かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

長万部→苫小牧 彫刻放浪…

  • 6:00頃、起床。身支度をして、1Fで朝食を食らう。普通の朝食バイキング。味噌汁がいまいちだったのを除くと、なかなか美味しかったなと。チェックアウトして、駅まで歩く。
  • 輪西7:04発に乗車。昨日は東室蘭→母恋も、室蘭→輪西も、ともに1両編成のワンマンカーだったのだが、特急仕様の7両編成が来て、ちょっとおどろく。室蘭から東室蘭までは各停で、東室蘭からは札幌行きの特急になるとのこと。東室蘭で乗り換えて、7:22発の長万部行きの各停に乗車。これは1両編成のワンマンカー。通学・通勤のお客で少し混んでいたが、伊達紋別あたりまでで、大方が下車する。8:55、到着。長万部まで乗っていたのは、老人2人とオレの3人だけだった。老人2人も観光客のようだったが、うち、1人が朝から酔っ払った上、長万部駅で乗り換えに4時間待つらしく、盛んに、こんな田んぼの中で4時間待たされると騒いでいる苦笑 そんなじいさんを尻目にオレは観光に向かうのであった。
  • 昨日もそうだったのだが、いたるところに野の花が咲いている。黄色い花、白い花。気持ちのいい風に揺らめいている。


  • 跨線橋を渡り、駅の反対側に出る。ここらへんが長万部温泉で、小さな温泉旅館が数軒軒を並べている。ここを抜け、図書館など、町の文化施設が並んでいる地区に出る。ここに長万部町平和祈念館がある。10:00からの開館なので、ここからもう少し歩いたところにある飯生神社近くの東蝦夷地ヲシャマンベ陣屋跡を見学するつもりだったのだが、ちょうどスタッフの方がいて、《わだつみのこえ》を眺めていると、見学しますか?と、声をかけてくれたので、お願いして、まだ開館時間前であったが、祈念館の中を見学させてもらうことになった。


この跨線橋を渡る。

長万部駅方面。

反対側。右が室蘭本線東室蘭方面)、左が函館本線倶知安方面)。

跨線橋の上でしばらくたたずんでいると、貨物列車がやってきた。最近の愛聴盤、クリスワトソン「幽霊列車」を脳内再生しながら、眺める。写真で初めて気づいたのでけど、運転手さんが手を挙げている。まぶしかったからか、こちらに挨拶していたのか?

さすがかにめし発祥の地、街灯に、かにがぶら下がっていた。

温泉街。左手の石碑は「長万部温泉発祥の地」碑。

  • 平和祈念館は、長万部町で開業医として43年間務めた工藤豊吉氏が、私財を投じて建設した美術・資料館で、ご自身が蒐集した信仰や平和に関わる美術作品や資料などとともに、1983年(昭和58)8月15日に長万部町に寄贈され、開館した。アジア諸国の仏像や仏画円空仏隠れキリシタンの資料もある)、あるいは反戦を訴え、平和を希求する美術作品などがところ狭しと展示してある。特に、開館に合わせて描かれた丸木位里・俊夫妻による原爆の図など、印象に残る作品も多かった。この祈念館の他に、建物の正面左手に石仏が多数収蔵された大型の展示ケースがあり、また、本郷新の5作品(館内にも小品のブロンズが数点)をはじめとする彫刻が野外に設置されている。


平和祈念館・正面。

《わだつみのこえ》

《鳥の碑》

《鳥を抱く女》

《北の母子像》

《嵐の中の母子像》

  • 植木蒼悦記念館 函館で活躍した日本画家、植木蒼悦(1896〜1982)の作品を展示する。河童を描いた作品が多く、河童画伯の愛称あり。こちらの収蔵品も、工藤豊吉氏からの寄贈とのこと。1982年開館。

  • 町民センター 中に、鉄道村(鉄道資料の展示)、郷土資料室、和田芳恵コーナー、静狩金山コーナー、静狩湿原コーナー、埋蔵文化財コーナーなどの展示施設があった。長万部は鉄道の要地であったこともあり、リタイアされた鉄道員の方々が多く移り住み、その方々から関連資料が寄贈されて、鉄道村が開設されたとのこと。


踏切と駅名標が野外に展示されていた。

  • ヲシャマンベ陣屋跡


ここも野の花が今を盛りと咲き誇っていた。中央の石碑は、陣屋跡の碑ではなく、忠魂碑だった。

  • 再び、温泉街を抜け、跨線橋を渡り、海に出てみる。


東室蘭から長万部まで、電車の車窓から、海側には終始、駒ヶ岳が見えていた。もちろん、長万部海岸からも駒ヶ岳は見えた。写真だとかすんでわかりづらいが…

  • 長万部駅に戻る。あとは名物のかにめしでも食らうつもりだったが、まだお腹があまり空いていない。予定では、12:20発スーパー北斗9号に乗るつもりだったが、1本早い11:34発スーパー北斗7号に乗れそうなので、こちらに乗ることにする。長万部からかにめしを乗せるみたいなので、車内販売で買うことにしよう(と思ったら、瞬殺で売り切れて、食べられなかった。無念笑)。ということで、一路、苫小牧に向かう。車内は、座ることができたものの、がらがらというわけでもなかった。洞爺駅からは、中国人の家族連れも乗ってきたりして、さらに賑やかになる


長万部駅前。行かなかったが、長万部は、東京理科大のキャンパスがある。

  • 苫小牧駅には12:59に到着。苫小牧は2度目。といっても、一度目は、ここから空港行きのバスにのるための降りて、待ち時間、駅の周辺をちょっと歩いてみただけ。時間に余裕もあることだし、何ヶ所かの目的地を歩いて回ることにする。まずは、駅近くの、アカシア公園へ。アカシア公園には、先日支笏湖へ行ったときに知った山線で使用された汽車が保存されている。まあ、せっかく近くまできたのだから立ち寄ってみることにした。復習すると、山線は、正式には、王子製紙軽便鉄道といい、王子製紙が苫小牧工場から支笏湖まで走らせていた。1908年(明治41)に千歳発電所建設のために敷設されたが、1951年(昭和26)に廃線となった、とのこと。


山線4号車(1935年製)と貴賓車(1922年製)。廃線後、東京の「紙の博物館」で展示されていたが、その後、アカシア公園内に移された。


勇払千人同心》(1973) 寛政12年(1800)、多くの八王子千人同心が北辺防備と開拓のために北海道に渡った。そのうち、50人が勇払にとどまり、この地の開墾を志したが、開拓は困難を極め、多くの犠牲者を出し、数年でこの地を去ることになった。苫小牧開基100年の1973年(昭和48)に、この千人同心を勇払開拓の先駆者として顕彰のために、碑が建立された。

碑の上部に千人同心像を置く。大小の鑓は、千人同心のシンボル。下の鎌と鍬のレリーフは開拓のシンボル。

中段の、母親と赤子の像は、同心の一人、河西祐介知節の妻、梅とその子で、梅は、病のため、子を残して、この地で若くして没した。下部には、梅への哀惜の情を詠じた夫、祐介知節による詩がはめ込まれている。「哭家人 河西知節」万里游辺功未成」阿妻一去旅魂驚」携児慟哭穹廬下」難尽人間長別情」

  • 周囲に、この他にも彫刻が設置されていたので、それとはなしに観て回ると、もう一体、本郷新による銅像があった。こちらは、名誉市民の相武吉治郎(1880〜1977)氏の胸像。



裏面のサイン。

科学センターには、宇宙ステーション・ミールの展示施設があった。機会があったら、次回にぜひ立ち寄りたい。

  • 出光カルチャーパーク内の苫小牧市美術博物館を目指す。途中、苫小牧市総合体育館の裏手を抜けたら、やつがいた。まあ、体育館みいたいな若者が体を鍛える施設の近くには、必ずやつがいるのである。


「やつ」こと、本田明二《おおぞらの像》。本田明二(1919〜1989)は、北海道を代表する彫刻家の一人。

  • さらに、出光カルチャーパークでは、サックスおじさんがいた(黒川晃彦《花の調べ》[1993])。あれだ、呉市美術館前の道ばたでは、全裸で、サックスを吹いていた人だ(木下直之『せいきの大問題』の著者近影参照)。後ろに女性も座っているからか、さすがにこちらではズボンをはいている笑 黒川晃彦(1943〜)、彫刻家・写真家。サックスを吹く男性像、あるいは楽器を演奏する人物像は、黒川晃彦の主要なモチーフだそうだ。

  • で、やっと苫小牧市美術博物館に到着。「クロスオーバー」展と常設展を観覧。


  • 観覧後、美術館前の芝生広場でのんびりして、ぼちぼちと駅方面へ向かう。途中、さすがに腹が減ってきたので、適当なメシを適当に食らう。市役所前に、もう一体、本郷新による彫刻/モニュメントがあった。


本郷新《緑の環》(1974)。苫小牧市が、1973年に「人間環境都市宣言」を議決、そのシンボルとして、制作・設置された。他に、苫小牧駅前、美沢、樽前、静川にも、設置されているとのこと。駅前、見逃した…

  • ということで、JR苫小牧駅まで戻り、苫小牧16:45→17:10南千歳17:24→17:27新千歳空港、と乗り継ぐ。小一時間適当に時間をつぶし、保安検査場を通過して、2ゲート付近でぼんやりする。帰りの飛行機は、バニラエアJW924便。19:40搭乗開始、20:00離陸、21:10着陸、21:25到着ロビー。なので、結局、終バス。23:30前に無事帰宅。