かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

萩(2) 萩とときわ公園(2)

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萩城天守

  • 石彫公園をじっくり観覧した後、石彫公園を東に抜けて、堀沿いに萩城跡の入口まで歩き、まず毛利輝元像を観覧。その後、風情のありそうな道筋をうろうろしつつ、田中義一像を目指す。この後の時間が読めないこともあり、今回は萩博物館はパスする(ちなみに、山口県立は美術館・浦上記念館は展示替えの休館中でこれまた観覧できなかった…ちょっと心残り)。

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毛利輝元公像》(2004.11.10建立)。制作は江里敏明。萩開府400年記念。毛利輝元銅像建立実行委員会による。



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萩城二の丸土塀(銃眼土塀)。この土塀は1965年春に、土塀の一部を復元したものとのこと。後ろの小高い山が指月山。


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こちらは反対側の砂浜。


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問田益田市旧宅土塀。説明板によると、この土塀のある堀内地区は旧萩城三の丸にあたり、高い土塀を巡らした重臣たちの屋敷が建ち並んでいたところで、萩藩永代家老益田家の分家筋にあたる問田益田氏旧宅のこの土塀(総延長231.7m!)は往時の姿を最もよく残したものだとか。


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《田中大将像》。現在の、この田中義一像は1963年再建の2代目の像で、像の原形制作は山畑阿利一が担当した。初代像は1931年の建立で、例によって戦時中に供出・融解された。萩博物館の西側の公園に設置。


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菊屋横丁という小さな通りを抜けようとしたら、「田中義一閣下誕生地」碑(萩市南古萩町20−7)があった。


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同じ通り沿いに高杉晋作誕生地も。


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その近くに広場があり、《高杉晋作立志像》が立っていた。2010年10月31日の建立で、制作は江里敏明。萩まちじゅう博物館が活動の一環として寄付やワンコイントラストにより設置したものとのこと。この活動では、これまでに《久坂玄瑞進撃像》や《井上勝立志像》(萩駅前でタクシーの車窓から見かけたやつね)が建てられている。制作はいずれも江里敏明。


  • 中央公園 続いて、中央公園に立ち寄る。まあ、萩でのお目当ての一つがここに設置してある北村西望山県有朋騎馬像だったのだが、この他にも、いろいろと彫刻の類が設置されていた。

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久坂玄瑞進撃像》(2015.1.24建立)。制作は江里敏明。萩まちじゅう博物館のプロジェクトによる。


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長嶺武四郎《母子像》(1978/2012.4設置)。第10回日展出品作。萩ライオンズクラブが認証50周年を記念して寄贈。長嶺武四郎(1904-84)は萩市出身の彫刻家で、主に日展で活動。ということで、萩市に設置されている彫刻/銅像は長嶺武四郎の手になるものが多い。


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神崎実《馬》(2011.4.5設置)。作家寄贈。


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長嶺武四郎《ふるさと》(1978/1995.10設置)。これは図書館前に設置。


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「佐々木善彦翁生育之地」碑(1969設置)。佐々木善彦(1887−1975)は萩市出身の実業家で、教育の充実や福祉の増進など、萩市に多大な貢献をしたとのこと。上部の胸像は佐々木善彦が社長を務めた東邦レーヨン株式会社の社員有志によるもの。制作者は不詳(「良」のサインあり)。


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山県有朋公》(1929/1930建立)。制作は北村西望。1927年(昭和2)、西望が陸軍省より山県有朋騎馬像の制作を依頼され、原型は1929年12月に完成、翌1930年10月に東京・霞が関陸軍大臣官邸に建立された。戦中の供出や戦後のGHQの難も免れ(といっても、陸軍大臣官邸→上野の美術館倉庫→井の頭公園の西望アトリエと移されているようだ)、1962年3月東京から現在地へ移設された(台座銘板に「昭和四年十二月作 昭和三十七年三月此地に移転、東京より」(北村西望自筆)とある)。

  • 萩市民会館 公園の東南側の市民会館前にも銅像があった。

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《和》(「三矢の訓え」像)(1966.10設置)。制作は長嶺武四郎。萩青年会議所による。矢の部分だけ新調されていた。










つづく
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