。来るときは、お年寄りが数人ウォーキングをしていたのだが、このプロムナードにも「現れる」らしく、帰るときは、人間彫刻も数体…
>参考:静岡県立美術館 屋外彫刻プロムナード
「彫刻プロムナード周辺図」
ジェイムズ・ザティ《アークII》(1982-84/ステンレス)
杉村孝《しゃぐじん(石神)シリーズによる》(1987/泥かぶり石(角田石))。※第6回富岳文化賞大賞
舟越保武《杏》(1982/ブロンズ)
山口牧生《四角柱と丸い石》(1985-86/黒御影石、ベンガラ)
清水九兵衛《地簪》(1985-86/着色アルミニウム)。植え込みで、下の方がよく見えない…
鈴木久雄《風化儀式V-相関体》(1985-86/白御影石、コールテン鋼、ワイヤーロープ)
佐藤忠良《みどり》(1985/ブロンズ)
柳原義達《道標・鳩》(1973-79/ブロンズ)。ここは4羽。
ジョージ・リッキー《四つの旋回する斜線−菱形II》(1984−85/ステンレス)
- 谷田宮の後公園の野外彫刻 プロムナードから少し下ったところに谷田宮の後公園という公園があり、ここにも野外彫刻/モニュメントがあったので、これも併せて観てくる。ちょうど昼時のためか、若いサラリーマンがひとりぽつんとベンチに座ってパンを食べていた。
高田大《だいだらぼっちの夢》(1993.11設置)。公園の東側の入口にある「静岡県静清土地区画整理事業完成記念」のモニュメント。
《HOMME(男)》。作者などは不詳。台座の裏側を探れなかった。かなり不気味…
- 並木通りバス停13:06発のバスに乗り、草薙駅前まで。100円。10月1日からバス路線が変わるらしい。料金はどうなるのかな? 草薙13:34→14:55浜松15:02→15:36豊橋と、JR東海道線を乗り継ぐ。豊橋でいったん下車して、野外彫刻を探ることにした。
- 豊橋駅東口の藤原吉志子作品 豊橋駅の東口、ペデストリアンデッキ上、または駅前の交差点付近に設置されていた。銘板の類は見当たらず、像には(19)98年の年記と「YO」というサインのみ。一部の作品は、豊橋周辺の民話に取材しているようだ。追記(2018.10.31):作品集『藤原吉志子』(ドメス出版・2007.5)によりタイトルなどを追記
《「大西の馬頭観音様」より 馬と狼》(1998)(左)、《「大西の馬頭観音様」より やせ馬を狙う狼》(1998)(中)、《「大西の馬頭観音様」より 泣き出した馬方》(1998)(右)。
《「金次の椎の樹」より ドングリ》(1998)※左右とも同タイトル
《三河メロンに乗って幸せと自由を夢見るきつね》(1998)
《イス上の三河ねこ》(1998)
《座布団の上の三河ねこ》(1998)
藤原吉志子作品ではないけれど、同じく駅前交差点に設置されていた、牧野圭一《ユーモアの出会い》(1992.3設置)
>参考:豊橋市美術博物館 豊橋の美術・歴史・文化財・戦争遺跡を知る 弥健神社
【メモ】
名称 「征清紀年碑」「豊橋軍人記念碑」「神武天皇銅像」など
設置場所 (1)1899(明治32)八町練兵場の南・中八町/石垣あり→(2)1916(大正5)練兵場北側/石垣なし→(3)1945(昭和20)12月以降、撤去→(4)1965(昭和40)豊橋公園・弥健神社(現在地)/銅像のみ再設置 ※(1)・(2)とも古絵葉書あり。
豊橋市美術博物館前の、佐藤助雄《二つの友情》(1997.3設置)。これは前回の豊橋訪問時にも掲載したが、真っ黒だったので、もう一度掲載。
これは豊橋公園ではなく、少し南に下った国道259号線沿いにある神明公園南の三角緑地の、「平和の女神像」。下関の彫刻家、河内山賢祐の作で、当初は1952年7月16日に神明公園に設置された。1996年12月、神明公園の整備の際に、老朽化のため、撤去されたが、住民たちは保存・再設置を願い、募金活動などを行い、豊橋の彫刻家、太田昌男の協力で修復した。設置場所が決まるまで一時倉庫に保管されていたが、神明公園南の三角緑地に2002年7月に再設置された、とのこと。検索で見つけた東日新聞の記事(2002年6月25日)で知った。台座は再設置のときのものだろうか?
豊橋信用金庫中央支店北側の、《歴史と未来の出逢い》(1993.3設置)。作者は不詳。
- 豊橋駅前大通りの太田昌男作品 路面電車の走っている道路沿いに野外彫刻が多く設置されていた。作者は豊橋在住の彫刻家、太田昌男で、気づいたものは写真を撮ったが、他にもまだまだあるようだ。なお、今回は写真を撮らなかったが、例の、駅前にある《育愛》(→ここの下の方、とか)の作者も、太田昌男とのこと。
《なかよし》(1998.3.1設置)。豊橋北ライオンズクラブが結成20周年記念に豊橋市に寄贈。「ぼくがたづなをひっぱるからはやくはしるようになろうよ」と書かれたプレートがある。この像を検索すると、子犬と仔馬の間に(近所の住民がつけたのだろうか?)紐を結びつけた画像がいくつか出てくる。「平和の女神」の三角緑地から少し南に設置されている。
《創》(1991.5設置)。豊橋駐車場株式会社が豊橋市に寄贈。新川交差点北西に設置されている股間若衆。台座正面下部に「豊橋市民愛市憲章」のプレートがついていた。
- ここからは駅前大通りの左右の歩道に設置された子ども像。いずれも作者は太田昌男、1991年5月の設置(いくつかプレートが失われたものもあった)。それぞれ企業が豊橋市に寄贈したもののようだ。引き倒されるなどのいたずらなどの災難に遭った像もあるとのこと。先にも書いたが、下記掲載の他にもあるらしい。