かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

「岡崎京子 展 戦場のガールズ・ライフ」、「下北沢クロニクル」他(世田谷文学館)

企画展「岡崎京子 展 戦場のガールズ・ライフ」
コレクション展「下北沢クロニクル」、「ムットーニのからくり劇場」

腹減ったので、向ヶ丘遊園駅前の東秀でチャーハンと餃子のランチを食らい、世田谷文学館に向かう。当初は、向ヶ丘遊園→下北沢→明大前→芦花公園という大回りの電車ルートのつもりだったのだが、電車に乗ったところで、大回りがばかばかしくなり、iPhoneで地図を確認、もっとも近そうな祖師ヶ谷大蔵で下車。世田谷文学館まで、30分ほど歩く(途中のバス停をチェックしたところ、千歳船橋成城学園前から最寄りまでのバスがあった模様)。東秀で、よせばいいのに、大盛り無料サービス中につられて、大盛りチャーハンを食らったのが響いてか、お腹不調のピンチに遭遇。まあ、ぎりぎりでした(苦笑)。
岡崎京子展、80年代から90年代初という時代の中で、表現という行為を通して、サイバイブしていく、彼女のしなやかな強さに、岡崎京子の読者ではない(そう、全くね)自分も真っ直ぐに感銘する。会場がちょっと狭かったのが難だが、展示の構成、内容とも質の高いものだった。
中でも、「リバース・エッジ」での、ウィリアム・ギブスンの詩の引用(黒丸尚訳「愛する人(みっつの頭のための声)」。ちなみに椹木野衣岡崎京子論のタイトルでもある)

III
この街は
悪疫のときにあって
僕らの短い永遠を知っていた


僕らの短い永遠


僕らの愛


僕らの愛は知っていた
街場レヴェルの
のっぺりした壁を


僕らの愛は知っていた
沈黙の周波数を


僕らの愛は知っていた
平坦な戦場を


僕らは現場担当者になった
格子を
解読しようとした


相転移して新たな
配置になるために


深い亀裂をコントロールするために


流れをマップするために


落ち葉をみるがいい
涸れた噴水を
めぐること


平坦な戦場で
僕らが生き延びること

ウィリアム・ギブスン黒丸尚訳「愛する人(みっつの頭のための声)」のIII節(『ArtRANDAM・71 Robert Longo』京都書院より))

により、岡崎京子の活動とパラレルに、日本におけるサイバーパンク受容が同じベクトルで進行していたことを知り(うかつにも、初めて知った)、とても興味深く思う。なんというか、自分も同じ時間軸にいたという同時代性を強く、リアルに感じたわけだ。
図録はいろいろあって後に買うこととしたのだが、帰宅後早速、ギブスン詩掲載本『ArT RANDOM 71 Robert Longo』をチェック、ネットで新本を購入する(版元の潰れたしまった京都書院の在庫販売ショップがネット上にあった)。ちなみに、ロバート・ロンゴは映画「JM」を監督したアーティスト。