かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

広島

  • 広島へ行ってきた。特にこれといった目的があったわけでもないが、春秋航空の広島→成田のチケットが安く買えたので、久しぶりに行ってみよう、広島は野外彫刻を目当てに歩いて回ったことがないので、それじゃ、観て回ろうか、ということになった。春秋航空は、以前は、朝と夜の2往復、成田-広島便を飛ばしていたが、最近は徐々に国内便から撤退しており、今では夜便の1往復だけである。なので、行きは、ANAを利用し、結局、あまり安くはならなかった(といっても往復で、14000円弱)。かつては、春秋航空の爆安セールで往復3000円強で何度も往復したが(2回、欠航もあっけれど…)、そんなうまい話はもうない、ない…
  • さて、行きは、羽田からである。最寄り始発の4:58発のリムジンバスで羽田空港へ向かう。ほぼ定刻の5:50頃、羽田空港T2に到着。今日は乗客が少なめだった。B1Fのエアローソンに立ち寄ってから、保安検査場を通過して、68ゲートへ移動。って、南ピアのいちばんはしっこだぁ(先週は北ピアのいちばんはしっこだったなぁ)。例によって静かなところを探して、本を読むなどして、搭乗開始を待つ。羽田空港はきれいでいいのだが、テレビの数が多く、静かなところがあまりない。本日搭乗するのは、ANA671便、羽田7:00→8:25広島の予定。ほぼオンタイムの運行で広島空港の到着。8:35発の、広島駅新幹線口行きのリムジンバスに乗車。9:30頃、広島駅に到着。1340円(SUICA)。
  • 今日、初めての彫刻は、広島駅新幹線口(北口)の、圓鍔勝三の《朝》から。圓鍔勝三(1905-2003)は広島県御調郡河内町(現・御調町)の出身の彫刻家。なので、広島県には圓鍔勝三の作品が多く設置されている。出身地の御調町には、圓鍔勝三彫刻美術館もある。澤田政廣に師事し、主に官展-日展に木彫作品を出していたようだが、野外彫刻はもちろんブロンズ像。金色のものが多い。ということで、《朝》も金色。


圓鍔勝三《朝》(1972秋/1979秋設置)。新幹線口周辺の再開発で、一時撤去されていたようだが(2014年12月〜2017年10月頃?)、再び戻ってきた。新幹線の1F・コンコースには、圓鍔勝三《再会》(1973/木彫)もあったようだが、こちらは、御朝町の美術館へ移されたようだ。この像は、広島市、広島鉄道管理局、広島商工会議所が設置。

美女2人が踊り、

少年がトランペットを吹く。朝から元気だ。

  • 南口に出て、駅前のバス案内所で、広島ピースパスを購入。700円。今日は、これを使って、移動する。ちょうど駅にいた、広電の宮島口行に乗車する。社会科見学の小学生でいっぱいだったが、原爆ドーム前電停でみな下りていった。オレは、商工センター入口電停までこれで行く。ここで、下車し、西部埋立第5公園の佐藤忠良作品を観に行く。このあたりは、1966〜1982年にかけて埋め立てられた地区らしく、駅前にはショッピングセンターなどがあるものの、少し歩くと、工業団地になる。ところどころに、西部埋立第○公園と呼ばれる公園が散在し、このいくつかに野外彫刻が設置されているようだ(全部チェックしたわけではないが…歩きでは無理!)。事前に野外彫刻のあることがわかった、第5公園と第6公園を訪ねる(途中、通りかかった、緑地や第4公園などには、彫刻は見当たらなかった)。最初に第5公園へ。それにしても暑い。Tシャツ1枚だが、もうべとべと。駅から10分ほど歩くが、寝不足で、すでにへばっている。続いて、5分ほど歩いて、第6公園へ。スケボー用のスロープが設置された公園だったが、ここまでスケボー、やりに来るのか!? 第5公園はウォーキングする人らがいくらかいたが、(工業団地の中の)第6公園には今の時間は誰もいない。オレとカラスだけ。電停まで戻る途中、ショッピングセンターの冷房で生き返るなど。



広島市西区西部埋立第5公園の、佐藤忠良《黎明/裸のリン》(1977/1980設置)。《裸のリン》の初出は、第41回新制作展(1977)。十和株式会社が創立30周年を記念して寄贈。



近くにもう1基あった。同、空充秋《西部の門》(1981)。空充秋も広島県出身。なので、広島に多くの作品が設置されている。中でも、この《西部の門》は大作。



広島市西区西部埋立第6公園の、圓鍔勝三《花を捧げる》(1980)。

  • 来るときに、電車の中から見かけた彫刻を観るべく、途中、福島町電停で下りる。広島市西区役所前に設置された松本隆司の海パン青年像だった。再び福島町電停まで戻り、紙屋町西電停で下車。県庁前まで歩くと、ここにも、松本隆司の海パン青年がいた(こんな書き方をしていると、松本隆司は海パン青年像ばかり作っていたと思われそうだが、そんなことはありません! 他にも海パン青年いるみたいだけど…)。こちらの海パン青年は、木下直之『せいきの大問題 新股間若衆』(2017.4・新潮社)所収の「股間風土記」に、「場違いな奴」として掲載されている。なお、同書には、後に掲載する平和公園の《祈り》も載っている。



広島市西区役所前の、松本隆司《風雪》(1981.3)


広島市中区広島県庁前(西側)の、松本隆司《夢の待ち人》(2001.4)。広島平和ライオンズクラブが創立40周年の年に紙屋町地下街の完成を記念し、寄贈したもの。タイトルがなあ… 《風雪》と海パン表現を比べるのもおもしろいゾ笑

  • 県庁前バス停から広電バス・4系統に乗車。20分ほど乗って、東本浦バス停で下車。歩いてすぐの、広島市立仁保小学校西門前の、本郷新作品を観覧。小、中学校の構内には野外彫刻が設置されていることが多いのだが、構内設置のものについては、基本的にあきらめることにしている。この像は、幸いにも、門の外に設置されていたので(SVで確認できた)、今回、訪ねた次第。



広島市南区広島市立仁保小学校西門前の、本郷新《母子像》(1978)。花壇内に設置されていて、台座まわりを探れず、設置経緯などはよくわからなかった。今回の旅行のお目当ての一つ。

  • 比治山/広島市現代美術館・野外彫刻とまんが図書館周辺の野外彫刻 東本浦バス停から再び広電バスに乗車。10分ほど乗って、段原中央で下車。広電バス4系統、一方通行の道を通るためか、上りと下りで一部経路が異なり、東本浦バス停も降りたバス停と少し離れたところにあり、一瞬焦った苦笑 比治山スカイウォークで比治山山上に上がるのだが、その前にショッピングセンターのサイゼリアで遅い昼食を適当に食らう。ここのところ、比治山というか、広島市現代美術館へは、比治山下電停から歩いて上ることが多かったが、初訪問以来の比治山スカイウォークから行くことにした。やっぱり楽だわ笑 現代美術館の展示は、今回はパスして(企画展は埼玉ですでに観たもの、コレクション展は展示替え中のため)、美術館やまんが図書館周辺(比治山の北側)の野外彫刻を観て回る。比治山には何度も来ているが、そういえば、野外彫刻をじっくりと観て回ったことはなかった。なお、比治山にはこれらの野外彫刻以外にも、肖像彫刻などもあるようだが、今回は観ていない。宿題とする。 



彫刻の丘の、新宮晋《私たちの星(風のサーカス)》(1988)


彫刻の丘の、野田正《疾風 フラッシュバック》(2000/ステンレススチール)。個人の寄贈。案内板によると、脇田愛二郎《ねじられた錆の柱》が以前は設置されていたようだが、現在は(傷みのためか)撤去されている。


彫刻の丘の、澄川喜一《安芸の翼》(1987-88/石・ステンレス/1988.3設置)。日本宝くじ協会が宝くじの普及宣伝事業として設置(以下、宝くじ設置、とする)。


ムーアの広場山陽台)の、ヘンリー・ムーア《アーチ》(1963-69作、1985-86鋳造/ブロンズ/1987.12設置)。宝くじ設置。


野外展示場の、田窪恭治《広島ー1996》(1996/鉄)


野外展示場の、フェルナンド・ボテロ《小さな鳥》(1988/ブロンズ/1989.3設置)。宝くじ設置。


野外展示場の、岡本敦生《地殻-9》(1993/石)[写真奧]・《地殻-繭-97-2》(1997/石、ワックス、水)[写真手前]。ともに作者より寄託。


野外展示場の、岡本敦生《地球電話・広島》(1996/石、電話機、マイク)


野外展示場の、井上武吉《マイ・スカイ・ホール88-5》(1988/コールテン鋼)


野外展示場の、山口牧生《四角い石と丸い石たち》(1988/石)


野外展示場の、空充秋《根香》(1988/石)



野外展示場の、菅木志雄《石で囲う》(1977/石)



野外展示場の、マグダレーナ・アバカノヴィッチ《ヒロシマ-鎮まりしものたち》(1992-93/ブロンズ・40体/1993.3設置)。宝くじ設置。


野外展示場の、藤本由起夫《ECHO(HIROSHIMA)》(2004/ステンレス、ガラス/2004.3設置)。宝くじ設置。


野外展示場の、フィリップ・キング《ヘッド》(1982-83/鋼鉄彩色)




井上武吉《階段モニュメント》


広島市まんが図書館前の、舟越保武《笛吹き少年》(1967/1982.2設置)。広島ロータリークラブが創立50周年を記念して寄贈。


御便殿跡広場の、最上壽之《テク・テク・テク・テク》(1983)


御便殿跡広場の、田中薫《1・1・√2》(1983)


彫刻の小道の、舟越保武《EVE》(1986/ブロンズ)


彫刻の小径の、佐藤忠良《ポッケ》

  • ひとわたり観覧の後、比治山下電停まで歩いて下りる。広電で、比治山から広島駅まで戻り、そういえば広島駅南口周辺をチェックしていなかったと、ひと回りして、高橋秀作品を見つけた。この後、再び広電の広島港行に飛び乗り、市役所前まで移動する。


広島駅南口の、高橋秀《翔べ未来へ向けて》(1989.3)。広島市の彫刻のあるまちづくりの一貫として設置。第2回彫刻コンペティション最優秀作品。広島市は、「広島市実施計画」の中で、1982年頃から「彫刻のあるまちづくりの推進」を行い、一時期、市内各所に野外彫刻を設置したようである。その作品の一つ。今のところ、広島市の彫刻のあるまちづくりの全体像はよくわらない…

  • 市役所前と平和通りにある柳原義達作品を観覧して、一応、今日の予定は終了。ぼちぼちとホテル方向に歩く。途中、公園があったので、立ち寄ったら、袋町公園だった。ここにも、平和記念碑が1基据えられていた。明日の朝早くにひろしま美術館の清水九兵衛作品を観に行くつもりだったのだが、ひょっとして、早朝だと、構内に入れず、観られないかも、と思いつき、念のため、最後に立ち寄ってみた。美術館のまわりの遊歩道に設置してあり、いつでも観られるようだった。安心して笑、ホテルに向かう。途中、適当な夕食を適当に食らう。歩き疲れて、繁華街に出る元気がないので、道筋にあったカレー屋でカツカレーなどを食らった。お好み焼きを食べるつもりだったのだが…


広島市役所前の、柳原義達《道標・鳩》。1928年(昭和3)に建設された広島市役所の旧庁舎は、1945年の原爆投下により壊滅的な被害を受けた。旧庁舎のうち、原爆被災の痕を色濃く遺す正面玄関はメモリアルスペースとして、また、地下部分は旧庁舎を中心とする被爆の実態を伝える資料室(広島市役所旧庁舎資料展示室)として改修・保存されている。ちょうど、その資料室の上にあたる部分に《道標・鳩》は設置されていた。もちろん、資料室も観覧。


広島市中区平和大通・白神社東交差点北東の、柳原義達《ラ・パンセ(瞑想)》(1952/1953.7設置)。味日本株式会社の寄贈。柳原義達の古い作品を観ることができた。野外彫刻はわりと設置時期が決まっていて、作品の制作もその前後がほとんどなので、なかなか1950年代前半の作品を観ることはできない。昨今、具象の彫刻家の大規模回顧展は、なかなか望めないので、その意味でも、古めの作品を観ることができたのはうれしい。


近くに、「移動演劇さくら隊原爆殉難碑」があった。


広島市中区袋町公園の、袋町地区原爆死没者慰霊碑《母》(1992.8設置)があった。袋町地区社会福祉協議会と袋町地区原爆死没者慰霊碑建立委員会による建立。像の制作は、吉田正浪。台座裏の碑文には「爆心の袋町地区にあって総てを絶たれいまなおその証しさえなく眠る原爆死没者のみ霊に捧げるためこの碑を建立する」とあった。吉田正浪(1936-2011)は広島県因島市(現・尾道市)出身の彫刻家。主に新制作展に出品。長く比治山女子短期大学(現・比治山大学短期大学部)の教員を務めた。
>参考:ひろしまインターネット美術館 吉田正浪 彫刻展

  • 今回、宿泊したホテルは、アーバイン広島セントラル。ここの4Fのシングル、禁煙室に泊まった。まだ新しく、それほど広い部屋ではなかったが、まあまあ快適。Wi-Fi、シャワートイレなどもあり、アニメティも問題なし。バスタブが丸みの形のあるもので、よかった。フロントで氷が欲しいといったら、すぐに準備してくれた。枕元にコンセントがないじゃないか、と思ったら、延長コードが準備してあった。なかなかいいかと。チェックインする際に、前の通りで路面電車の工事があるので、うるさいかもしれない、ご迷惑をおかけします、と謝られたが、(工事はしていたようだが、)特に大きな音も聞こえなかった。6000円弱を、クーポンだの、ポイントだのを利用して、5000円弱で。風呂入って、すぐに就寝。