かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

鳥取→倉吉→皆生温泉

  • 鳥取へ行ってきた。鳥取県内に行くのは今回が初めてのこと(これで47都道府県総てに足を踏み入れたことになる…だからって、どうっていうこともないが…)。大きなお目当ては、鳥取県立博物館で開催中の「土方稲嶺」展を観ることだが、いろいろと野外彫刻の類も観てきた。せっかく出かけるのだから、鳥取砂丘なども見たかったし、もう少し観光らしきこともしたかったのだが、今の関心から、結局、彫刻を探して町歩き、というところに落ち着いてしまった。2日間とも天気も上々で、いろいろとおもしろい野外彫刻も観ることできた。
  • さて、出発。今回は行きは鳥取空港に飛んで、鳥取→倉吉→米子→境港と移動し、米子空港から帰ってくる、というルートをたどることにした。例によって4:58最寄り発の始発バスで、まず羽田空港へ移動。5:50、オンタイムで、羽田空港T2到着。Bの保安検査場を抜け、出発ゲートの58付近で待機。今日、搭乗するのは、ANA293便、羽田6:40→7:55鳥取の予定。20分前に搭乗が始まり、だいたい予定どおりのフライト。窓側席のAで、久しぶりに上空から富士山を見ることができた。鳥取空港、正式には鳥取砂丘コナン空港に着陸後、空港連絡バスに乗車。バスは一応ダイヤが決められているが、飛行機の到着を待ってからの出発で、今日はだいたいダイヤどおりだった。8:05頃の出発で、20分ほどで、県庁・日赤前バス停で下車。460円。鳥取駅まで行かずに、県博に近い、県庁・日赤前バス停で降りた次第。



とりぎん文化会館・中庭の、澄川喜一《WING OF PHENIX》(1993)。この像をとり囲むように、とりぎん文化会館鳥取県公文書館鳥取県立図書館が建っている。



鳥取市役所横の、長谷川塊記《望》(1967.9設置)。



鳥取県公文書館横の、《明治法律学校(現明治大学) 創始者 岸本辰雄先生》(2006.5設置)。制作は入江博之。



箕浦武家門裏/鳥取県立図書館前の、《遠藤董先生》(1952設置)。制作は長谷川塊記。遠藤董(1853-1945)は、鳥取県の教育界で功績を残した人物で、女学校、盲学校・聾学校、図書館などを設立したとのこと。



城南神社境内/公園の、女性像。県庁前脇の道を武道館の方に向かおうとしたら、隣が城南神社の境内、というか公園らしく、通り抜けられそうなので、中を歩いたら、女性像が1基立っているのを見つけた。予習にはなかった作品。銘板などが見当たらなかったので、タイトルは不詳だが、像の足下に「81 TAIZO Y」とサインがあったので、吉田大象作品で1981年の制作とわかった。吉田大象(1920-2009)は東京都文京区生まれの彫刻家で、東京藝術大学彫刻科卒業後、主に新制作協会で活動。鳥取大学の教員を務めた縁か、鳥取市内にいくつか野外彫刻を残している。第40回国民体育大会(1985)の夏季・秋季大会のわかとり国体(1985/鳥取市などで開催)のメダル原型制作などもしているとのこと。※DB未掲載



鳥取市武道館前の、《吉川経家公像》(1994設置)。制作は奥谷俊治。



久松公園入口の、山本兼文《かたちなむ》(1977.10.30設置)。公園名標の上に設置されている。※DBのよる。



久松公園入口の、山本兼文《横に広がる平和の象徴》(1977.10設置)。※DBによる。



山本兼文《城の人》(1981.3設置)。※DBによる。 久松公園の入口の濠と道路を挟んだ反対側に、碑の類がいくつか設置された場所があり、その中に立っていた。DBによると、以前はJR鳥取駅南口のロータリーに設置されていたようだ。再開発のために移設されたか?

  • 鳥取県立博物館・企画展「土方稲嶺」

ロビーに、辻晉堂(1910-1981)、山本兼文(1918-1992)、イシダメイ(石田明)(1938-2016)といった鳥取県出身の彫刻家の作品が展示してあった。いずれも鳥取や米子で出会った野外彫刻の作者たちだ。山本兼文については、今年が没後100年なので、「土方稲嶺」展の後に、「生誕百年 山本兼文展」が開催されるようで(11/23〜12/24)、観たいところだが、さすがに行けない。

  • JR鳥取駅周辺の野外彫刻 西町バス停から鳥取駅行きのバスに乗った。160円。鳥取のバスは、日本交通と日ノ丸自動車が運行しているが、このバスはどっちだったかしら? それはともかく、10分ほどで駅に到着。次の目的地の倉吉に向かう列車の時間まで、鳥取駅周辺の彫刻を探る。


鳥取駅北口前の、山本兼文《石の平和の祭壇》(1981.11設置)。※DBによる。


鳥取駅北口前の、長谷川塊記《あゆみ》(1954/1981.3設置)。DBによると、本作は第10回日展(1954)の特選授賞作(原型は鳥取県立博物館所蔵)とのこと。


鳥取駅北口・風紋広場の時計塔「夢時計21」(1991.3設置)。作者は不詳。


鳥取駅南口前の、大黒様と白兎の像(1985秋)。制作は入江甲。1985年駅の南口が整備された際に設置されたようだ。

  • 倉吉へ 鳥取駅12:15発のとっとりライナー(快速列車)に乗車。13:06に倉吉に到着。今回の旅行では、鳥取-境港間の乗車券(1940円)を買って、倉吉、米子で途中下車することにした。これだと、乗車の都度にきっぷを買うより、ほんのちょっとだが、安く済む。さて、倉吉の中心街は、駅から少し離れたところにあり、野外彫刻なども歩いて回るには少々距離がある。中心街だけなら、バスでもいいのだが、彫刻はやや散らばっているので、自転車を借りて回ることにした。観光案内所で受け付けを済ませ、自転車は少し離れたバスプラザ(バスセンターみたいな)で借り出す。9:00〜17:00の利用で、1日500円。別にデポジットに500円必要(自転車返却後に戻る)。倉吉の野外彫刻はDBや、「倉吉観光情報 緑の彫刻プロムナード」などで事前に調べたが、当日は観光案内所でもらった写真入りの「倉吉野外彫刻ガイドマップ」(倉吉博物館発行)が役に立った。例によって学校設置の作品はパスすることとし、時間の都合もあり、やや遠いところに設置された作品も、残念だが、今回は割愛した。


鳥取県は「まんが王国とっとり」を名乗っていて、ラッピング列車もいろいろと走っていたりする。鳥取12:15発米子行きとっとりライナーは「名探偵コナン」号だった。倉吉市も「ひなビタ♪」という(アニメではなくて…)Web連動型音楽配信企画(Wikiによる)の聖地で(「ひなビタ♪」の舞台となった架空の地方都市、倉野川市と、倉吉市姉妹都市提携を行っている)、市内各所に登場人物たちがいたのであった。とっとりライナーは2両編成のワンマン運行だった。

  • 倉吉市の野外彫刻は、設置経緯からは、主に「倉吉市・緑の彫刻賞」関連の野外彫刻で設置された彫刻と、それ以外のモニュメント、学校・公共施設設置の彫刻などにに分けられる。「倉吉野外彫刻ガイドマップ」によると、1983年に倉吉市による「水と緑と文化のまちづくり」が始まり、その一環で「緑の彫刻賞」が制定、1988年から受賞作の設置が行われた。現在のところ、2011年の第8回まで行われ、倉吉市倉吉市文化基金、あるいは、寄贈によって設置されている。設置場所は市内各所だが、中でも旧倉吉線の線路跡の一部を遊歩道にした「緑の彫刻プロムナード」のうち、旧打吹駅のあったあたりに多く設置されている。


倉吉駅北口前の、池田カオル《とどいた調べ》(2011)。第8回倉吉市・緑の彫刻賞。国際ソロプチミスト倉吉の寄贈。



倉吉駅南口前の、小田襄《円と方形 出発》(1995)



倉吉駅バスプラザ前の、重岡建治《十字のピエタ》(1981/1984.4設置)。倉吉北ライオンズクラブ結成5周年記念。台座に「みんなやさしい愛と光を」とある。

  • 倉吉大橋の親柱 では、駅前を出発。まず自転車でよたよたと倉吉大橋を目指す。自転車、そんなに古くないのだが、あまりスピードが出ない(スピードが出ないようにギアに手を加えていたのかも…)。空回りする感じで、乗り心地がいまいち。それでも10分も走れば、なんとか到着。自転車、便利だ。倉吉市・緑の彫刻賞の第1回と第2回の作品は国道179号線、天神川に架けられた倉吉大橋の親柱の上に設置されている。これを観覧するが、親柱が高くて、よく見えない…


東詰・下流側の、黒川晃彦《帽子を被ったら歩いてみよう》(1988)。第1回倉吉市・緑の彫刻賞、倉吉市文化基金


西詰・下流側の、澄川喜一《こっとい》(1988)。第1回倉吉市・緑の彫刻賞、倉吉市文化基金


東詰・上流側の、江口週《打吹の鳥》(1990)。第2回倉吉市・緑の彫刻賞、倉吉市文化基金


西詰・上流側の、山本正道《風と少女》(1990)。第2回倉吉市・緑の彫刻賞、倉吉市文化基金

  • 緑の彫刻プロムナードの野外彫刻 緑の彫刻プロムナードと名付けられた遊歩道が倉吉大橋を渡った少し先から始まる。この遊歩道は1985年に廃止された倉吉線の線路跡の一部を利用したもので、野外彫刻は打吹駅跡(倉吉線鉄道記念館がある)周辺に集中的に設置されている。


旧上灘駅跡あたりの、澄川喜一《To the Sky》(1991)。倉吉市による。上灘駅は打吹駅の隣の駅。


あけしまレディースクリニックの裏手の、早川巍一郎《だんらん》(1974)。倉吉市文化基金による。早川巍一郎(1905-1978)も鳥取県出身の彫刻家の一人。


以下、旧打吹駅のあったあたりの野外彫刻を東から順に掲載。石井厚生《時空・1912年6月1日−1985年3月31日》(1997)。第4回倉吉市・緑の彫刻賞。協力:(株)エースパック。タイトルの年月日は倉吉線の前身、倉吉軽便線としての開業日と、JR倉吉線の廃業日。


手塚登久夫《月に吠える'94》(1994)。第3回倉吉市・緑の彫刻賞。協力:倉吉ロータリークラブ(クラブ創立40周年記念)。


内田晴之《異・空間 92−2》(1992)。倉吉・緑の彫刻プロムナード特別賞。倉吉市文化基金


田中栄作《万象万物の記憶》(1994)。第3回倉吉市・緑の彫刻賞。倉吉線鉄道記念館の北側壁面に設置。


池田宗弘《塀の内外 旅人》(1992)。倉吉・緑の彫刻プロムナード特別賞。倉吉市文化基金


向井良吉《風景の中の風景》(1991)。倉吉市による。


淀井敏夫《雲と樹、渡り鳥》(1991)。日本交通(株)の寄贈。


山根耕《つなぎ石 作品−8》(1992)。倉吉・緑の彫刻プロムナード特別賞。倉吉市文化基金

  • 白壁土蔵群の周辺 緑の彫刻プロムナードを離れて、打吹駅跡あたりから南に少し下った、白壁土蔵群の周辺。このあたりが、本来の観光地にあたる。



籔内佐斗司「ひとまちひろば」(2003)。第6回倉吉市・翠の彫刻賞。成徳小学校の手前の、ポケットパーク(鯉の泳ぐ掘り割りとトイレなど)に6基の籔内作品が設置されている。順に、《ひとまちいぬ》、《かえる三態》、《諸厄退散塞の坊》、《上向き童子》、《こぼすな様》、《追い風福坊》。


第五十三代横綱琴桜像。


「くら用心」(白壁土蔵群のひとつで、防災拠点になっている)中庭の、西雅秋《水際》(2003)。土蔵が補修工事中で、全体を観覧することができなず、ちょっと残念。


鍛冶町駐輪場の軒下、籔内佐斗司《火伏せ童子と家守》(2004)。

  • 倉吉博物館と倉吉市野球場前の野外彫刻


倉吉博物館前の、長谷川塊記《裸婦》(1962)


倉吉博物館前の、新宮晋《遠いこだま》(1994)。第3回倉吉市・緑の彫刻賞。


倉吉博物館前の、早川巍一郎《鳩と少女》(1973)


倉吉市野球場前の、湯村光《KURAYOSHI》(1984)。湯村光(1948-)も鳥取県出身の彫刻家。

  • 倉吉パークスクエアの野外彫刻


図書館南側の、加藤昭男《月から舞い降りた兎》(2000)。第5回倉吉市・緑の彫刻賞。


食彩館南側の、湯村光《Composition》(2000)。第5回倉吉市・緑の彫刻賞。


遊具広場南側の、毛利武士郎《倉吉DNA》(2001)。第5回倉吉市・緑の彫刻賞。


二十世紀梨記念館前の、深井大《逃れゆく思念》(2003)。第6回倉吉市・緑の彫刻賞。

  • 倉吉駅まで戻り、自転車をバスプラザに返却、観光案内所に返却の書類を出して、デポジットの500円を回収。山陰本線で次の目的地、米子に向かうこととする。倉吉16:50発のとっとりライナー出雲市行きに乗車。車中は下校する高校生が多い。さすがに寝不足と疲労で車中はうつらうつらする。17:42頃、米子に到着。ここで下車し、バスに乗り換え、今晩宿泊する皆生温泉に向かう。米子駅17:18発の日ノ丸自動車・皆生線・イオン東館行きに乗車。道がやや混んでいて、ちょっと遅れたが、20分強で皆生温泉観光センターに到着。290円。まるごうというスーパーがあったので、ここで食料と飲み物などを仕入れ、ホテルにチェックイン。
  • 本日宿泊したのは、松濤園という温泉宿。朝食付き、Wi-Fiありで、5980円+入湯税150円。設備がやや古かった(全館部屋の洗面所では、お湯が出ないなど…)が、あとはまあまあといったところか。設備の古さをサービスでカバーしようという感じ。朝食は、個人的には、今ひとつといったところだったが、館内に湯村光の彫刻や版画が設置/展示してあり、これがなかなかよかったかと。ということで、温泉に浸かり、早々に就寝。