浜町→茅場町 彫刻放浪:門前仲町→浜町→茅場町(2)
- 明治座周辺 ここからは中央区編。新大橋を渡り、まず浜町公園に行くが、ちょうど昼休みで、公園はおおくの人でごったがえしていた。お目当ての御正進作品にも台座に人が座っていたりで、今回は写真が撮れなかったので、また改めて訪ねたいと思う。で、明治座周辺から。
新大橋。柱のところに、旧・新大橋の浮世絵や錦絵を彫ったレリーフと、新大橋の歴史を記した説明板があった。
小便小僧。片手を上げているところが憎たらしい笑 明治座の南、浜町公園交差点の東側、浜町公園の出入口に設置。
勧進帳・弁慶像。作者などは不詳。浜町緑道公園に設置。
- トルナーレ日本橋浜町周辺
安田侃《翔生》(2005.12.12設置)。再訪。トルナーレ日本橋浜町の北西角。この他にも、1Fのエントランスロビーに彫刻あり(関係者以外立入禁止で、外からちらりと観たのみ。イルカ(元)長官の作品か?)。
深井隆《風と物語》(2005)。Fタワープラザ前に設置
- 中央区立蛎殻町公園周辺
《メリーの子羊》(1993)。作者は不詳。中央区立有馬小学校前に設置。再訪。中央区の各小学校前には、わりと彫刻が設置されているようだ。ただ、実物を訪ねる前に、廃校やら何やらで、取り壊されていたりして、観られないこともままあり、ちょっと残念なのである。
佐藤忠良《少年の像》(1981/1988.3設置)。中央区公園課による。有馬小学校の裏手、蛎殻町公園に設置。再訪。
流政之《江戸こまた》(1992)。蛎殻町公園と通りを挟んで反対側にあるロイヤルパークホテルの裏手に設置。再訪。
吉田松陰像《松陰先生》(1938.3除幕/2011.3現在地に移設)。像の制作は竹山蘭山。箱崎町公園に設置。なんでも、昭和12年(1937)、吉田松陰を尊敬していた小学校6年生の少女が病没する際の遺言により、その母校の旧東京市箱崎尋常小学校に建立されたものだとか。箱崎尋常小学校は、昭和19年(1944)に集団疎開で児童がいなくなったため、廃校になったが、松陰像はそのまま残された。その後、平成22年(2010)年度に箱崎公園改修工事に合わせ、現在地に移設された(以上、傍らの説明板による)。台座にも由来などが記されているようだが、破損が激しく、読めなかった。
下田治《変動体"o"》(1992)。ヤマタネ箱崎ビル(中央区日本橋箱崎町8-1)前に設置。
- 東京証券取引所周辺
3人の裸婦像。《和》というタイトルらしいが、植え込みに立ち入れなかったので、台座周りなど確認できなかった。大和茅場町ビル前に設置。
志水晴児《溢れる森の泉》(1988)。東京証券取引所の北側に設置。府中市役所の《FROZEN FALL》は石の置物化していたが、こちらはまだ水が溢れていた。なお、写真は撮っていないが、1Fエントランスロビーに桑原巨守《讃太陽》が設置されていた。
- 日本橋郵便局 日本橋郵便局のあたりは、明治4年3月1日(1871年4月1日)、わが国に新式郵便制度が発足した時、駅逓司と東京の郵便役所が置かれたところだそうで、「郵便発祥の地」ということになっている。そんなわけで、日本近代郵便の父、前島密の胸像などが設置されていた。
「郵便は世界を結ぶ」ポスト。郵便創業100年記念として、1971年に設置されたようだ。上部の彫刻の作者は不詳。北側出入口付近に設置。
前島密胸像《前島密先生》。日本橋会、前島会、日本橋郵便局協力会が、郵便創業90周年を記念して、1962年4月20日に建立。胸像の背面に、「前島男爵ノ命ニ依リ」密翁之像ヲ補綴改鑄ス」昭和十二年三月」會田富康」とあった。南側の通用口付近に設置。
- 茅場町一丁目平和ビル 日本橋郵便局で今日は終わり、ということで、永代通りをぶらぶらと茅場町方面に歩いていると、ビルの陰になにやら見覚えのある像があるではないか、と近づいたら、北村西望の《花吹雪》だった。西望作品はどこにでもあるとはいえ、思わぬところで再会できたのはうれしいものである。
門前仲町→森下 彫刻放浪:門前仲町→浜町→茅場町(1)
- 今日は、門前仲町から森下、浜町あたりを回って、茅場町周辺の彫刻を探るつもり。ということで、最寄りより京葉線、武蔵野線・東西線を乗り継いで、門前仲町まで。10:20頃、到着。駅周辺で、遅い朝食、というか早い昼食というか、をとりあえず食らってから、さて回るゾと。
- 門前仲町駅
石井厚生《時》(1985)。門前仲町駅3番出入口前に設置。タイトル板には次のようにあった。
時
私は歩く。ずーっと向こうまで歩く。
しっかりした呼吸と、はっきりみる眼をもって、
私は歩く。新しい世界がそこに生れる。
1985年作 石井厚生
- 採荼庵跡
採荼庵跡の松尾芭蕉像。制作は髙山憲男(像背面のサイン)。採荼庵は、芭蕉十哲の一人で、芭蕉のパトロンでもあった杉山杉風の庵室。芭蕉は「奥の細道」の旅の直前、ここに住した。採荼庵跡は仙台堀川にかかる海辺橋の南西側(江東区深川1-9)。検索:高山憲男
「曲亭馬琴誕生の地」碑。積み上がっている本は、曲亭馬琴の代表作、読本『南総里見八犬伝』。深川ふれあいセンター前に設置。
- 西深川橋周辺
《希望にもえてあかるくたくましく》(1965.4設置)。台座にサインらしきものあり(解読中!)。個人の寄贈。ひょっとしてラジオ体操の像かな? 隣にあるのは「明治百年」記念碑、というか、元なにかの台座だったみたいだ(写真4枚目)。こちらは1968年11月の設置で、白河学区連合町会の寄贈。西深川橋のすぐ南、白河一丁目公園に設置。
西深川橋。かわいらしい鉄橋。
陶板画と2尾の魚の像。作者などは不詳。西深川橋の南詰東側に設置。
シーラカンスの像(グーグル「彫刻」※では、《幸福の魚 GOMBESSA》とある)。作者などは不詳。なお、台座に「1990年3月」橋梁景観整備工事(その2)」施工 千代田建設興業株式会社」とあった。※グーグル「彫刻」は、グーグルで「彫刻」という言葉キーワードに検索すると出るマップのことを仮称した。ソースはよくわからないが、タイトル板などがない(または失われた)作品にもタイトルなどが出ることがある。追記(2021.5.12):東京新聞(2021.2.25)「街角のアート楽しんで」によると、松本哲也作で、タイトルは《GOMBESSA》とのこと。
小名木川が隅田川に合流するあたりにかかる万年橋。すぐ近くの芭蕉庵史跡展望庭園にある芭蕉像を観に行ったのだが、芭蕉記念館分館が月曜休館のため、近くで観るとこができなかった。次回を期す。
- 新大橋三丁目児童遊園
タイトル不詳の青木三四郎作品(1991)
- 千歳公園 ここだけ墨田区。
小堤良一《ダンス・ダンス》(平成5年〈1993〉度)。墨田区による「まちかどアート」。公園の北西角に設置。
ときわ台→上板橋・板橋区編 彫刻放浪:光が丘周辺、ときわ台→上板橋→平和台(4)
- ときわ台北口・噴水広場
噴水池と人物像。像の台座に、駅前広場再生の経緯を記した「昭和三十四年八月」付の石板がついていた。それによると、戦後荒れ果てていた駅前広場を、常盤台小学校の児童らが美化に努めたことをきっかけに、有志が東京都や板橋区、その他、関係各所にはたらきかけ、美化再生を推し進めたとのこと。
噴水広場にあったペリカン像。口に穴があったので、かついては噴水などに使われていたものかな。作者は不詳だが、サインがあった(解読中)。
瀬戸剛《空へ》(1988)。中央図書館の南側に設置。
高橋剛の母子像(1986.12設置)。台座に「昭和六十一年十二月二十六日開園」とあったので、公園開園に合わせて設置されたのだろう。
少女が男児に花かんむりをつけている像。タイトル・作者などは不詳。中央図書館裏手(北側)、公園の東出入口付近に設置。これと同じ像(《花のかんむり》)が柏の葉にもあった(→ここ)。
この石組みは噴水塔かな?
とんぼとりの像。タイトル・作者などは不詳。公園の南西側出入口付近に設置。
- 板橋区立教育科学館
「メービウスの帯」。科学館の北東側に設置。
南極観測船ふじのスクリュー。1965年のふじの竣工時に作られた予備の1枚だとか。科学館の北東側に設置。
光が丘周辺(2)・練馬区編 彫刻放浪:光が丘周辺、ときわ台→上板橋→平和台(3)
- 東京都立光が丘公園 光丘高校口から光が丘公園に入り、けやき広場をめざしてふらふらと歩く。しかし、広いな。
平和祈念碑「平和への祈り」(1995.8.15設置)。像のタイトルは《健やかに》。制作は田中昭。練馬区による。体育館と図書館の間あたり設置。
公園の入り口付近にある「光のアーチ」。
クジラのオブジェ。練馬光が丘病院の少し南に設置。ペデ上。
ペデの入り口付近にあるウェルカムアーチ(でいいのかな?)と園名石。手前の園名石の制作は、制作:志津雅美、三上浩、他、意匠・制作監理:志津雅美で、1988年の制作設置。>参考:志津雅美の昔は昔の(公式)
- 練馬区立光が丘区民センター
三坂耿一郎《邂逅》(1982?/1990.11設置)。練馬区による(28)。
関谷光生《sonata》(1992.3設置)。練馬区による(33)。
篠崎明雄《花咲く乙女達より》(1984.10設置)。練馬区による(6)。
- 板橋区立赤塚新町公園、他 団地の中を抜け、さらに北に進む。このあたりから板橋区になる。まず、ゆりのき通り北団地の中にあるオブジェを観て、さらに北に進み、団地を抜け、赤塚新町公園に至る。ここで少女像を観てから、東に歩き、地下鉄赤塚駅まで。このパートの最後に、1番出入口付近に設置されている鎌倉古道碑を観覧。もうおやつの時間だが、駅の周辺でおそい昼食を食らい、東武線で、ときわ台駅まで移動する。
タイトル不詳のオブジェ。下方に「TOSAKA」のサインあり。ゆりのき通り北団地の4号棟の南側に設置。光が丘公園の西側にあたるこの辺も光が丘パークタウンの一部のようだが、このゆりのき通り北は、練馬区ではなく、板橋区になる。
《おおい!こっちだよ》(1982)。制作チームは、原型制作:志津雅美、肥田いわね、森啓子、ブロンズ鋳造:広瀬敬二、意匠・制作監理:志津雅美。住宅・都市整備公団による。ゆりのき通り北団地の北側にある板橋区立赤塚新町公園に設置。>参考:志津雅美の昔は昔の(公式) itacco「赤塚新町公園の少女像を追う」(2018.5.14)
「鎌倉古道」碑。地下鉄赤塚駅1番出口付近。
光が丘周辺(1)・練馬区編 彫刻放浪:光が丘周辺、ときわ台→上板橋→平和台(2)
- J.CITY TOWER
鈴木尚和《宇宙からの贈物 '94(目覚めよ、夢美愛)》。J.CITY TOWERの西側の緑地に設置。
鈴木尚和《宇宙からの贈物 '94(蘇れ、夢美熱)》。J.CITY TOWERの東側の緑地(池の中)に設置。
船山滋生《トウ・シューウズ》(1984)。管理棟の前に設置。写真だと大きく見えるが、小さめの像だった。
小口一也《FACE》(1984.7)。
- 8の字公園 大通り南団地の春風公園を挟んで反対側にある光が丘パークタウン・大通り南7番街にある小公園(というか、小広場?)。8の字公園の名称はgm記載によったのだが、特に名標の類は見当たらなかった。ひょっとして、下記掲載の大貝滝雄作品による通称かな。(実は見落としてしまい、《光が丘灯台》を観た後に戻ってきて、観覧した。)
大貝滝雄《Let it be》(1985)
- 春風公園 春風公園を北に歩く。お目当ての三坂制作品は、公園の北、歩道橋入り口の少し南にあった。
三坂制《あそぶ》
- 四季の香公園 歩道橋を渡ると、さらに北に公園が続く。こんどは四季の香公園というそうだ。公園の南側の遊具のあるあたりに、もう1基、三坂制作品が設置されていた。これを観覧した後、公園を北に進み、「であいの石」あたりから、東に進み、光が丘西大通りを渡り、公園を南に歩く。このあたり、ハーブガーデンとかがあるのだが、まだ工事中だった(中に鹿の像があった)。公園の外、南側に《光が丘灯台》があった。
三坂制《午后》。
「であいの石」
- 練馬区立旭町南地区区民館 続いて、光が丘西大通りを北に歩き、旭町南地区区民館→こひつじ公園→八丁堀児童公園と回る。
山本民二《秋暑の日》(1993.3設置)。練馬区による(34)。なのだが、今年の6月末まで続く大規模改修工事のため、仮設壁に囲われていて、観覧はかなわなかった。隙間からちょっとだけ見えたので、写真を撮る。まあ、撤去はされないようなので、次回を期す。それにしても、工事だというのに、像の養生とかしないのね。
- 練馬区立こひつじ公園
分部順治《かたらい》(1985)。東京都文化のデザイン事業による。
- 練馬区立八丁堀児童公園
分部順治《牧場の朝》(1986)。東京都文化のデザイン事業による。
高野台周辺(練馬区編) 彫刻放浪:光が丘周辺、ときわ台→上板橋→平和台(1)
- 今日は、練馬区にある野外彫刻を、主に光が丘を中心に観て回ってきた。
- 最寄りから京葉線・武蔵野線・東西線・有楽町線・西武線を乗り継ぎ、練馬高野台駅で下車。11:20過ぎに到着。2時間弱かかった。ここからは徒歩で、最初の目的地の練馬区立生涯学習センター分館を目指す。途中、西友があったので、立ち寄って、最近マイブームの西友のアップルパイ(けっこう大きなリンゴが入っている。105円)などを購入。どこかの公園で食べようかなと。
関谷光生《脱ぐ》(1982/1987.12設置)。練馬区による(19)。
伊藤五百亀《うたかたの譜》(1974/1984.10設置)。練馬区による(3)。
- 関根伸夫作品 体育館の後、笹目通りに出て、北に向かって、ぶらぶら歩き、光が丘方面を目指したのだが、笹目通りに出ると、すぐのところ、道の反対側に関根伸夫っぽい彫刻を発見。横断歩道を渡って、確認しに行ったら、はたして関根伸夫作品だった。
関根伸夫《虹のある風景》(1983)。谷原二丁目交差点の南西側(谷原2-1-26)。