岡本太郎《太陽の鐘》と前橋の野外彫刻 彫刻放浪:渋川と前橋(4)
「太陽広場と噴水彫刻」。新前橋駅前の広場は「太陽広場」というそうで、その中心にMの字を3つ組み合わせたような、噴水彫刻が立っている。これが、飯田善國《Mの噴水》で、Mの字は、「前橋」「水」「緑」の頭文字とのこと。1978年3月の設置。周囲には、市長名義の説明板はあったが、作者名は記されていなかった。タイトルと作者は、手持ちの図録の年譜(町田市立国際版画美術館『飯田善國 版画と彫刻』2006.7所収)によった。広場には、萩原朔太郎の「新前橋驛」詩碑もあった。>メモ:飯田善國「私にとっての駅前広場 新前橋駅前の『彫刻噴水』」(「朝日ジャーナル」1978年8月11・18日号)
- JR前橋駅前
前橋といったら、まあ、駅前のこれから。分部順治《建設》[写真左]と《平和》(1952)。当初はこの2像は背中合わせに設置されていたようだが、いろいろ経緯もあって、現在はこのような感じで再設置されている。目立つところにあるが、なにかひっそりと立っているような…
千本木康亘《ふるさとの想い出》(1991/1991.3.31設置)。彫刻設置協力者:小林工業株式会社。
黒田能勝《ふるさとの風》(1988)
桜井水月《ふるさと 花》(1986)
- 東和銀行・憩いの広場(本店ビル公開空き地)
分部順治《碩》(1978/1989.2設置)。東和銀行が普通銀行転換記念に設置。
清水多嘉示《すこやか》(1952)。国際ソロプチミスト前橋の寄贈。
分部順治《鶴》、らしい。タイトル板が見当たらなかった(足下の植え込みにかくれていたか?)。魔人系…
- 馬場川通り
桜井水月《颯爽》(1992/1992.5.8設置)。前橋ライオンズクラブ、前橋中央ライオンズクラブ、前橋西ライオンズクラブ、前橋南ライオンズクラブ、前橋敷島ライオンズクラブ、前橋南ライオンズクラブの寄贈(北はないのね)。
黒田能勝《ACQUA 心の泉》(1992)
斎藤史門《躍動》(1992.3)。前橋テルサ前に設置。周辺には他にもいくつかキューブが転がるように設置されていた。
竹田光幸《ぐう ちょき ぱあ》。これは馬場川通りではなく、銀座通りに面したハウゼビル(千代田町4-9-1)前に設置。ネットで存在は知っていたのだが、どこにあるかわからなかった。ふらふら歩いているうちに出会った。 >参考:竹田光幸の創作(公式)
- 《太陽の鐘》とその周辺 前回、前橋に来たときに《太陽の鐘》の設置予告の看板を見つけた。近くに来たら、ぜひ立ち寄ろう。ということで、今回の前橋訪問の目玉はこの《太陽の鐘》の観覧。《太陽の鐘》はもともと日本通運株式会社が1966年に開設した日通伊豆富士見ランドというレジャー施設で制作されたもので、1999年まで設置されていたとのこと。2018年に前橋市が日本通運株式会社から寄贈を受け、民間団体「太陽の会」との連携事業として、広瀬川河畔に設置され、2018年3月31日に完成記念式典が行われた。周辺整備デザインは藤本壮介が担当した。>参考:前橋市 太陽の鐘
岡本太郎《太陽の鐘》(1966)。なが〜い撞木は、24mあるとのこと。夏場なので、木々の緑に鬱蒼と覆い尽くされ、全体像がよく見えない。緑の伽藍といったところか。
すぐ近く、諏訪橋の西詰めには、萩原朔太郎の「月夜」詩碑(1987.10.17設置)もあった。レリーフの朔太郎は1924年頃の肖像。
伊藤隆道《〈アルキメデスのネジポンプから〉 登る水(三本のラセン)》(1980?.3設置)。《太陽の鐘》の少し下流、展望橋の近くに設置。アルキメデスのねじポンプの原理を利用した噴水?らしいが、「補修中」の貼り紙があり、で動いていなかった(本当に補修しているのか?)。
- 中央前橋周辺
前橋中央交番(アーツ前橋前)の自販はパトカー仕様だったが、
中央前橋駅の自販は、鉄道むすめ仕様だった。上毛電気鉄道駅務係の北原ゆうき嬢。
最後に、中央前橋駅前のモニュメントを。作者などは不詳。前橋中央ライオンズクラブが結成5周年を記念して建立。
- これで、今日の予定は終了。前橋には市役所周辺をはじめまだまだ野外彫刻があるのだが、これらは改めて観に来たいと思う。ということで、JR前橋駅まで歩いて、18:00過ぎの上野行きの快速に乗車。帰りは疲れ切って寝入っていたのだが、空腹に目が覚めて、途中の赤羽で降りて、夕飯などを食らったのであった。東京駅経由で最寄りまで、無事に帰宅したのであった。暑くて、大変だったが、まあ、楽しかったかと。