- 先日、『中野四郎作品集』(編集・発行:中野四郎作品集刊行委員会、制作:中央公論事業出版、1974.1)を入手して、つらつら眺めていたところ、中野四郎(1901-1968)は長く浦和常盤町に住み(1930年29歳の時に引っ越し、終生その地に住む)、そのためか、今でも浦和の地でいくつかの中野四郎作品を野外で観られることを知った。というわけで、早速予定を立てて、訪ねた次第。
- 南浦和駅前
《平和の塔》(1949設置)。制作は中野四郎。台座裏の説明板によると、この像は当初1949年に浦和駅西口ロータリーに設置されたが、その後、1972年に現在地に移設、さらに1991年3月南浦和駅東口整備を機に、オリジナルのセメント像を現在のブロンズ像に複製したとのこと。『中野四郎作品集』にはセメント像の写真が掲載されている。
《殉職救護員之碑》(1956設置)。像(《聖使徒》)の制作は中野四郎。もとは埼玉県民健康センターの裏手にあったが、2011年に日本赤十字社埼玉県支部が新築・移転したのにともない、現在地に移設されたようだ。>参考:埼玉県労働組合連合会 コラム「第6回:従軍看護婦の慰霊碑」
- 調公園
《慰霊塔》(1964.10設置)。制作は中野四郎。浦和市慰霊塔建設期成会による。
《平和の灯》(1990.3設置)
- 教育研究所
鈴木国平《はぐくみ》(1990.4設置)
多田美波《珠/Gem》(1995)。「アートに出会うまちづくり」事業(テーマ:彩の広場)。
- さくら草通り
マラカスを振るメキシンカンなやつ。タイトル、作者など不詳。
細野稔人《春の譜》。郵便局のあたり。
- 浦和駅西口
《武者群像》(1981.3設置)。制作は滝川毘堂。個人の寄贈。
吉野康彦・岩田健・細野稔人《飛翔》
宮沢章子「さいたまの譜」詩碑(1981春設置?)
《浦和うなこちゃん》(2008.5.24設置)。デザインはやなせたかし。
- センチュリーシティ前
内田晴之《重力環-赤/うらわ》。タイトル板なし。
長谷川栄《飛翔》。タイトル板なし。
- 浦和幼稚園
細野稔人《リボンの少女》
- 常盤公園周辺
「市場通り」の像。
常盤公園の案内板 常盤公園には、中野四郎《渕》や「長沼依山童話碑」(制作は細野稔人)などが設置されているのだが、行ってみたら、改修工事で観ることができなかった。張り出してあった工事計画によると、野外彫刻や碑の類は設置場所は多少変わるようだが、撤去されることはないようだ。よしよし。改修終了は2022年3月の予定で、改修が終わったところから部分的に利用できるようになるようだ。野外彫刻や碑の設置される区画は2021年3月末以降観られるようになるらしい。工事計画では池がなくなり、芝生広場になるなど、現状とはだいぶ異なったものになるようで、この案内板も工事後は撤去されるだろうと、記念に掲載しておく。
《すこやけく》。足下に「喜平」のサイン。追記(2020.11.14):いなげやの経営理念のひとつが「すこやけく」の実現(「お客様の健康で豊かな、暖かい日常生活と、より健全な社会の実現に貢献する。」)で、この像はそのシンボル、ということのようだ。別のいなげやに入ったら、そのことを書いたポスターがあり、改めていなげやのHPを参照。
- 浦和市役所
「埼玉サッカー発祥の地」碑(1996/1997.4設置)。制作:島田忠恵、デザイン:鈴木国平。